昭和の風林史(昭和五七年七月一日掲載分)

2018年07月18日

売るべし売るべし先二本

大局的見地で先二本を売っていけば時間が解決してくれよう。相場は疲れている。

中国小豆の成約が進んでいるようだ。七月も三市場千枚の渡し物ができるだろうと早々の予想だった。

産地の低温周期は五、六日頃に終わって本格的夏型の天気に移る。今年の夏期の波動は二週間サイクルである。だから次の気温低下は月末26日頃になる。

北海道小豆が定期、現物とも、ぬるい。やはり作柄に敏感である。

六本木筋は『ブラック金屋筋が相場を叩く以上、対抗上買う。このような玉を受け入れる取引員のモラルを疑う』―と、だいぶご立腹のようだ。金屋筋に近い人に聞くと、売っている玉は二千枚までだろう。市場でいわれるような玉数にはなっていないはず―。

六本木筋という〝怖い人〟から電話がかかってきませんか?と問われる。売り店や、輸入小豆のヘッジャーに怖い電話がかかってくるという話だが、誰か違う人が嫌がらせしているのではなかろうか。相場を弱気して、おどかされるようなら、ますます人気は離れてしまう。

静岡筋が小豆期近を踏んでいた。『生糸買いのめんどうはみるけれど、小豆売りのめんどうまでみられない』ということらしい。それで煎れたとか。

増証を徴収しておいて、なにか効果のある玉ほどきの劇薬が投ぜられる可能性もある。

市場人気は、まったくしらけてしまった。

増証と材料を反映しない人為的操作の相場を嫌気しているが、これでしか飯の食えない人には、なにか嫌な空気だが、11・12限を売っていくしかない気持。

愚痴っていてもはじまらん。相場の大局的な流れさえ摑んでおれば、いつかは、どこかで自然の姿に必らず戻る。目先でなく大局的な見地で取り組むことである。

●編集部註
 小豆相場が崩落するこの時の相場状況を筆者は体験していない。とはいえ、どなたさまかは存じ上げぬが、取引に対して○○筋間で何等かの圧力があるとなるとこれはいただけない。相場の末期と言って良い。
 司馬遼太郎の小説「俄(にわか)」で大阪は堂島の米会所を任侠の方が襲撃してぶち壊す場面があるがこれも末期であった。
 平成に入り、相場に勤しむその筋の方と何人かとお話しする機会があったが、コンプライアンス厳しい時節柄ひたすら目立たないようにしていた印象がある。
 パラジウム相場が崩落する直前、金相場が大底を打つ直前の相場に実際に立ち会った事があるが、寄付きは普段と何ら変わらず、嵐がいきなり吹き荒れた感じがした。

昭和の風林史(昭和五七年六月三十日掲載分)

2018年07月17日

業界が悲鳴をあげている

こんな状態がいつまでも続くはずがない。天が決着をつける時が必らずくる。

増証規制も第三次となれば、ぼつぼつ用心するのが人情。

期近二限月の段階的増証は、売り玉の手仕舞いを先行させた。

崩れに移れば期近ほど手応えがあるけれど、ともあれ仕舞っておこう。

その分を12月限売りにまわす。長期作戦の気構え。

産地相場がぬるい。作況は雨のほしいところへ雨。低温も山を越した。ホクレンが売ってくるのは、それなりの作柄見通しを立てての事であろう。

また輸入商社の訪中は、小豆成約を急ぐ動きとも受けとれる。

七月上旬には、なんらかの答が出るような気がする。それは日柄で限界を過ぎているのと、ひとまずは踏んだということ。

売る側も段々賢くなった。ドーンと安いところを叩いたから苦労させられた。長期限月の高いところを売るのは怖くない。

概して手を出さない。極端な薄商いで、業界全体が悲鳴をあげている。

先二本の証拠金をできるだけ抑えて市場管理の面で配慮しているが、期近のほうに玉が張り付いているから、回転も利かず新規も出にくい。

16万俵の現物の偏在は流通段階にも商いの低下をきたし、逆ザヤは消費をより悪くさせ、定期は閑古鳥鳴くは、困った現象である。このように、あらゆる面に迷惑をかけて、それが成功するはずがない。

しかし打つ手がないということなら、辛抱するしかない。

七月も受け、八月も受け、いいじゃないか受けさせれば―というしらけた見方。これが怖い。

〝七色のパッチ〟で有名な神戸の会員K氏『売って駄目なら買ってみろで買って、はじめて判ったが、なんと重たい相場よ』と、あきれていた。多分、それが実感だと思う。

●編集部註
 崩落前夜。今の相場に例えるなら、週明けに大陰線を記録したNY白金の前週のようなものか。
 二時間もののサスペンスドラマなら、犯人と船越英一郎が崖の上での対峙があらかた終わって、エンドロールが流れる直前に来ている。
 この年のこの時期、日本のヒットチャートの一位は岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」。この曲こそ、その前年9月に始まった「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマであった。
 この時、小豆の買い本尊も判っている。証拠金も上げるだけ上げた。商いも閑散で次の展開待ちの段階まで来ている。頭も重たい事この上ない。
 つまり、あとは下がるだけの段階に来ている。

昭和の風林史(昭和五七年六月二九日掲載分)

2018年07月13日

資力気力充実して持久戦

気力が萎えるような売り玉は踏むがよい。百万人といえど我れ征かん人だけ残れ。

小豆はボックスの中での動き。気分的には玉負けしている売り方の心労が大きい。

ドーンとボックスから上放れしたら売り玉総踏みという凝縮した密度の市場空気だけに、産地の天候を眺める目にも、おびえがある。やはりこれは、人気の変化というものだろう。

売り方は、少々はしゃぎ過ぎたという反省がある。巨大資金投入の怪物みたいな仕手の正体と、その作戦と、これに対する市場の打つべき手のない現実を眺めては、(1)早々と戦線を離脱する。(2)損切りドテンして強気に転換する。(3)あくまでも初心を貫く―のどれかにシフトする。

それにしても相場はどうだろうかと。

ニュークロップ次第である―と答えるのが無難であり、また、その通りである。

しかし迷える投機家達は、そのような答を希望しているわけでない。

商いは薄い。買い屋が煽りを入れ、辛抱できぬ売り玉が踏むところで抜けている。売り過ぎのトガメを上手に衝いている。
なかなか一筋縄でいかん。

値段は大きく飛んでいく相場になるまい。

罫線も操作されている相場には通用しないから困るけれど、視点を変えて、それも相場として見るぶんには、依然中段のモミである。

思うのだが、こんなことはいつまでも続かん。

筆者は相場を信ずる。今は人為の及ぶ動きだが究極は相場自然の流れに帰る。

いま、売り方は忍の一字である。買い方だって、そういう苦しさを耐えてきた。

しかも本当に苦戦しているのは買い方である。

死生の地で存亡の勝負を張っているからこそ、ここまできているわけで、売り屋の気力が萎(な)えるような勝負なら早く降りたほうがよい。これからが本当の決戦である。

●編集部註
 孝行の、したい時分に親はなし、気に入らぬ風もあろうに柳かな、ならぬ堪忍するが堪忍。人間、諦めが肝心で、何事も天災と諦めれば腹も立たぬ。と立て板に水の名調子で先代の春風亭柳朝は落語「天災」を演じていた。
 天災は、忘れた頃にやって来る。人為的な操作が疑われる相場の崩壊は、人災という名の天災だ。
 気に入らぬ風もあろうに柳かな―、と死屍累々の鉄火場で、涼しい顔で相場と対峙出来る人は少なかろう。これが相場で培われる人間力の違いだ。
 〝相場を信ずる〟とは、なかなかに言えない。

昭和の風林史(昭和五七年六月二八日掲載分)

2018年07月12日

見ざる聞かざる言わざる

売り方は反省し、スタンスを変え、持久戦に耐える陣形に整備すべきである。

山川草木うたた荒涼という情景で人語らず。六月納会大受け渡しあとの疲労感が出ていた。誰もが『疲れました』と。

相場から降りる人は別として、長期戦の態勢に陣形を整備するため前二本限月の売りを手仕舞う。

これは一筋縄ではいかんと誰もが肝に銘じた。行政とか取引所サイドの規制などを期待したのが間違っていたという反省もある。

取引所は納会のあとでも『異常、異常言うが、一体どこが異常なんだ? 騒ぐほうの頭が、異常じゃないの?』というとらえかただった。多分にポーズもあろうが、まあ、そんなふうな受けとめかたであるということを認識しておくのもよいだろう。

値段としては、それほど動いていない。

要するに玄人の〝へそくり金〟をジグザグ相場の安値売り、高値踏みで減らしてしまった。

先限引け足線の二カ月足らずの値動きは結構一万一千円幅になる。

疲れ果てるのも当然か。

さて、小豆から、おさらばする人は別として、これからが本当の勝負どころだ。受けるだけ受けさせ、買うだけ買わせて、いいじゃないか、やるだけやらせれば、いつかは決着がつく。

相場の奥義は「見ざる、聞かざる、言わざる」。

いままでとは違ったスタンスで取り組む。

あとは天候・作柄である。

馬術の名人は鞍上人なく鞍下馬なし。六本木も桑名も意識せず、相場だけを見ていく。

シカゴの格言に「相場が気になる時は、ゆっくり眠れるところまで建玉を減らせ」―とある。

結局は、相場というもの常識に戻る。常識とは日柄と需要供給だ。

週間足は逆張り型。産地作柄良好。信ずる者は強し。くよくよしない。

●編集部註
 穀物相場は限月の移行が一つの節目に。つまり、この頃の時間帯である。
 結論から先に言うと、相場はここから半月かけて崩落する。当時のベストセラーのタイトルに準えて「積木くずし」の状態とでも呼ぼうか。
 この本の著者である穂積隆信の本業は俳優で、筆者が子供の頃見ていたTVドラマでは、主人公を邪魔する嫌味な敵役となると大概この人が演じていた気がする。時代劇なら悪徳商人で、大概最後に成敗される役だった。
 この本は翌83年にTVドラマ化され、これも大ヒット。更に映画化もされるが、著者である穂積やその家族、TVドラマで主役を演じた女優はその後に発覚したスキャンダルで波乱万丈の人生を送る事になる。

昭和の風林史(昭和五七年六月二六日掲載分)

2018年07月11日

将棋でいえば指し過ぎか

受けも受けたり御立派である。しかしこの戦いは勝てない。流れに逆らっている。

小豆当限納会は俵読みどおり淡々と表面は納まった。

先月に続いてまたも受けも受けたり、引くに引けん背水の買い方。これで勝敗の決着は七月に持ち越される。

受けた現物は一俵一カ月二百十円の倉敷料という時計が動く。一枚80俵で一万六千八百円。置いておくだけでこれだけの食い込みがある。

株券なら配当が付くけれど、小豆は品いたみ分の目減りをかぶる。

商品定期相場で受けなければならない立ち場に立たされることは、仮りにそれが作戦であろうと、上策とはいえない。

まして大量手持ち現物はヘッジされていないどころか七月限も八月限も九月限も大量買いポジションでは余りにもリスクが大きい。

買い方は、七、八、九の三限月に焦点を絞って戦線延長だが、兵站線が伸びすぎている。

これが敵地に糧(かて)を得られる戦いならば千里を行きても労せざるが、兵站線が伸びるだけ伸びての補給(臨増し、追証、倉敷、金利)だから、君の軍に患するもの三ツ有り―となる。

まして雲の流れは更に急を告げている。

二カ月連続大量受けは異常現象だ。

受けたことによりマイナスの要因を背負ったわけだ。

世間というものがある。社会というものがある。この業界では通用しても、世間様は常識をはずすと強い拒絶反応を示すものだ。

東京七八九枚。名古屋一一〇枚。大阪四二一枚。合計一三二〇枚は十万五千六百俵。

いずれにしろこの相場の決着は遠くない。

無理したとがめは大きいのである。

業界人は、ただ唖然としていた。言うべき言葉を失っては、まさに末期である。暴落刻々接近中。

●編集部註
 テクニカル的にも、この時の相場の決着は遠くなかった。
 4月、下降局面で大きなマドが出現する。
 6月、このマドを埋めにかかる。しかし完全に埋め切る事もなく、翌日に反転下落する。
 ここで、買い方にとっては痛恨の罫線になる。4月の時と同じようなマドが生じてしまうのだ。
 往々にして、マドは埋められるためにある。しかし、ここからの反騰場面では埋める事も能はず。
 つまりこの時、小豆相場は2つのマドを埋め切れず、2重の強力な上値抵抗線に往く手を阻まれていたという事になる。
 トレンドは切り下がり。少なく見積もっても3万 2000円コースである。

昭和の風林史(昭和五七年六月二五日掲載分)

2018年07月10日

受けて悪し、受けずば悪し

歩のない勝負だが引くに退けん買い方の頑張りには驚嘆する。詮ない突っ張りだ。

小豆は相場だけ見ていると醒めているが、売り方のトークが熱しているようだ。勝負ごとは、なにがなんでも勝たねばならん。買い方も防戦あいつとめ、目に見えぬ殺気ただよう中で本日納会。

真相は判らぬが『富士銀行に入っていた東京重機と旭有機株を14、16日、野村証券で換金して五十億円の資金ができた』から受け代金に心配ない―と、この業界の情報は、まるで人のポケットの中を見透すようなことをいう。

『本田さんは(板崎氏から)要請があれば十億円ぐらいまで、めんどうみてもよい』と考えていました―と。『ああそれで七、八、九の三本を買っていたのですか』。

思うのだが、いまの相場は、いちいち情報に神経をとがらせていたら、相場の本当の姿を見失う。相場の奥義は〝見ざる、聞かざる、言わざる〟。どんな相場でも常識に戻る。常識とは需要供給である。そして日柄だ。〝人を見て相場を張るな〟という言葉もある。誰が売っているから買うとか、誰が買っているから売るとかはよくない。相場だけ見る。なにごとにも毀誉褒貶(きよほうへん)はある。そのことが判っておれば付和雷同もしない。必らず相場の先行きが見えてくる。

その相場の先行きは納会受けて悪し、受けざれば更に悪し。買い方は決して楽な戦いを進めているわけでない。無理を承知の意地がある。また、誰だって損するのは嫌だ。

結局これは天が勝敗を決することになる。

畑振を衝いて予備枠を出せとか、政治家を動かしてどうするとか、これは感心せん。『きたない手使いやがって』と買い方は立腹するのが当然だ。しかし、相場の敵は怒るな、喜ぶな、絶望するな―である。

これは売り方にもいえる。待てばよいのである。待てないのは、建玉に無理があるからだ。崩れるしかないのだから焦るなかれ。

●編集部註
 先般紹介した鍋島高明氏の最新刊「相場名人/信条と生き方」(パンローリング)の中で、今回の記述で登場する人物の一人が小豆相場に翻弄される場面が登場する。
 平成の御代から、過去の文章と罫線を見ているだけでは伝わらぬ、人と市場のダイナミズムがこの本からは感じられる。
 合従連衡、臥薪嘗胆―。しばしば風林火山が記事の中で漢籍を引き合いに出す理由が何となく判る。
 反知性主義と不寛容が跳梁跋扈する現在、この記事しかり、この本しかり、鉄火場の中での知性と教養は、緩衝材と同時に爆弾である事を識る。

昭和の風林史(昭和五七年六月二四日掲載分)

2018年07月09日

下げエネルギーは超ド級

玉はほどけていないから、ますます悪くなっている。下げエネルギーは超ド級クラス。

小豆相場は「激水の疾き石を漂よわすに至るものは勢いなり」という場面に入った。

共産党機関紙〝赤旗〟が六本木筋の小豆買いを紙面で問題にしたことや国会でとりあげられ政治の場に持ち込まれたのを嫌気した。

「旌旗動くは乱るるなり」。納会を前にして、買い陣営に、なにか計算違いがあったように見えた。

渡し物について神経過敏なぐらい調査していた。先月にはなかった事だ。

納会25日は大暴落であろう。渡し物全量一手受けは不可能と見る。

当然売り方の親引で、二番限にすかさず売られて、逆ザヤの解消、仕手相場の終焉(えん)に向かうだろう。値段のほうは、かなりの安値に崩れる。

六月は魔の月である。本間宗久伝にも『六月崩し見ようのこと』と特に注意している。

来月新甫生まれの12月限はめった売りでモノになろう。七月第三週まで下げの基調が続くはずだ。

九限、十限の二千円~三千円圏でボックスになって取り組んだものが、二千円割れ→千五百円割れでバランスが崩れる。

買い方は受け代金よりも増証分と追証分の資金手当てが先決。枚数が大きいし名義も多いから大変だ。

売り方は利食い足が速い。そして流れが決まったと見れば勝負をかけてくる。在庫豊富。来月入荷結構多い。産地天候良好。作柄申し分なし。物の売れ行き極端に悪い。北海物続落。

これで納会全量受けて悪し、受けざれば更に悪し。まさしく進退谷まった図。

売り玉利食いしたあとの下げ幅が、一番おいしいところかもしれない。

●編集部註
 曲がり玉は我慢に我慢を重ねて保有するのに、アタリ玉はちょっと利益が出るとたちまち手放してしまうのは何故なのだろうか。永遠の謎である。
 相場のソの字も知らぬ頃、自分はそんなヘマはしないと思っていた。しかし、いざ現場に出るとやってしまうのである。
 つくづく相場は「未知への飛行」であると知る。この頃日本で公開された米国のサスペンス映画の題名である。2000年にジョージ・クルーニーやリチャード・ドレイファスの出演でリメイクされたので、そちらを記憶されておられる方もいらっしゃるかと思う。
 この作品、ある小説を原作にした映画と内容が似ていると訴訟沙汰になる。最後は和解して両方公開されたが、それがキュ ーブリックの名作『博士の異常な愛情』である。

昭和の風林史(昭和五七年六月二三日掲載分)

2018年07月06日

納会前に急変の可能性が

小豆相場は、一瞬にして場面が急変する瀬戸際まできている。それは日柄の疲れだ。

小豆は今月納会で洗いざらい渡せるものは全部渡すという動きだ。来月は来月で、なんとかなる。当限逆ザヤは荷を呼ぶばかりだ。

五月の小豆輸入通関八千二百二十七㌧。

小豆しか儲かるものがないから輸入は積極的。

産地の天候は申し分なく作柄も順調。

東穀は臨増しをかけた。

商いは展開待ちで閑散。

市場の常識として買い方は納会で大量受けするだろう―とみているが、ひょっとしたら、ひょっとだと思う。

孫子兵法「旌旗動くは乱るるなり。吏怒るは倦みたればなり」―と。

買い方陣営にジレンマが見える。作戦の齟齬である。

納会接近とともに一瞬にして期近限月から崩れだす相場つきになってきた。

早やければ23日。遅くとも25日あたりに兆候が出る。

薄商いを衝いて買い方が買ってきても、場はシラけて、買いたければ買わせておけという空気だし、納会受けるなら受けさせればよいと、突き放している。

逆らわず、なびかずの方針で、実勢遊離したところを狙い定めて売る。

「その戦を用うるや勝つも久しければ兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば力屈す。久しく師を暴さば国用足らず。則ち諸侯その弊に乗じて起る。知者ありと雖もその後を能くすることあたわず。故に兵は拙速を聞くも未だ巧なるの久しきを観ず」。

長すぎる戦いの不利を孫子は説いている。

相場でいう日柄による自壊がそれだ。音たてて崩れる日を待つだけ。

●編集部註
 プロは売りが主戦場である。
 梶山季之の小説『赤いダイヤ』でも主人公に対峙する相場師は〝売り屋〟であった。
 小説では、中盤に買い屋が一敗地に塗れる場面が出て来る。そして終盤、反撃に出た怒涛の買いによって売り屋の顔が蒼ざめる所でクライマックスを迎える。
 この当時、売り方は小説の中盤を、買い方は小説の終盤を夢想していたと見る。それほど、人口に膾炙した作品であった。
 丁度来月1日、パンローリングから「相場名人/信条と生き方」という本が出版される。これは、著者の鍋島高明氏が日本経済新聞社に在籍していた頃から手掛けていたコラム「相場師列伝」の中から、商品先物市場で活躍した56人の相場師の記述をまとめたものである。
 当然「赤いダイヤ」のモデルになった相場師も実名で登場する。

昭和の風林史(昭和五七年六月二二日掲載分)

2018年07月05日

基調崩れの暴落が接近す

小豆相場は暴落の接近を感じさせる。基調根底から崩れるシグナルも出ている。

月末にかけて小豆相場は崩れそうだ。

トレンドは先限四千二百円があってもよい波動だったが、とどかずに折れた。

五月6日安値から千八百五十円高。同14日から千七百七十円高。同25日から千八百四十円高(大阪先限)と肩上がりのトレンドはそれぞれ千八百円高で三ツの山をつくった。

この千八百円という値幅は多分証拠金幅と関係があるのだろう。

五月10日、20日、六月3日の頭・頭・頭をむすぶ斜線に並行して、五月6日、14日、25日、六月10日の安値・安値・安値をむすぶ線の中の相場だった。

が、いま二千八百円を割り、二千六百円、二千三百円を先限が大引け足で割ってくると、五月からの基調に変化が生じたシグナルと判断すべきだ。

月曜21日は今年二回目の日食(一月25日)だった。来月も21日に日食がある。そして暮の15日と今年は大正六年以来日食が四回もある。日食は古代人をして畏れさせた。米相場時代は相場流れを変えると信じた。現代は月齢を重視する。

早渡し希望と早渡しが逆ザヤ当限に集中する。

今月納会買い仕手は受けなければ暴落がくる。

相場の流れを見ていると23日、24日あたり日柄の最大急所に当たり気崩れに移るかもしれない。

いかなる相場も日柄には勝てない。

仮りに仕手筋が防戦するとしても段々散発的になり、実勢との遊離が顕著になるばかりだ。

攻めて攻められず、守りて守られず、兵法でいう「破れ」が接近していることを相場が暗示しだしたように思う。

●編集部註
 出星前夜―とでも形容出来るだろうか。近々新作が出る飯嶋和一の小説のタイトルである。
 西洋占星学にもベネフィットやマレフィットという言葉で表されるが、東洋でも吉星と凶星という星の分類がある。
 木星は吉星とされる。とある戦国武将は武運を木星に尋ねたとか。
 有名なのは九鬼水軍を束ねし海賊大名、九鬼氏の家紋「七曜紋」。そのルーツは北斗七星にある。
 その昔、航海に北極星に必要不可欠な存在であった。この星を見つけるために北斗七星は大事な道しるべであった
 船乗りの星読みは我が身の命がかかっている。
 相場師の罫線読みも我が身の命がかかっている。
 歪な商いに崩れかかる小豆相場の中で、どうやら風林火山は凶星を見つけたようだ。

昭和の風林史(昭和五七年六月二一日掲載分)

2018年07月04日

超閑散で誰もがぶ然たり

売らず、買わず、黙然と見送られている小豆市場は超閑散。憮然たる表情である。

中・四国・九州方面は海外商品業者が日経紙などに折り込み広告を入れ、派手な営業を展開し、海外の石油、コーヒーなどの相場で大衆からお金を集めている。

一方、わが商取業界は、ほとんどが玄人の投機家ばかりになった。

一部、輸入大豆市場には大衆資金も入っているが、相場は膠着して建玉は張りついてしまった。

ゴムも繊維も乾繭も、そして生糸も小豆も薄商い。

せいぜい精糖が値動き次第で賑わう程度である。

これでは困る困ると取引員各社悲鳴をあげるわけだ。

17日など小豆の出来高は三市場合計三千二十九枚と近頃にない薄商い。

相場する人たちの玉は売りも、買いも張りついたまま。

新規は様子眺めで入らない。相場金言に〝閑散に売りなし〟というのがあるけれど、産地の増反と、まずまずの天候を見れば平年作予想だし、在庫は多い。まして不需要期。

現物筋の庭は、カラカラとはいえ、早渡しは出る。要するにガリバー的巨大買い仕手の存在が、人気を離れさせた。

いま小豆相場をしている人は、まがりなりにも皆玄人である。大きな玉は建てなくとも相場強弱は自分で持っている。

それらの人が、なんとも割りきれない気持で小豆市場を見ている。

売り込めば高くなることも、天気が崩れたら上に行くことも百も承知の人ばかりだが、今月も受け、来月も受け、どこまでも買っていくという、そういうことが、できるのかという疑問がわだかまるのである。

●編集部註
 行間から、この時の相場、市場、取引所、監督官庁等々、あらゆる相場関連事項に対するニヒリズムのようなものが漂っている。眠狂四郎の世界だ。作劇の世界では円月殺法で一刀両断できるが、現実はそうもいくまい。
 犯罪になってしまう。
 書いていて思い出す。
 1990年代、金相場は下降相場であった。買っては下がり、買っては下がりが続いていた。
 1995年に反転し、遂に上昇トレンドになったかと思ったのもつかの間、翌96年は箸にも棒にも掛からぬ保合相場となり、97年からは約3年弱売り相場が続いた。
 当時は手口が公開されており、大手商社が売りまくり。〝天誅!〟と叫びつつ本社ビルに火をかけようかと夢想したものだ。
 ただ、今になって言えるのは「止まない雨はない」という事である。