昭和の風林史(昭和五九年四月七日掲載分)

小豆はゆっくり需給緩和

外貨枠は多い目である。悪材出尽くしと見るか、あとから利いてくると見るかである。

東交天文台編纂の「理科年表」(発行所丸善KK)の雪の初日と終日統計では終雪の平年値・網走が五月8日。(統計上最晩は昭和16年六月8日=この年の北海道小豆は反収0・85俵)。

帯広の終雪の平年値四月25日・最晩は昭和16年五月26日。

旭川終雪平年値五月1日・最晩明治33年五月27日。

札幌終雪平年値四月21日・最晩昭和16年五月25日。

根室ではこの昭和16年六月8日に降雪を記録している。

昭和16年といえば、われわれすぐ思うのが太平洋戦争の始まった年である。

この年は全国的に不順が続き食糧増産が国家の方針であったにもかかわらず、天は国運に背を向けた。

北海道小豆の収穫が反収1俵を割ったのは昭和10年かろうじて1俵。そして16年の0・85俵。終戦の年の20年が0・53俵。29年(洞爺丸台風の年)0・83俵。31年0・93俵。39年0・80俵。41年1俵となっている。

朝のNHKテレビの気象で北海道に雪だるまのマークがつくと小豆相場に関心ある人は心が弾んだり、逆に心が沈むわけだが、平年値でも四月中・下旬までの降雪は珍しくない。

さて注目の輸入枠は一八六〇万㌦と多い目に出た。発表は悪材料出尽くしという見方もあるが徐々にあとから利いてくるだろう。

買い方は、天候に賭けての強気信念を貫いている。マバラが値頃観などで売ると、踏まされる。要するにパワーの問題である。

全般人気としては押したところ買いたい―である。その押しは、もうすませたのであろうか。

現物の売れ行きなどを見ていると需給は緩和する傾向だけに、むしろ戻り売りの方向と思うのだが。

●編集部註

ここで登場する理科年表の現物を筆者は見た事がある。大阪のオフィスを引っ越す事になり、作業の手伝いで東京から駆け付けた際、筆者が担当したのは風林火山の書架の整理であった。

大きさはポケット手帳サイズ、厚さは1・5㎝程度。辞書のような紙には細かくデータが掲載されており、そこにびっしりとメモ書きがされ、付箋が挟み放題になっていた。

書架にはこの手のデータ系書籍が無数にあった。

人様の書架を見るのは楽しい。ブリア・サヴァランは「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。どんな人間であるかを言いあててみせよう」と言ったとされているが、同じ事が書架にも言えるのではないか。