風林火山のニコニコ相場様 2023年10月28日

人様の不幸を喜ぶ

『賀辞に憂いあり。弔事に歓声あり』ということを聞いたことがありますか。

人間の心の貧しさを教えている。韓非子だったか、三国志だったかにあった。

賀辞とは、昇進とか、栄転、叙勲。おめ出とう。

人様から賞賛を受ける。

『しかし』考えてみる賞賛の言葉の裏には『あの野郎め』とか、『なんであいつが』という面白くない人もいる。

勿論、素直に、心から喜んでくれる人もいる。

しかし、階級社会や、組織の中では、そうでもない。

弔事に歓声ありという言葉も嫌な言葉である。

まさか、人様の不幸に『やったぁ』と声に出さない。

しかし心の奥底で、次は私が次官だ、局長だ、専務だ、社長だという順番待ちの人も多かろう。

知事閣下が警察に逮捕されたら相手陣営は、歓声を上げるかもしれない。

人様の幸福を喜ばず不幸を喜ぶのは、品性下劣である。そんな心が、ちょっとでもあったら、今すぐに改めたほうがよい。自分の運勢が落ちていくだけだ。

嫌いな言葉に『隣家の不幸は、おかずいらず』、あるいはフグの味というのがあります。

隣の家の娘が離婚され帰っている。また長男が大学受験に失敗した。

晩の御飯の時に、それが話題で、おかずなしでも、御飯がおいしいというのは不幸だ。

世の中には、色々な考えを持っている人がいるから『賀辞に憂いがあり、弔事に歓声あり』の次元でもあろう。

女性週刊誌の新聞広告などを見ると、多分に編集の基本方針は、この世界の次元である。それを読みたがる読者が多いのだ。

ゴシップ、暴露、スキャンダルが週刊誌の売れ行きを左右する。

嫌な世の中だといっても、論語や孟子の世界でない。

三千年昔から変わらない。

人間は、人様の心の奥底が覗けないから、社会は、うまくいっている。

2007年1月記