昭和の風林史(昭和五七年六月二三日掲載分)

2018年07月06日

納会前に急変の可能性が

小豆相場は、一瞬にして場面が急変する瀬戸際まできている。それは日柄の疲れだ。

小豆は今月納会で洗いざらい渡せるものは全部渡すという動きだ。来月は来月で、なんとかなる。当限逆ザヤは荷を呼ぶばかりだ。

五月の小豆輸入通関八千二百二十七㌧。

小豆しか儲かるものがないから輸入は積極的。

産地の天候は申し分なく作柄も順調。

東穀は臨増しをかけた。

商いは展開待ちで閑散。

市場の常識として買い方は納会で大量受けするだろう―とみているが、ひょっとしたら、ひょっとだと思う。

孫子兵法「旌旗動くは乱るるなり。吏怒るは倦みたればなり」―と。

買い方陣営にジレンマが見える。作戦の齟齬である。

納会接近とともに一瞬にして期近限月から崩れだす相場つきになってきた。

早やければ23日。遅くとも25日あたりに兆候が出る。

薄商いを衝いて買い方が買ってきても、場はシラけて、買いたければ買わせておけという空気だし、納会受けるなら受けさせればよいと、突き放している。

逆らわず、なびかずの方針で、実勢遊離したところを狙い定めて売る。

「その戦を用うるや勝つも久しければ兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば力屈す。久しく師を暴さば国用足らず。則ち諸侯その弊に乗じて起る。知者ありと雖もその後を能くすることあたわず。故に兵は拙速を聞くも未だ巧なるの久しきを観ず」。

長すぎる戦いの不利を孫子は説いている。

相場でいう日柄による自壊がそれだ。音たてて崩れる日を待つだけ。

●編集部註
 プロは売りが主戦場である。
 梶山季之の小説『赤いダイヤ』でも主人公に対峙する相場師は〝売り屋〟であった。
 小説では、中盤に買い屋が一敗地に塗れる場面が出て来る。そして終盤、反撃に出た怒涛の買いによって売り屋の顔が蒼ざめる所でクライマックスを迎える。
 この当時、売り方は小説の中盤を、買い方は小説の終盤を夢想していたと見る。それほど、人口に膾炙した作品であった。
 丁度来月1日、パンローリングから「相場名人/信条と生き方」という本が出版される。これは、著者の鍋島高明氏が日本経済新聞社に在籍していた頃から手掛けていたコラム「相場師列伝」の中から、商品先物市場で活躍した56人の相場師の記述をまとめたものである。
 当然「赤いダイヤ」のモデルになった相場師も実名で登場する。

昭和の風林史(昭和五七年六月二二日掲載分)

2018年07月05日

基調崩れの暴落が接近す

小豆相場は暴落の接近を感じさせる。基調根底から崩れるシグナルも出ている。

月末にかけて小豆相場は崩れそうだ。

トレンドは先限四千二百円があってもよい波動だったが、とどかずに折れた。

五月6日安値から千八百五十円高。同14日から千七百七十円高。同25日から千八百四十円高(大阪先限)と肩上がりのトレンドはそれぞれ千八百円高で三ツの山をつくった。

この千八百円という値幅は多分証拠金幅と関係があるのだろう。

五月10日、20日、六月3日の頭・頭・頭をむすぶ斜線に並行して、五月6日、14日、25日、六月10日の安値・安値・安値をむすぶ線の中の相場だった。

が、いま二千八百円を割り、二千六百円、二千三百円を先限が大引け足で割ってくると、五月からの基調に変化が生じたシグナルと判断すべきだ。

月曜21日は今年二回目の日食(一月25日)だった。来月も21日に日食がある。そして暮の15日と今年は大正六年以来日食が四回もある。日食は古代人をして畏れさせた。米相場時代は相場流れを変えると信じた。現代は月齢を重視する。

早渡し希望と早渡しが逆ザヤ当限に集中する。

今月納会買い仕手は受けなければ暴落がくる。

相場の流れを見ていると23日、24日あたり日柄の最大急所に当たり気崩れに移るかもしれない。

いかなる相場も日柄には勝てない。

仮りに仕手筋が防戦するとしても段々散発的になり、実勢との遊離が顕著になるばかりだ。

攻めて攻められず、守りて守られず、兵法でいう「破れ」が接近していることを相場が暗示しだしたように思う。

●編集部註
 出星前夜―とでも形容出来るだろうか。近々新作が出る飯嶋和一の小説のタイトルである。
 西洋占星学にもベネフィットやマレフィットという言葉で表されるが、東洋でも吉星と凶星という星の分類がある。
 木星は吉星とされる。とある戦国武将は武運を木星に尋ねたとか。
 有名なのは九鬼水軍を束ねし海賊大名、九鬼氏の家紋「七曜紋」。そのルーツは北斗七星にある。
 その昔、航海に北極星に必要不可欠な存在であった。この星を見つけるために北斗七星は大事な道しるべであった
 船乗りの星読みは我が身の命がかかっている。
 相場師の罫線読みも我が身の命がかかっている。
 歪な商いに崩れかかる小豆相場の中で、どうやら風林火山は凶星を見つけたようだ。

昭和の風林史(昭和五七年六月二一日掲載分)

2018年07月04日

超閑散で誰もがぶ然たり

売らず、買わず、黙然と見送られている小豆市場は超閑散。憮然たる表情である。

中・四国・九州方面は海外商品業者が日経紙などに折り込み広告を入れ、派手な営業を展開し、海外の石油、コーヒーなどの相場で大衆からお金を集めている。

一方、わが商取業界は、ほとんどが玄人の投機家ばかりになった。

一部、輸入大豆市場には大衆資金も入っているが、相場は膠着して建玉は張りついてしまった。

ゴムも繊維も乾繭も、そして生糸も小豆も薄商い。

せいぜい精糖が値動き次第で賑わう程度である。

これでは困る困ると取引員各社悲鳴をあげるわけだ。

17日など小豆の出来高は三市場合計三千二十九枚と近頃にない薄商い。

相場する人たちの玉は売りも、買いも張りついたまま。

新規は様子眺めで入らない。相場金言に〝閑散に売りなし〟というのがあるけれど、産地の増反と、まずまずの天候を見れば平年作予想だし、在庫は多い。まして不需要期。

現物筋の庭は、カラカラとはいえ、早渡しは出る。要するにガリバー的巨大買い仕手の存在が、人気を離れさせた。

いま小豆相場をしている人は、まがりなりにも皆玄人である。大きな玉は建てなくとも相場強弱は自分で持っている。

それらの人が、なんとも割りきれない気持で小豆市場を見ている。

売り込めば高くなることも、天気が崩れたら上に行くことも百も承知の人ばかりだが、今月も受け、来月も受け、どこまでも買っていくという、そういうことが、できるのかという疑問がわだかまるのである。

●編集部註
 行間から、この時の相場、市場、取引所、監督官庁等々、あらゆる相場関連事項に対するニヒリズムのようなものが漂っている。眠狂四郎の世界だ。作劇の世界では円月殺法で一刀両断できるが、現実はそうもいくまい。
 犯罪になってしまう。
 書いていて思い出す。
 1990年代、金相場は下降相場であった。買っては下がり、買っては下がりが続いていた。
 1995年に反転し、遂に上昇トレンドになったかと思ったのもつかの間、翌96年は箸にも棒にも掛からぬ保合相場となり、97年からは約3年弱売り相場が続いた。
 当時は手口が公開されており、大手商社が売りまくり。〝天誅!〟と叫びつつ本社ビルに火をかけようかと夢想したものだ。
 ただ、今になって言えるのは「止まない雨はない」という事である。

昭和の風林史(昭和五七年六月十八日掲載分)

2018年07月03日

関係穀取無策無能無責任

極度に商い細る。穀取の無策、無能に対する無言の抗議である。

『週刊新潮』24日号に〝赤いダイヤを買い占めるナゾの韓国資金五十億円〟という、六本木筋等に関する記事が、業界で話題になっている。

公明党のⅠ先生は『IQ物資の小豆が、このようなナゾの資金で買い占められ、取引所機能が社会的に問われだしたことは、ゆゆしき問題である』―と。

農水省畑振には『今月も仕手筋が大量現受けするようなら即座に小豆輸入の予備枠を出すべきだ』と、役所の上層部に実需筋が運動するもようである。

予備枠を出せば先行きの需給は失調するから、そう簡単に出せない。

しかし現在進行している買い占めが今後も続くようなら、政治的配慮があり得ないとは断言できない。

東穀は21日市場管理委員会を開く予定。

今までの流れからみると〝異常なし〟ということで終わるかもしれない―と業界は期待していない。

仕手には今月も受けさせればよいじゃないかという声もある。

買い方の正体も、こうやって(週刊誌に書かれて)判明してきたのだから、世間の目が商取業界に集まる。

結局は取引所の無策、無能が天下に知らされ、なにをしているんだ―となる。

『異常ないない言いながら、ここまで玉がふくらんで、打つ手がないから異常ない。ハハのんきだね』。

相場のほうは超閑散だ。これには業界誰もが困っている。取引所が信頼を失い、市場が不信感を持たれたら衰微するしかない。

衰微した市場の相場に強気も弱気もあったものでない。誰もが納得できる市場になるのを待つのみ。

●編集部註
 この前日、82年6月17日の東京小豆の出来高は1191枚。総取組組は4万2041枚であった。
 1カ月前、5月17日の出来高が4893枚、総取組高が3万7330枚であったので、この時の小豆相場は、商いが薄く、既存玉が宙に浮いた格好になっていると表現する事が出来よう。
 知ったら仕舞い―。手垢ががつくほど人口に膾炙した相場格言だが、この手の一般週刊誌にスキャンダルめいた記事が載ると、それは一つの相場の終焉が目の前に迫っている事を示している。
 良かれ悪かれ穀物相場は生ものであるが故に、実需目的でなく投機目的で参加した買い方は、納会でどう動くのか、果たして現物を受けるのか否かに、当時の市場参加者がみな注目している。

昭和の風林史(昭和五七年六月十七日掲載分)

2018年07月02日

超閑散は穀取不信感表示

誰も手を出さなくなった。穀取は夢遊病者みたいになっている。困ったことだ。

例年なら照った曇ったで産地の天候が敏感に反映して商いも賑やかな小豆相場であるが、こんな相場になると手を出す人がいない。取引員経営者も歩合セールスも、今の状態が続いたら、お手上げだと頭をかかえている。

〝常識的売り〟は納得できない負けかたをして、今の小豆市場は釈然としない。天候が悪いとか、作柄にキズがついたとかいう理由で踏まされ、損する分には自分で納得できる。

業界には新規20枚まで三カ月―という自主規制がある。取引所はこれについてことのほかやかましくいうが、買い仕手が名義を割って、割った名義で期近限月を買い、納会現引きする。建前からいえば、素人中の素人が当限を買って現物を受ける―という事態がおかしいし、まして現物流通に、まったく無関係の人たちの、このような行為について取引所は、手も足も出ない〝おびえかた〟だ。

取引所は相手によって火のついたようにやかましくいったり、まるで腰が抜けたようになったりでは困る。

―そのような声が業界で日に日に高まっている。

小豆期近限月は価格操作の疑いが濃いはずだ。役所は取引所に厳重に注意している―というが、取引所は、なにかに恐れをなしているみたいで、これは一体どういう事か。

権威と秩序と機能を失いつつある取引所は、百害あって一利なし、小豆の市場は閉鎖しろ―と国会で糾弾されたり、当業者業界から弊害が叫ばれたりすれば小豆は上場廃止の運命をたどることになる。

商いはまったく落ち込んでしまった。穀取の腰抜け無能に抗議している。

●編集部註
 市場は〝しじょう〟と読んだり〝いちば〟と読んだりする。どちらも売り手と買い手が揃わないと商いが成立しない。
 お客さんあっての取引所なのだが、どうも〝いちば〟である感覚が運営側に無いのだろう。故に「相手によって火のついたようにやかましくいったり、まるで腰が抜けたようになったりでは困る」と苦言を呈されてしまう。 常連の太客ばかりを優遇し、チンケな客を冷遇するような〝いちば〟に人が集まるわけがない。
 本来、市場は客を集めてナンボ、集まってナンボの世界なのである。
 太客は、ある日突然いなくなる。
 江戸時代、雁金屋という超高級呉服屋があった。東福門院という上客を抱え、当時の文化の最先端を走っていたが、東福門院崩御と共にあっけなく破産してしまった。

昭和の風林史(昭和五七年六月十五日掲載分)

2018年06月29日

まず売り過ぎのとがめが

無茶苦茶な高値は出ないと思う。確かに売り過ぎた。煎れ一巡を待つ場面で忍耐。

産地に水霜が降りたということから被害はなかったものの玉負けしている売り方が踏んで、これに買い方が手仕舞いの売りを入れていた。

東穀は15日が定例理事会で、そのあと市場管理委員会が状況によって開かれる。東穀森川常務は『読売新聞など一般紙の記者が世間でいわれている六本木筋の小豆買いについて取材がふえた』そうだ。

市場人気としては『この相場は下がらん』というムードになった。

『(1)常識人は皆売っている。(2)オーバーヘッジ気味だし。(3)だから弱い材料のすべてを織り込んで、(4)しかも売りは玉負けだから暴落しようがない』(岡地東京岸上昌氏)。

確かに純相場論の〝人気と内部要因〟面からいえばその通りである。

しかし、弱材料織り込みとはいえ、強材料は、人気の弱さと売り込んだ取り組みだけで、強いていえば今月渡し物東京六五〇枚、大阪四〇〇枚、名古屋七〇枚の計千百二十枚が、全部渡ってしまうと来月完全な品ガスレになる。

買い方は値洗い差金で現受け資金が賄えるだけに無規制化した市場であれば戦いは有利に展開する。

要するにこれは現場と定期を完全に牛耳ってしまえばの話。

一般的には『先に煎れが出てしまうのかな』という見方になっている。

それにしても『こんなことでいいのだろうか。明らかに市場秩序もルールも踏みにじられて取引所の無力さを見せられる思い』と、非難が高まっている。

考えてみれば仕手崩れを期待して売り込んだ側の読み違えかもしれない。市場ルールの上では、あり得ないと考えた常識が常識でなかったということ。

もう一ツは、10人のうち9人が弱気では下がらんという相場の哲理。

だが、一巡煎れが出れば市場は収拾に向かっている時だけに本筋の流れに戻るはずだ。

●編集部註
 本来なら、チェアマンは毅然とした態度で紛糾している現場を差配しければならない。
 これをなぁなぁにすると必ずどちらかの怨嗟の的になる。ただでさえもめている。結果的に火に油を注いでしまう事になる。その典型としてこれからの事象をお読みいただくと判りやすいい。
 この当時、小豆相場は「赤いダイヤ」という言葉で一般に認知されている。
 富裕層が札束で不毛な殴り合いを繰り広げているのだから、相場をしない者からすれば上級の見世物となっている。

昭和の風林史(昭和五七年六月十四日掲載分)

2018年06月28日

今週が最大の山場である

小豆業界は存亡の危機感を強めている。無理がどこまで通るのだろうか。

小豆業界は『それでも私は買う』というふうな買い方の煽りめいた手に業界は不快指数を高め、こんなことを続けていたら小豆市場はふっ飛んでしまうと深刻化している。
『関係取引所は事態をどこまで認識しているのか』。『市場管理面だけでなく取引員としてのモラルの面を行政当局は指導できないのか』。

いろいろうっ積しているものを筆者のところにぶつけにくる電話がひきもきらない。
『今月納会受けるのか受けさせるのか』―と。

そういうことは判らん。

ただ、流れというものを見ていたら(1)お天気は上々。(2)作柄は順調。(3)作付け増反。(4)今月の入荷入船順調。(5)渡し物豊富。(6)逆ザヤで現物の売れ行き悪化。(7)人気離散―と、相場要因は決して買いに味方していない。

ただ、人気が非常に弱いという現実ではあるが、異常市場だけに、これは平常時と同じような見方はできない。

テクニカルな面からいえば五月10日、19日、六月3日の大引け星足は中段の三番戻し完了で、日柄30日を経過しているだけに、下げだすと怖いことになる。

役所や東穀は場を潰さんよう慎重な態度で収拾策を考えていると思うが、はたから見ていたら手ぬるく感じる。しかし今週あたりから、アヒルの水かきも表面的な動きになろう。

このまま放置すれば場が潰れる―という危機感が日毎エスカレートしているのは取引所自身だ。

相場は強弱の段階を通り過ぎているかもしれないが、先週の買い方の行動を見ていると焦燥の色が非常に強く出ていた。

業界世論と現物の重味と味方せぬ天候の三重苦を背にすれば心中察するに余りある。しかし、天の理味方せぬ戦いは勝てない。

●編集部註
 依然もハント兄弟の銀買い占めを引き合いに出し、風林火山は腕力相場の限界を説いた。
 曰く、必ず失敗すると―。実際にそうなる。
 天然の流れを逸脱させると、必ずその咎めを受けるのは自明の理である。
 さてこの時期、英国とアルゼンチンとの間で4月に勃発したフォークランド紛争が終結している。
 その少し前にロッキード事件の公判で現役の政治家に実刑判決が下されている。
 全体的に見てこの頃、一つの事象における何らかの節目を迎える時間帯に入っているような印象を受ける。
 狂乱の小豆相場も例外ではなかった。

昭和の風林史(昭和五七年六月十二日掲載分)

2018年06月27日

下げトレンドは厳然たり

相場というものは結局は流れに、ゆだねられる。無理や焦りから離れ、自然に帰る。

穀取業界は、イライラ気分が高まっている。輸入大豆相場が動かん。小豆の商いは細る。

商取業界全般に焦燥感と不快指数が上昇している。

この現象は商品界だけでなく証券界も似た現象。

さて小豆は、北海道の作付け面積27%増=三万四千七百㌶。この数字は早くから伝わっていたから一応織り込み済みと片づけられた。
しかしお天気のほうは至極順調。昨年好成績だった〝エリモ小豆〟がふえているから、53年(三万四千百㌶)の反収三・六俵を上回るかもしれないという予想。

四市場在庫のほうは昨年五月末二十万三千二百八十七俵。今年五月末は二十三万九百九十六俵。
昨年と今年では輸入枠の違いが大きい。
また海外雑豆市況は全般に去年の半値近い値下りだ。
高いのは小豆だけである。
今の小豆市場は取り組みの片寄りと現物の偏在で、なんとも異様だが、これもどこかで決着がつくだろう。その時、価格は、どのあたりで自然の姿になるのか。
東西取り組み合計は漸増。去年の今時分に比較するとまだ六千枚ほど少ないが、去年の異常気象による市場人気の燃えかたと、現在の豊作ムードに逆行する仕手介在市場の醒めた人気とでは随分開きがある。
ところで精糖先限の水準は60カ月前の六月13日安値(百七十八円)近くまで下げて相場商品の帰巣性という怖さを再認識させた。
では小豆の60カ月前の値段は?といえば二万六千円~七千円である。近年一番安かったのは53年一月発会一万八千二百九十円。
この年は豊作で六月26日三万二千四百十円で早々と天候相場の天井を打ち二万二百八十円まで崩れた。
相場の帰巣本能というものは、怖いと思う。
●編集部註
 高いのは小豆だけ―。
 よろしい。ならば売ろうではないか、と売り屋は考える。商品先物の華はカラ売りにある。
 ここで、この当時の日経平均株価と東京小豆相場の週足を並列で比較してみよう。
 1981年終盤から翌年序盤にかけて、日経平均は7000~8000円であった。この時、小豆のレンジは1万600 0~8000円。これが2年半後には、ほぼパリティの関係に。資金が株式に流れていくさまが非常によくわかる。

昭和の風林史(昭和五七年六月十一日掲載分)

2018年06月26日

武士は食わねど玉受けん

相場に疲れが出ている。山雨まさに来たらん。小便一町糞八町。小豆の崩れ三千丁。

今年の北海道は〝エリモ小豆〟という新品種が七割ぐらいを占めるのでないかと。

この〝エリモ小豆〟は収穫期が非常に速い。ということは早霜被害が、まず心配ないこと。

もう一ツはイールド(反収)が高い。反当たり四俵などともいわれている。

北海道は、きわめて順調な気象に恵まれ、始めよければあとよし。早くも豊作という予想が出ている。

このような時に、天候思惑の大量買いポジションはリスクが大き過ぎる。

更に市場管理が厳しくなるおり、大勢、大局の流れに逆らう腕力相場は自らを窮地に追い込むだろう。

業界は『六本木筋の買い玉は自粛要請もあって受けない』機運。各社ともお腹は減っているけれど、武士は食わねど―という姿勢を採っている。

場ぐせとしては大引け高い。これは買い方が場勘定を考えて煽るから、この大引けを売ればよい。朝は安い。朝から気温上昇で売られる。

だから大引け売りの翌朝、利食いが目先師のパターン。

そのうち地すべりする。

誰かがいっていた。買い屋に今月も受けさせたらよい―と。千枚はある。

先月受けたうちの東北産に、かなり悪い品物があった。値引きはするものの受け方の目減りも大きく、金利、倉敷の時計の針も秒を刻んで肩に食い込む。

先限は千円棒を入れた。寸退尺進ではなく尺軟寸硬の値はこび。

ヒネ限月の割高感が、いずれ暴落を呼ぶ。まさに軟風競うて堂に満ち山雨来たらんと欲す。

無理した相場のとがめは大きいとしたものだ。

●編集部註
 襟裳の春は何もない春です―。
 当時隆盛を誇ったフォ ークソングの旗手であった吉田拓郎が曲を書き、岡本おさみが詩を書いた「襟裳岬」が大ヒットしたのが1974年。そこから8年経って小豆相場では〝エリモ小豆〟の話題が業界紙の話題に上っている。筆致は、どことなく冷めている。
 札束の殴り合いによって、本来なら社会貢献の場であった市場のメカニズムが崩された事への静かな怒りも感じる。
 悪貨は良貨を駆逐する、とはけだし名言である。古今東西、業界を問わず、どの世界でも、目先しか見えず、自己中心的かつ強欲にして狡猾な馬鹿がシステムを崩す。
 平成も残り僅か。新聞を読むと日本の卸売制度を変える動きがあるという。種子法も変えられた。労働制度も変わる。現在、崩壊真っ只中である。

昭和の風林史(昭和五七年六月十日掲載分)

2018年06月25日

五年前の今時分パニック

あれは五年前。無理した相場が『六月崩し見ようの事』でパニックになった。
 
強力買い仕手の介在しない小豆なら、今時分は増反、順気で大下げしているところだ。
北海道現物市況も定期先限も仕手に関係ないところで値下がりしているし小豆の先行相場である大手亡豆が、やはり下げている。
罫線では大引け止め足を引いている人は判るが〔上段の天井〕三山が二月9日、23日、四月1日。
現在は〔中段の天井〕三山ができた。五月10日、19日、六月3日の頭がそれだ。
この〔中段のモミ〕が、いかにも一番、二番、三番、四番と底型に見えるところが、この相場の曲者で、仕手による安値買い支えによるもの。これは相場、自然の流れといえない。
節足(大阪)先限引き継ぎは三千二百七十円から売りになって、一番早いシグナルを出していた。
東西取り組み合計は七万五千枚台。五月4日の六万二百枚から一万五千枚がふえたわけだ。
これからは規制と自粛要請で、ほどけていくことになろう。

六本木筋は、あの店、この店と流浪の旅に出たような玉の出し具合い。『それでも私は買う』と、大阪にも出てくるようだ。
昔、泣く子と地頭には勝てんといった。いかな六本木筋といえど産地のお天気には勝てないのだが。
今までは無理が通れば道理が引っ込む。安値売らず戻り売れ―に徹してきたが、相場は、とみに疲労の色が濃い。農水省上層部もⅠQ物資買い占めや、異常取り組みに対して動きがあわただしくなった。
それはそれとして、相場は相場に聞け。トレンドも下げの切り込みが鋭角帯に入っている。流れというものは、どうしようもないもので、堰止めていたものが決壊すると、あとはなだれ山津波。無理した相場の怖さは五年前に見ている。

●編集部註
 5年前、1977年の小豆相場は売り方天国/買い方地獄の1年。この年に「普通の女の子に戻りたい」と解散を発表したキャンディーズのように、普通の生活に戻りたいと嘆く買い方は幾万といたかと思う。
 相場は76年12月から8週間上昇して以降、19 79年の大発会まで、途中数週間の反発局面は数回あった以外は軒並み下降相場であった。
 77年2月3日に東京市場で3万6500円であった相場は、同年12月6日には1万8360円になっていた。つまり、10か月で半額である。これが証拠金取引ならどうなるかは想像がつこう。