昭和の風林史(昭和五九年四月九日掲載分)

小豆期近また踏まされる

小豆は、なんとも難しい相場で期近限月は、またも煎れ先行という場面である。

小豆の今期(四~九月)輸入外貨枠は、一八六〇万㌦とかなり大型なものになったが、中国、台湾の価格が上昇しているから、数量的には相場の圧迫材料にならない―という見方が支配し、北海道のきわめて異常な降雪などを材料にして買い方の攻めが続いている。

要するに(1)悪材料出尽くし。(2)今年も異常気象。(3)四月限の渡し物は軽い。(4)期近三本の安値売り玉を締め上げる―というわけである。

それにしても目下注目されている東穀小豆六月限の片寄った取り組みが、今後どのように展開されていくのか。

市場の一部では“小型六本木相場”などという。六本木筋の場合は、いわゆる素人であったが、今回は玄人筋の連合体のようなもので、それだけに戦略・戦術は巧妙である。

強気のバックボーンは今年の北海道は昨年よりもっと悪い凶作であろうという天候相場に対する賭けであり、輸入の大型枠即ち台湾・中国小豆の大幅値上がりという支援である。

このように見てくると、相場のツキというものはいぜん買い方に味方している。値頃観や場味(あじ)で売ると、買い方の餌食になる。

そして、なまじ罫線観は通用しない。限られた少数特定者によるパワーの時代といえようか。

相場は、売って駄目なら買ってみよ―という。

一般大衆は証拠金の低い30㎏建の九月限を対象に天候相場を思惑したい気持は山々であるが、全般なんとなく難しい相場という印象がぬぐえず、特に期近の激しい動きに幻惑される。

●編集部註

 筆者はどちらかと言えばファンダメンタリストではなくチャーチストなので「罫線観」という言葉にいささかの引っ掛かりを覚える。ただ、古参の相場師から聞いた話では、小豆市場には「罫線殺し」なる言葉があったそうで、今回の文章で登場する〝限られた少数特定者によるパワー〟によって「えいやっ」とばかりに腕力でねじ伏せるような相場展開で大衆が踏んだり投げたりする場面があったとか。今と比べて情報の質も量も伝達の早さも劣っていたからこそ出来た所業と言えよう。 人海戦術で取引が進められるため、昔は「乱手」なる戦術も通用した。その模様は小説『赤いダイヤ』でも登場する。今では通用しない。

 ただ手法が変わったら変わったで、お行儀の悪い方々はやはり出て来るわけで、現在はネット取引を使って「乱手」に似たような注文を出してくる集団が、時折警察の御厄介になったりする。

 浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ