昭和の風林史(昭和五七年七月六日掲載分)

2018年07月23日

中段の底抜け秒読み段階

今度は売り警戒人気が強いだけに、アッケラカンと劇的な崩れにつながりそうだ。

産地は快晴続き。気温も上昇。生育好調。

夏型の天候は今週、来週と続く予報だ。

役所のほうも、ようやくあわただしくなった。期近限月の玉をほどく対策は、かなりきつい手段に出るかもしれない。

月曜は共産党機関紙〝赤旗〟が小豆買い占めについてまた書いたそうだ。

農水省は国会で六本木筋の小豆買いが問題になって以来、田沢大臣、渡辺食品流通局長、今大臣秘書官、伊藤商業課長等が市場問題を真剣に検討し、関係取引所に対する指導も、渡辺局長が国会で、はっきりと「異常事態」と明示していることから『異常ないない、打つ手がない』では済まされないという態度。

取引所には〝市場管理要綱〟というものがある。

これが役に立たないようでは意味がない。その点も検討しているようだ。

ともあれ相場としては先二本が〝死に体〟になった。

在庫増、作柄良好、安徽小豆の大量入荷、相場の日柄による疲れ、規制強化。

こうなったらダムは決壊するしかない。

相場は天の理、地の利、時の運という。目下の買い方は、この三要素すべてに背を向けている。

市場はまだ売るのを怖がっている。

前場は早々の利食い。やれやれの利食いが先行した。

戻したら売り直そうというつもりだろうが、売らせずに抜けてしまう相場になってしまった。無理したトガメである。

●編集部註
 平成最後の年の夏、文科省の事務次官候補の呼び声も高かった局長が受託収賄疑惑で逮捕された。
 この報道を受け、ある番組に出演していた社会学者の指摘に膝を打った。
 要約すると、この報道が事実なら、日本の教育を司る省庁のトップになる予定の人が、教育に対して何の哲学や理念もなく、〝こうであるべき〟といった美学もなく、普通に自分の権力や立場を自分の欲望のために使った事になる。それは罪深く、恐ろしい事であると。
 話を昭和の小豆相場に戻そう。この時、異常はあったが違法はなかった。
 ただ、風林火山の筆致と行間からは、管理する側、運営する側の無為無策ぶりは読み取れる。
 そして、平成の今だからこそ言える。先物市場に対して何の哲学や理念もなく、〝こうであるべき〟といった美学もない人たちが市場を管理、運営すると、結果的にロクでもない事になるのだ、と。

昭和の風林史(昭和五七年七月五日掲載分)

2018年07月20日

無理したトガメ出る時分

無理が、どこまで続くかだけの問題で、それもようやく先が見えてきた。

今週から産地は夏型の天候にはいるようだ。気温が上昇するとともに先三本が売られる。

七、八積み加えて安徽小豆は三千五百㌧に達した。

去年の秋に受け渡しされた安徽小豆が、まだ一万七千俵ほど抱かれたままのようで、纏めて換金しようとすれば一俵一万円以下だろうといわれる。

要するに実需筋はボイラー調整に苦労するから敬遠しているようだ。

一に台湾、二に唐山、三に天津、四に東北、五、六がなくて七に安徽。去年結構売れた東北が、今年は悪い悪いで終わりまで残ろう。

手亡の相場が小豆の先行きを明示している。この手亡という相場、不思議と先行性がある。産地小豆ザラバも落凋涛々。要するにこれが自然の流れである。

農水省商業課の伊藤禮史課長がいわれていた。『歴代商業課長は、ここという要所では泥をかぶってでも行政の毅然たる姿勢を示してきた。君は困った困ったばかりで火の粉をかぶる勇気がない。それじゃ困るんだ』。

伊藤さんは温厚な、お人柄に好感が持てるけれど、〝困ったの伊藤〟じゃ、ほんまに困ると評判だった。

買い主力筋が先のほうを買うのか、買わんのかで、この相場の前途を占うことができる。本当のところはもう降りたい心だと思うが、すんなり降ろしてくれないから困る。

線型は先二本が、本来、あるべき姿にもどろうとしている。週明けは、これが、なだれてくる可能性が濃い。

期近二本のダムも決壊する運命だ。ボックス型保合いの底が抜ければ、商いもようやく弾むことになる。

●編集部註
 暴論かも知れないが、先物相場、とりわけ穀物相場は、当業者の参加が多数あってこそ投機家の投機が価格の平準化につながる。当業者の参加が少なければ、それは上場対象物を使ったただの博打である。
 実際、今回の小豆相場は博打場となり下がった先物市場と現物市場の歪みが露呈した格好になっている。それでも、今に比べれば当業者の入る余地があったから相場も動いていたのだろう。だが、
当業者が去ると、賭場に残るのは眼つきの悪い博打打ちだけになる。
 筋目の悪い賭場に、素人さんや一見さんが寄り付く筈がない。かくして、賭場は廃れ、「ジャンルを滅ぼすのはマニア」「悪貨は良貨を駆逐する」という箴言の典型例がまた一つ、世の中に加わる。

昭和の風林史(昭和五七年七月二日掲載分)

2018年07月19日

七月中に決着つくだろう

兵に走あり、弛あり、陥あり、崩あり、乱あり。敵の撃つべきを知らば勝の半ばなり。

産地の気温は低目だが日照が十分あるから作柄のほうの心配はない。

新ポ12月限はサヤを買う力がなかった。

売る気はあるが様子を見ようという人ばかりだ。

こうなったら根くらべである。そのうち、なにかの異変が生ずる。

高ければ先二本を涼しげに売っていくだけ。

買い方は、今月も来月も渡ってくるものは受ける―と市場ではみている。

現物の損は定期の煎れ取りでカバーできる―という方法も、今では誰もが、あり得ることだ―と承知している。

ということは、それに対する対策と心構えが売り方にできているわけで、成功する、せんは別にして、知ったらしまい、もう怖くもない。

よく言うが仏の顔も二度三度。柳の木の下に二匹目の泥鰌はいるが三匹目はいない。

相場の日柄は三(み)月またがり六十日。

いまのような睨み合いの相場は今月中に決着がつくと思う。

苦しいのは自ら深みにはまって、引くに引けない買い主力だと思う。

在日韓国人の商工サービス業の人たちの資金運用という責任ある資本だけに相場師のような見切り千両と投げ出すことができん。

資力は続くと思うが更に深みにはいって、とどのつまり大きなリスクをかぶるだろう。

読み違いは買い主力の相場参謀たちの責任でもある。四、五千の用兵は可能でも二万という軍団の兵を動かす市場ではなかった。

孫子は「三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば軍士疑う。三軍すでに惑い疑うときは即ち諸侯の難至る」―と。

われ出でて利非ず、彼出でて利非ずを支という。支形は時間が解決する。

●編集部註
 古参の相場師曰く、買いは熟慮断行、売りは断行熟慮であるという。
 〝売る気はあるが様子を見よう〟と熟慮を重ねている時は、決まって下がってしまうのが相場である。
 あれよあれよと下がっていく値動きを見て尻込みするその時も相場は下がっている。〝売れない相場は弱い〟のである。
 ならば損切り水準を決めて、エイヤッとばかりに売り参入した方が良い。
 今なら、ネット取引でさっと注文を済ませる事が出来る。しかし、この時はほとんどが対面取引。担当営業マンのノイズが入る。ノイズとしがらみに塗れた玉はなかなかに決済出来ないものである。

昭和の風林史(昭和五七年七月一日掲載分)

2018年07月18日

売るべし売るべし先二本

大局的見地で先二本を売っていけば時間が解決してくれよう。相場は疲れている。

中国小豆の成約が進んでいるようだ。七月も三市場千枚の渡し物ができるだろうと早々の予想だった。

産地の低温周期は五、六日頃に終わって本格的夏型の天気に移る。今年の夏期の波動は二週間サイクルである。だから次の気温低下は月末26日頃になる。

北海道小豆が定期、現物とも、ぬるい。やはり作柄に敏感である。

六本木筋は『ブラック金屋筋が相場を叩く以上、対抗上買う。このような玉を受け入れる取引員のモラルを疑う』―と、だいぶご立腹のようだ。金屋筋に近い人に聞くと、売っている玉は二千枚までだろう。市場でいわれるような玉数にはなっていないはず―。

六本木筋という〝怖い人〟から電話がかかってきませんか?と問われる。売り店や、輸入小豆のヘッジャーに怖い電話がかかってくるという話だが、誰か違う人が嫌がらせしているのではなかろうか。相場を弱気して、おどかされるようなら、ますます人気は離れてしまう。

静岡筋が小豆期近を踏んでいた。『生糸買いのめんどうはみるけれど、小豆売りのめんどうまでみられない』ということらしい。それで煎れたとか。

増証を徴収しておいて、なにか効果のある玉ほどきの劇薬が投ぜられる可能性もある。

市場人気は、まったくしらけてしまった。

増証と材料を反映しない人為的操作の相場を嫌気しているが、これでしか飯の食えない人には、なにか嫌な空気だが、11・12限を売っていくしかない気持。

愚痴っていてもはじまらん。相場の大局的な流れさえ摑んでおれば、いつかは、どこかで自然の姿に必らず戻る。目先でなく大局的な見地で取り組むことである。

●編集部註
 小豆相場が崩落するこの時の相場状況を筆者は体験していない。とはいえ、どなたさまかは存じ上げぬが、取引に対して○○筋間で何等かの圧力があるとなるとこれはいただけない。相場の末期と言って良い。
 司馬遼太郎の小説「俄(にわか)」で大阪は堂島の米会所を任侠の方が襲撃してぶち壊す場面があるがこれも末期であった。
 平成に入り、相場に勤しむその筋の方と何人かとお話しする機会があったが、コンプライアンス厳しい時節柄ひたすら目立たないようにしていた印象がある。
 パラジウム相場が崩落する直前、金相場が大底を打つ直前の相場に実際に立ち会った事があるが、寄付きは普段と何ら変わらず、嵐がいきなり吹き荒れた感じがした。

昭和の風林史(昭和五七年六月三十日掲載分)

2018年07月17日

業界が悲鳴をあげている

こんな状態がいつまでも続くはずがない。天が決着をつける時が必らずくる。

増証規制も第三次となれば、ぼつぼつ用心するのが人情。

期近二限月の段階的増証は、売り玉の手仕舞いを先行させた。

崩れに移れば期近ほど手応えがあるけれど、ともあれ仕舞っておこう。

その分を12月限売りにまわす。長期作戦の気構え。

産地相場がぬるい。作況は雨のほしいところへ雨。低温も山を越した。ホクレンが売ってくるのは、それなりの作柄見通しを立てての事であろう。

また輸入商社の訪中は、小豆成約を急ぐ動きとも受けとれる。

七月上旬には、なんらかの答が出るような気がする。それは日柄で限界を過ぎているのと、ひとまずは踏んだということ。

売る側も段々賢くなった。ドーンと安いところを叩いたから苦労させられた。長期限月の高いところを売るのは怖くない。

概して手を出さない。極端な薄商いで、業界全体が悲鳴をあげている。

先二本の証拠金をできるだけ抑えて市場管理の面で配慮しているが、期近のほうに玉が張り付いているから、回転も利かず新規も出にくい。

16万俵の現物の偏在は流通段階にも商いの低下をきたし、逆ザヤは消費をより悪くさせ、定期は閑古鳥鳴くは、困った現象である。このように、あらゆる面に迷惑をかけて、それが成功するはずがない。

しかし打つ手がないということなら、辛抱するしかない。

七月も受け、八月も受け、いいじゃないか受けさせれば―というしらけた見方。これが怖い。

〝七色のパッチ〟で有名な神戸の会員K氏『売って駄目なら買ってみろで買って、はじめて判ったが、なんと重たい相場よ』と、あきれていた。多分、それが実感だと思う。

●編集部註
 崩落前夜。今の相場に例えるなら、週明けに大陰線を記録したNY白金の前週のようなものか。
 二時間もののサスペンスドラマなら、犯人と船越英一郎が崖の上での対峙があらかた終わって、エンドロールが流れる直前に来ている。
 この年のこの時期、日本のヒットチャートの一位は岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」。この曲こそ、その前年9月に始まった「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマであった。
 この時、小豆の買い本尊も判っている。証拠金も上げるだけ上げた。商いも閑散で次の展開待ちの段階まで来ている。頭も重たい事この上ない。
 つまり、あとは下がるだけの段階に来ている。

昭和の風林史(昭和五七年六月二九日掲載分)

2018年07月13日

資力気力充実して持久戦

気力が萎えるような売り玉は踏むがよい。百万人といえど我れ征かん人だけ残れ。

小豆はボックスの中での動き。気分的には玉負けしている売り方の心労が大きい。

ドーンとボックスから上放れしたら売り玉総踏みという凝縮した密度の市場空気だけに、産地の天候を眺める目にも、おびえがある。やはりこれは、人気の変化というものだろう。

売り方は、少々はしゃぎ過ぎたという反省がある。巨大資金投入の怪物みたいな仕手の正体と、その作戦と、これに対する市場の打つべき手のない現実を眺めては、(1)早々と戦線を離脱する。(2)損切りドテンして強気に転換する。(3)あくまでも初心を貫く―のどれかにシフトする。

それにしても相場はどうだろうかと。

ニュークロップ次第である―と答えるのが無難であり、また、その通りである。

しかし迷える投機家達は、そのような答を希望しているわけでない。

商いは薄い。買い屋が煽りを入れ、辛抱できぬ売り玉が踏むところで抜けている。売り過ぎのトガメを上手に衝いている。
なかなか一筋縄でいかん。

値段は大きく飛んでいく相場になるまい。

罫線も操作されている相場には通用しないから困るけれど、視点を変えて、それも相場として見るぶんには、依然中段のモミである。

思うのだが、こんなことはいつまでも続かん。

筆者は相場を信ずる。今は人為の及ぶ動きだが究極は相場自然の流れに帰る。

いま、売り方は忍の一字である。買い方だって、そういう苦しさを耐えてきた。

しかも本当に苦戦しているのは買い方である。

死生の地で存亡の勝負を張っているからこそ、ここまできているわけで、売り屋の気力が萎(な)えるような勝負なら早く降りたほうがよい。これからが本当の決戦である。

●編集部註
 孝行の、したい時分に親はなし、気に入らぬ風もあろうに柳かな、ならぬ堪忍するが堪忍。人間、諦めが肝心で、何事も天災と諦めれば腹も立たぬ。と立て板に水の名調子で先代の春風亭柳朝は落語「天災」を演じていた。
 天災は、忘れた頃にやって来る。人為的な操作が疑われる相場の崩壊は、人災という名の天災だ。
 気に入らぬ風もあろうに柳かな―、と死屍累々の鉄火場で、涼しい顔で相場と対峙出来る人は少なかろう。これが相場で培われる人間力の違いだ。
 〝相場を信ずる〟とは、なかなかに言えない。

昭和の風林史(昭和五七年六月二八日掲載分)

2018年07月12日

見ざる聞かざる言わざる

売り方は反省し、スタンスを変え、持久戦に耐える陣形に整備すべきである。

山川草木うたた荒涼という情景で人語らず。六月納会大受け渡しあとの疲労感が出ていた。誰もが『疲れました』と。

相場から降りる人は別として、長期戦の態勢に陣形を整備するため前二本限月の売りを手仕舞う。

これは一筋縄ではいかんと誰もが肝に銘じた。行政とか取引所サイドの規制などを期待したのが間違っていたという反省もある。

取引所は納会のあとでも『異常、異常言うが、一体どこが異常なんだ? 騒ぐほうの頭が、異常じゃないの?』というとらえかただった。多分にポーズもあろうが、まあ、そんなふうな受けとめかたであるということを認識しておくのもよいだろう。

値段としては、それほど動いていない。

要するに玄人の〝へそくり金〟をジグザグ相場の安値売り、高値踏みで減らしてしまった。

先限引け足線の二カ月足らずの値動きは結構一万一千円幅になる。

疲れ果てるのも当然か。

さて、小豆から、おさらばする人は別として、これからが本当の勝負どころだ。受けるだけ受けさせ、買うだけ買わせて、いいじゃないか、やるだけやらせれば、いつかは決着がつく。

相場の奥義は「見ざる、聞かざる、言わざる」。

いままでとは違ったスタンスで取り組む。

あとは天候・作柄である。

馬術の名人は鞍上人なく鞍下馬なし。六本木も桑名も意識せず、相場だけを見ていく。

シカゴの格言に「相場が気になる時は、ゆっくり眠れるところまで建玉を減らせ」―とある。

結局は、相場というもの常識に戻る。常識とは日柄と需要供給だ。

週間足は逆張り型。産地作柄良好。信ずる者は強し。くよくよしない。

●編集部註
 穀物相場は限月の移行が一つの節目に。つまり、この頃の時間帯である。
 結論から先に言うと、相場はここから半月かけて崩落する。当時のベストセラーのタイトルに準えて「積木くずし」の状態とでも呼ぼうか。
 この本の著者である穂積隆信の本業は俳優で、筆者が子供の頃見ていたTVドラマでは、主人公を邪魔する嫌味な敵役となると大概この人が演じていた気がする。時代劇なら悪徳商人で、大概最後に成敗される役だった。
 この本は翌83年にTVドラマ化され、これも大ヒット。更に映画化もされるが、著者である穂積やその家族、TVドラマで主役を演じた女優はその後に発覚したスキャンダルで波乱万丈の人生を送る事になる。

昭和の風林史(昭和五七年六月二六日掲載分)

2018年07月11日

将棋でいえば指し過ぎか

受けも受けたり御立派である。しかしこの戦いは勝てない。流れに逆らっている。

小豆当限納会は俵読みどおり淡々と表面は納まった。

先月に続いてまたも受けも受けたり、引くに引けん背水の買い方。これで勝敗の決着は七月に持ち越される。

受けた現物は一俵一カ月二百十円の倉敷料という時計が動く。一枚80俵で一万六千八百円。置いておくだけでこれだけの食い込みがある。

株券なら配当が付くけれど、小豆は品いたみ分の目減りをかぶる。

商品定期相場で受けなければならない立ち場に立たされることは、仮りにそれが作戦であろうと、上策とはいえない。

まして大量手持ち現物はヘッジされていないどころか七月限も八月限も九月限も大量買いポジションでは余りにもリスクが大きい。

買い方は、七、八、九の三限月に焦点を絞って戦線延長だが、兵站線が伸びすぎている。

これが敵地に糧(かて)を得られる戦いならば千里を行きても労せざるが、兵站線が伸びるだけ伸びての補給(臨増し、追証、倉敷、金利)だから、君の軍に患するもの三ツ有り―となる。

まして雲の流れは更に急を告げている。

二カ月連続大量受けは異常現象だ。

受けたことによりマイナスの要因を背負ったわけだ。

世間というものがある。社会というものがある。この業界では通用しても、世間様は常識をはずすと強い拒絶反応を示すものだ。

東京七八九枚。名古屋一一〇枚。大阪四二一枚。合計一三二〇枚は十万五千六百俵。

いずれにしろこの相場の決着は遠くない。

無理したとがめは大きいのである。

業界人は、ただ唖然としていた。言うべき言葉を失っては、まさに末期である。暴落刻々接近中。

●編集部註
 テクニカル的にも、この時の相場の決着は遠くなかった。
 4月、下降局面で大きなマドが出現する。
 6月、このマドを埋めにかかる。しかし完全に埋め切る事もなく、翌日に反転下落する。
 ここで、買い方にとっては痛恨の罫線になる。4月の時と同じようなマドが生じてしまうのだ。
 往々にして、マドは埋められるためにある。しかし、ここからの反騰場面では埋める事も能はず。
 つまりこの時、小豆相場は2つのマドを埋め切れず、2重の強力な上値抵抗線に往く手を阻まれていたという事になる。
 トレンドは切り下がり。少なく見積もっても3万 2000円コースである。

昭和の風林史(昭和五七年六月二五日掲載分)

2018年07月10日

受けて悪し、受けずば悪し

歩のない勝負だが引くに退けん買い方の頑張りには驚嘆する。詮ない突っ張りだ。

小豆は相場だけ見ていると醒めているが、売り方のトークが熱しているようだ。勝負ごとは、なにがなんでも勝たねばならん。買い方も防戦あいつとめ、目に見えぬ殺気ただよう中で本日納会。

真相は判らぬが『富士銀行に入っていた東京重機と旭有機株を14、16日、野村証券で換金して五十億円の資金ができた』から受け代金に心配ない―と、この業界の情報は、まるで人のポケットの中を見透すようなことをいう。

『本田さんは(板崎氏から)要請があれば十億円ぐらいまで、めんどうみてもよい』と考えていました―と。『ああそれで七、八、九の三本を買っていたのですか』。

思うのだが、いまの相場は、いちいち情報に神経をとがらせていたら、相場の本当の姿を見失う。相場の奥義は〝見ざる、聞かざる、言わざる〟。どんな相場でも常識に戻る。常識とは需要供給である。そして日柄だ。〝人を見て相場を張るな〟という言葉もある。誰が売っているから買うとか、誰が買っているから売るとかはよくない。相場だけ見る。なにごとにも毀誉褒貶(きよほうへん)はある。そのことが判っておれば付和雷同もしない。必らず相場の先行きが見えてくる。

その相場の先行きは納会受けて悪し、受けざれば更に悪し。買い方は決して楽な戦いを進めているわけでない。無理を承知の意地がある。また、誰だって損するのは嫌だ。

結局これは天が勝敗を決することになる。

畑振を衝いて予備枠を出せとか、政治家を動かしてどうするとか、これは感心せん。『きたない手使いやがって』と買い方は立腹するのが当然だ。しかし、相場の敵は怒るな、喜ぶな、絶望するな―である。

これは売り方にもいえる。待てばよいのである。待てないのは、建玉に無理があるからだ。崩れるしかないのだから焦るなかれ。

●編集部註
 先般紹介した鍋島高明氏の最新刊「相場名人/信条と生き方」(パンローリング)の中で、今回の記述で登場する人物の一人が小豆相場に翻弄される場面が登場する。
 平成の御代から、過去の文章と罫線を見ているだけでは伝わらぬ、人と市場のダイナミズムがこの本からは感じられる。
 合従連衡、臥薪嘗胆―。しばしば風林火山が記事の中で漢籍を引き合いに出す理由が何となく判る。
 反知性主義と不寛容が跳梁跋扈する現在、この記事しかり、この本しかり、鉄火場の中での知性と教養は、緩衝材と同時に爆弾である事を識る。

昭和の風林史(昭和五七年六月二四日掲載分)

2018年07月09日

下げエネルギーは超ド級

玉はほどけていないから、ますます悪くなっている。下げエネルギーは超ド級クラス。

小豆相場は「激水の疾き石を漂よわすに至るものは勢いなり」という場面に入った。

共産党機関紙〝赤旗〟が六本木筋の小豆買いを紙面で問題にしたことや国会でとりあげられ政治の場に持ち込まれたのを嫌気した。

「旌旗動くは乱るるなり」。納会を前にして、買い陣営に、なにか計算違いがあったように見えた。

渡し物について神経過敏なぐらい調査していた。先月にはなかった事だ。

納会25日は大暴落であろう。渡し物全量一手受けは不可能と見る。

当然売り方の親引で、二番限にすかさず売られて、逆ザヤの解消、仕手相場の終焉(えん)に向かうだろう。値段のほうは、かなりの安値に崩れる。

六月は魔の月である。本間宗久伝にも『六月崩し見ようのこと』と特に注意している。

来月新甫生まれの12月限はめった売りでモノになろう。七月第三週まで下げの基調が続くはずだ。

九限、十限の二千円~三千円圏でボックスになって取り組んだものが、二千円割れ→千五百円割れでバランスが崩れる。

買い方は受け代金よりも増証分と追証分の資金手当てが先決。枚数が大きいし名義も多いから大変だ。

売り方は利食い足が速い。そして流れが決まったと見れば勝負をかけてくる。在庫豊富。来月入荷結構多い。産地天候良好。作柄申し分なし。物の売れ行き極端に悪い。北海物続落。

これで納会全量受けて悪し、受けざれば更に悪し。まさしく進退谷まった図。

売り玉利食いしたあとの下げ幅が、一番おいしいところかもしれない。

●編集部註
 曲がり玉は我慢に我慢を重ねて保有するのに、アタリ玉はちょっと利益が出るとたちまち手放してしまうのは何故なのだろうか。永遠の謎である。
 相場のソの字も知らぬ頃、自分はそんなヘマはしないと思っていた。しかし、いざ現場に出るとやってしまうのである。
 つくづく相場は「未知への飛行」であると知る。この頃日本で公開された米国のサスペンス映画の題名である。2000年にジョージ・クルーニーやリチャード・ドレイファスの出演でリメイクされたので、そちらを記憶されておられる方もいらっしゃるかと思う。
 この作品、ある小説を原作にした映画と内容が似ていると訴訟沙汰になる。最後は和解して両方公開されたが、それがキュ ーブリックの名作『博士の異常な愛情』である。