昭和の風林史(昭和五七年十月七日掲載分)

2018年11月02日

小豆は買える段階でない

小豆はまだ底が入っていない。輸大売り。生糸も売り。相場は時間調整の待ちの姿。

二日ほど豊橋取引所のご案内で秋たけなわの東三河地方蚕糸業視察ご同行14人に加わった。詳しくは、あらためて書くつもり。

そんなことで相場から離れていたが小豆は閑。輸大期近の波乱。生糸堅調。

円のみ、だだ下がり。

小豆はこのあたりどうなんだろう。

常識的には、このあたりもう底値だろう―となる。

そして二万八千円は割らんだろう―と。

人気に決め手がないから、強弱も定まらない。

線型や日柄などからいえば、下値を残している。

二万八千円を割って、投げさす場面があると思う。

人気が、まっ黒になるという極度の弱気になる場所が、この先どこかでなければ、年間の大底というものはできない。

ということは、値頃観による強気が、まだ残るあいだは、立ち直れない。

だからといってこの小豆を売る気もなければ、買う気もない。

要するに強弱なしである。強弱はないけれど、秋底はまだ入っていないと思うし、二万八千円は割るとみる。

輸入大豆は円安という基盤の上の期近品薄という相場で、先のほうの限月は上にも行けず、下げもならずだ。

これで円が底入れして急反騰に転ずれば、輸大に下げ足がつく。円は陰の極にきている。

当限については戻り三番天井を取る格好で、納会までには時間もあるし、いまから強行突破は息切れしよう。二番限の戻り売りが判りやすいように思う。

生糸、乾繭は無風だが、金屋が売ってくれば、買うという手口。

金屋売りに対する反感というものが市場を支配しているようだ。

相場としての生糸は、くたびれている。

●編集部註
 小学館から出ている「戦後史年表」を読むと、この日行われた全国農協大会で、農産物輸入自由化拡大阻止特別決議が採択されたとある。
 昔は農協の力が強かった。筒井康隆の小説「農協月に行く」に代表されるように、どちらかというと粗野で無知蒙昧。醜悪な成金のイメージで描かれるケースが多かったように記憶している。
 一時期、ニュースになった爆買い中国人あまり変わらないイメージだ。
 バブルの時、日本人も5番街に殺到した。それを考えると、日本は没落したのだと再認識する。

昭和の風林史(昭和五七年十月六日掲載分)

2018年11月01日

悲しきは秋風ぞかし…

売るべし、買うべし休むべし。休むも相場。休んで人気の流れがどうなのかをみる。

かなしきは秋風ぞかし―と啄木はうたった。日の暮れも早くなる昨今、追証取り、きょうはどこまで行ったやら。

相場の荒れたあとのセールスマンこそ悲しけれ。

相場というものは、ある日突然一発ドカンだと思う。この一発ドカンを取る側に回るか、斬られる側に立つか。

ふり返ってみれば小豆の二万九千五百円あたり、玄人という玄人皆強気だった。そして、それらの人の口にする材料は、確かにその通りだったと思う。

しかし相場は別であると書いた。

ファンダメンタリストは理路整然と曲がるという。

ヒットラーの法則というのもある。できるだけ具体的に数字を並べて大嘘をつけ。必らず信ずる―と。

人間は弱いものであるから、迷うと人の意見が聞きたくてしょうがない。それも、自分のポジションの逆の人の意見ではなく、自分の期待値(ち)を十分に満足させるか、それ以上に頼り甲斐のある強弱を垂れてくれそうな人に相場どうだろう?と、すがる。

それは確かに逆境の時の一時的鎮痛剤ではある。

そしてこの鎮痛剤は、ほとんどの場合、あとからの副作用が大きい。

相場格言に「迷わば休め」というのがある。

その通りだと思う。迷った時に、逆のポジションの人の意見が聞けて、損切り、ドテンができるような人はほとんどいない。

であるならば「迷わば休む」しかない。

げに相場こそ難かしけれ。曲がった時は、まさしく悲しき竹笛である。

●編集部註
 「一般教養」と「共通言語」の境目は難しい。文学、音楽、芸能の世界は特に境目があいまいである。
 夏目漱石や石川啄木などは教科書に載っているので「一般教養」かも知れない。
 明らかに悲しき竹笛は「共通言語」だ。当節、近江俊郎が誰か判らない。今の四十代後半でも、審査員として淡屋のり子の近くに座っていた好々爺というイメージが辛うじてあるくらいかと思う。
 その昔、三波伸介や伊東四朗が登場して「赤城の山も今宵限り―」とやりだしたら、観客は「国定忠治」のパロディなのだなと把握出来た。故に理解出来る笑いのツボもあったと思う。これがカルチャーギャップである。
 逆に、オジサン達は今のアニメや漫画から来る「共通言語」は解らない。
 先日「ドラゴンボール」を読んだ事がない世代が現れたという記事を読み、遂に下の世代とのカルチ ャーギャップが色濃く出て来たかと慄いている。

昭和の風林史(昭和五七年十月五日掲載分)

2018年10月31日

相場とは悲しき玩具なり

店を出て五町ばかりは用のある人の如くに歩いてみたれど。悲しき玩具の追証取り。

相場に採算なしという。小豆は農家手取りがどうだから三万円が底だ―という意見があった。三万円を割ると二万九千円は底だ―となった。

その二万九千円が、あっけらかんと割れると下げ過ぎだ―となる。

付いた値が相場だ。投げる時は半値七掛け二割引という言葉もある。

そこまではいかなくとも三割高下ということは相場の世界につきもの。

今の小豆は七月仕手崩れに勝ち残った勝ち組だけの戦いだった。

そして買いにまわった側が斬られた。

買い方の誤算は、農家手取りとか採算にこだわったこと。政策相場を期待しすぎたことである。

政策は信ずべし。ただし信ずるべからずである。

政策などというものは、常にあと追いである。

ところが相場は先見性で先々と材料を食っていく。

そこのところにギャップが生ずる。

相場に値頃観無用という言葉があるのはご承知。

二万九千円割れはないというのが、そもそも値頃観である。

大衆の売り。自己玉の買い。小豆に関して自己玉は打たれてばかりだ。

ということは、大衆即ち素人にあらず。小豆のプロ中のプロである。

相場としては、どこかで秋底が入るだろう。

それが、いつなのか。どこなのか。秋はこれから。

玉整理の具合いや、人気の変化(弱気増加)、現物流通状況、そして相場の日柄。それらを見ながら確かな手応えを待つ。

石川啄木は「人がみな同じ方向に向いて行く、それを横より見ている心」と。これは相場道をうたったものではないが、相場とは、そのようなものかもしれない。休むもまた相場ということあり。

●編集部註
 明治以降の文豪達の食にまつわるエピソードを綴った、嵐山光三郎の「文人悪食」(新潮社)を読むと、石川啄木の私生活は相当ロックでパンクなものであったようだ。浪費と放蕩で借金まみれ。ついた仕事も遅刻欠勤。その挙句に夭折だ。友人の金田一京助は何度か痛い目にあったとか。京助の息子である金田一春彦は「石川啄木というのは石川五右衛門の子孫ではないのかと思っていた」と述懐していたと本にある。
 百人中九十九人が買いの時に売る一人だけが儲かるのが相場の世界。存外、相場師のセンスがあったのかも知れない。
 ただ、実際に相場と対峙していたら負けている。当たりやは大半が謹厳実直で研究熱心な人である。

昭和の風林史(昭和五七年十月四日掲載分)

2018年10月30日

輸大期近はもとの木阿弥

小豆は戻してもまた安い。投げきるまで駄目だ。輸大期近二本が極端に悪くなった。

小豆買い、生糸売り、輸大買いという投機筋が小豆崩れによる証拠金の絡みで生糸売りから戦力を引き揚げ、輸大買い戦線を後退した姿が新甫の生糸高、輸大安である。

南方戦線拡大で関東軍を満州から引き抜いた格好だ。小豆の二万九千円割れのショックが、いかにも大きい。

反面、小豆買い・生糸買いポジションの投機筋もある。このような人たちは、損切りして損の少ない銘柄からはずし、帳尻に大赤を出さないようにする。

しかし結局は戦い利あらざれば見切り千両。引かされ腰強いほど損出が大きくなるものだ。

小豆は二万八千円を割っても、割らなくても、いまとなっては投げるものは一応投げ、利食うものは利を入れたから、どうということもなかろう。

悪い悪いと国から便り。売り材料は、あとから貨車できた。

線型としては七月19日安値に対して両足つきだが、もう一段安に売られて二万八千円割れがあってもおかしくない。

取り組みの、引かれ引かれて、なん千里という買い玉が本当に投げきるまでは戻っても力なく、すぐに垂れ込むだろう。

夢も希望もないというのが今の小豆の買い玉だ。

輸入大豆は東京、大阪、名古屋とも先限は売り線。もとの木阿弥というか、九月八日の安値を切るかもしれない。

期近二本も11限の悪さは戻り二番天井打ちで、東京の足が極端に悪い。

当限も名古屋はストレートに四千七百円まで崩れるトレンドに乗っている。

●編集部註
 昔の事はよくわからないが、風林火山は晩年、いつも音楽を聴きながら原稿を書いていた。
 事務所に入ると、比較的小さなCDラジカセがあって、今日はブラームス、明日はバッハといった具合に終日同じCDが繰り返し流されていた。クラシックばかり流れていた気がする。
 世界初のCDプレーヤ ーが販売されてまだ3日しか経っていないこの時、事務所にCDはなかっただろう。まだソフトも30タイトル程度しかなく、オーディオマニアくらいしか興味を示していない。
 ただこの文章、行間からは音楽が聞こえる。
 シューベルトの悲愴か、はたまた魔王のようなドイツリートか。
 いや、クラシックじゃないかも知れない。鶴田浩二の傷だらけの人生か、はたまたさくらと一郎の昭和枯れすゝきか。
 ウォークマンが世に出たのが1979年。今考えると、昔のソニーは音楽を聴くツールに革命をもたらしたのだと思う。

昭和の風林史(昭和五七年十月一日掲載分)

2018年10月29日

次は生糸と輸大が崩れる

生糸も輸大も大掃除しなければなるまい。十月は生糸売り、輸大売りが本命だ。

小豆は斬って捨てた。ウもスもない。これが相場である。

深追いせず利食い専念がよい。

秋底をどのような格好でとるのかを見たい。

投げもかなり出た。玄人筋の強弱観が根底から崩れた。相場は相場に聞けである。しばらく強弱なし。

輸入大豆は今月売り一貫。当限は逆ザヤ仕手相場、随分長いあいだ苦労してきた買い主力だけに成功してほしいと願うけれど、二カ月連続のスクイズは市場が警戒十分だけに成功しにくい。

まして10月は円が底入れ急反騰の可能性が濃い。

取引所も役所も農産物市場の仕手相場に市場管理面を強化するばかりだ。市場を破壊するような玉締めは生糸といわず、大豆といわず、限界がある。

当限締め上げでつれ高の11限、そして12限輸大は売り方針を続けたい。

10限買い仕手にしても11限売りのヘッジをしておかないと、お顔の相がひんまがるような崩れ場面を迎えた時に逃げ場がない。

輸大の10月相場は暴落。結局もとの木阿弥になる。

生糸は神戸あたり、コールのはずしが目についた。基調としては下げである。缶詰めにしてあるはずの現物が、すでに三百俵も売り屋の手に渡っている。

主務省当局は、今の生糸市場の異常性、即ち逆ザヤ、買い占め、納会一手受けを、きわめて憂慮している。七月小豆の二の舞いは避けなければならない。

小豆の崩れに関連して生糸の買いポジション組は前門に虎、後門に狼。これは大変だ。負け戦さは逃げ、逃げ、逃げの一手しかない。輸大当限買い仕手機関店も生糸買い絡みで、とにかく秋の大掃除をしなければなるまい。

生糸は前の三百円。先の五百円。下値目標。輸大11売り。小豆利食い専念。

●編集部註
 行間から、な~んにもおもしろいことがない。と読み取れる文章が逆に面白くなっている。
 この年の10月1日は、ソニーが世界で初めてCDプレーヤーを販売した日でもある。価格は16万8000円。大卒の銀行員の初任給が11万6000円の頃の16万8000円である。
 平成の御代になって、CDプレーヤーを持っていない人達が現れた。ダウンロードやストリーミングが主流で、CDはPCで聴くのだとか。そのPCも、最近CDドライブのない機種が増えた。

昭和の風林史(昭和五七年九月三十日掲載分)

2018年10月26日

小豆も生糸も環境が悪い

小豆相場は上げられるようなものではない。生糸はますます買い方苦しくなってきた。

小豆は秋底が入っていないから中途半端に戻すと、その反動で崩れる。

強気をしても駄目ですよというのに、なぜ買いたがるのか判らない。

二万九千円を割って投げるべき玉が投げないと灰汁が抜けない。

産地から新穀の売り物があっても買い手がない。

実需が冷えきっている証拠である。

商いが極端に細っている市場は僅かの玉の出具合で高下する。そのような相場に嫌気して大衆は寄りつかない。

相場の上昇というものは市場に活力がない限りどのようなテコ入れをしようと、あるいは価格政策で吊ろうとしても所詮徒労に終わるものである。

豊作の出盛り期であるし、世の中不景気、まして中国も売りたがれば、台湾にも思惑失敗の六千㌧の玉が待機していては、この相場上にいけない。

生糸の方は期近限月の玉をほどくための努力が取引所関係者によって進められていたが、いまひとつ進展しない。

不自然な逆ザヤに対して行政当局もかなり神経質になってきた。

規制面も第二の穀取小豆にならぬよう急速に強化されつつある。

誰が見ても生糸の今の市場は異常だ。

限られた三軒の取引員が納会で現物を一手受け。これを買占めと言わずしてなんという。

長期的需給観による強気なら先限を思惑すればよいのだ。

買い方は無理の上の無理を業界環境をも考えず敢えて突き進めば、その行き着く所は破滅である。

取引所当局も市場を壊したくなければ勇気ある決断を今程必要としている時はない事を悟るべきではなかろうか。七月小豆の愚を繰り返えす勿れ。

●編集部註
 人生には「やる」か「やらないか」を選択する場面がやって来る。前者を選択した男たちの物語が映画「ロッキー」である。
 「やる」という勇気もあれば、当然の事ながら熟慮の末「やらない」という選択をする勇気もある。相場の世界に生きる人達は、とりわけ選択の岐路に立たされる回数が通常よりも多いのではないか。
 「やる」にせよ「やらない」せよ、熟慮し、勇気を振り絞って決断しない選択は「逃げ」だ。〝義を見てせざるは勇無きなり〟という言葉もある
 逃げるは恥だが役に立つ事が〝なかった〟のが、この時の取引所の行動であった。それが平成の御代になって明らかになる。

昭和の風林史(昭和五七年九月二十九日掲載分)

2018年10月25日

来月は円急騰で輸大暴落

小豆は下げるために戻しているところ。来月は円急騰→輸大11限暴落。生糸は売り。

小豆が薄商いの中をフラフラと戻した。

下がらんものは買うしかないという場面だが、反面、下げるために戻すとみておきたい。

価格政策期待相場とでもいうべきか。

それで高くなったところをホクレンが売るのか、生産者がヘッジするのか。

いずれにしろ大きな相場に発展していく力はないから、戻り具合いを眺め引きつけておいて売り乗せればよいと思う。

線としては下から陽線連続立てて食いついていく姿は目先買い線だが、相場が健康体になっていないだけに、変な戻りを入れると、あとの下げが早くなろう。

生糸は規制強化で玉をほどく努力が水面下でも続けられている。

遠い先の需給観は十人が十人とも改善されるとみているが、万人がそう思う時は、えてして裏目になるものだ。

ところで店仕舞いする中井さんのところが豊と江口に自己玉を付け替えた。この七百七十枚は栗田氏と肩替わりの分である。前にT社と肩替わりした分は、利食いしてしまった。

今のところ中井さんは現物七百八十俵と六百五十五俵の合計千四百三十五俵のうち、納会後50俵を売ったから千三百八十五俵の持ち。

受けた現物はタンクして、舞い戻らぬようになっているのは建前で、なんぼでも裏から出てくる。

十月は、すでに二千俵の渡し物が見えているそうだ。

これで玉がドサドサとほぐれると相場は下げるしかない。そして人気離散は昔の手亡みたいになりはせんか。

ところで輸入大豆のほうは、10月は円高を見ておかなければならないから11限売りが本命になろう。

円は10月大暴騰に転ずるとみる。秋の底入れだ。

●編集部註
 〝大暴騰〟という言葉が文字通り円の価値が〝大暴騰〟するのか、それともドル/円相場のチャートで見て〝大暴騰〟するのかビギナーは一瞬迷うと思う。「何故チャートは上昇してるのに円〝安〟なのか」と、誰もが一度は思ったのではないか。
 通貨は「相対評価」故に、ドル/円と円/ドルではチャートが逆になる。私事ながら、毎週来るメリマン氏の英文の訳にかかわり始めた当初、途中で混乱した記憶がある。
 風林火山の予測通り、円の価値は10月後半から〝大暴騰〟する。11週間で50円弱(48・5円)円高になった。これは2011年10月から20 15年6月までの4年弱の値幅に匹敵―と書くと、これが本当の〝大暴騰〟であったという事がご理解戴けるのではないか。

昭和の風林史(昭和五七年九月二十八日掲載分)

2018年10月24日

輸大期近は利食い千人力

小豆は秋底入るまで買っても駄目だと思う。輸大は利食い専一。生糸は重い相場。

輸入大豆が予定のコースで暴騰納会した。

火薬庫の10月限に火がついている。

生糸のほうは大量現受けを冷静に判断すると、相場的には悪い―と考えるのが当然である。

いうなれば生糸の買い仕手は、大の字に寝てしまった自分の蒲団(ふとん)を持ち上げようとする格好だ。

ただ一ツの気やすめは来年二月、三月頃になれば需給が締まるという希望的観測。

しかしこれとて、鬼の笑う来年の話だ。それより定評のある栗田氏の〝需給の読み違い〟に気づかず今の買い方は精神的支柱に遠い先の需給観を頼りにする。

栗田氏は需給の読み違いでした―で済むかもしれないが、巨額な資本を投下し金利・倉敷の時計に針に身を刻まれる側は、たまったものでない。

小豆は納会がないということは、まるで褌を締めていないみたいなもの。

それでも、下に行きたくないから戻してみようと、ただそれだけの動き。

下値は次期枠の絞り込みで抵抗。上値は今の相場にエネルギーがないため買い妙味なし。

ここのところ薄商い続きと相場妙味なしで、他商品(輸大、生糸、ゴム、精糖)に関心が移っている。

まして小豆は天候相場が終わって需給相場に移る。

これが秋底入れての相場なら強気もよいが決して底が入ったと思えない。いわば上げ底である。二万九千円を割らねば買っても駄目である。

●編集部註
栗田氏とは誰なのか?
 インターネットがこれだけ普及している平成の御代でもあまり情報が出てこない。ただ鍋島高明氏の著作等から見て、どうやら栗田嘉記氏である可能性が高いと思われる。
 以前、板崎喜内人氏の事を当欄で書いた。板崎氏が桑名筋と呼ばれていたのに対し、栗田氏は静岡筋と呼ばれていた。板崎氏と同じくノンフィクション作家、沢木耕太郎のインタビューを受け、その模様は「鼠たちの祭り」という作品で読む事が出来る。これは新潮文庫から出ているルポルタ ージュ集「人の砂漠」に
に収録されている。
 手元の情報を総合すると、浮き沈みの激しい相場師であったらしい。1 972年に1週間で50憶負けたという伝説も残っている。沢木氏のルポでも、50億儲けた後に、61憶負けた件が話題に上っていた。その際のやり取りの一部は、鍋島氏の「マムシの本忠」(パンローリング)の中でも引用されており、この作品の裏側にも触れられている。

昭和の風林史(昭和五七年九月二十七日掲載分)

2018年10月23日

無理無理の生糸買い仕手

生糸の買い仕手は無理の上の無理。この生糸は七月小豆の二の舞いで買いは潰れる。

産地の小豆が崩れた。

全般地合は超閑散の中で玉の出具合いによる値付きだが、玄人筋の強気多数にもかかわらず力がない。

この、相場に力がないというのが一番怖い。

材料を並びたてれば確かに玄人筋のいう強材料が道理かもしれないが、それはファンダメンタルズだ。相場はそれだけで上がるものでない。

要するに夢遊病者のような相場で、芯がないのだ。だから、フラフラと二万九千円を割る場面があると思う。

上げられず、下げられずという相場で推移していても、それで底が入るわけでない。宙に値が浮いているだけだ。

まあそんな具合いだから高いところは売りたい。

生糸の相場の売りが判りやすいと思う。

買い大手は今月受けた品は絶対定期に舞い戻らない。確実なところにはめると言っているそうだが、先月もそんなことを言っていた。

また、代行会社の融資によって供給過剰の生糸を敢えて逆ザヤで一手受けという買い占めは小豆の市場管理強化の局長通達が出ている時に、生糸は別だ―と、強引なことをやれば必らず買い仕手に対する批判は高まるだろう。

納会の受け方、横浜二店、神戸三店というのも異常であるし、場外での受けというのも納得できない。

買い方は悪魔にとりつかれたように破滅の道を行く姿に見えてしょうがない。

しかしここまできたら退くに退けない。まるで七月の小豆六本木・桑名の姿である。相場が決して楽でない。無理の上の無理であることを一番よく知っているのは買い主力店のオーナーである。誰よりも今の悪さを知っていて、それでもやらねばならない姿はお気の毒と言うしかない。

●編集部註
 今となっては、ここに記されている「主力店」が良くわからない。
 そこで頼りになるのが毎度お馴染鍋島高明氏の著作物である。「マムシの本忠」(パンローリング)を読むと、とある業界紙が当時の商品取引会社の社長を〝組閣〟。年初めに「商品先物内閣」として紙面で発表していたという記述が出て来る。この年は「第二次多々良内閣」と本には記されている。
 総理は豊商事の多々良良成。蔵相はカネツ商事の鈴木和義。労相は北辰物産の川口一秀、自治相は第一商品の村崎稔(敬称略)といった具合に、全部で23のポストに当時の商品会社の経営者を当てはめている。人選が絶妙で好評であったとか。
 悲しいのは、今も同じ社名の会社が23社中7社しかないという点である。

昭和の風林史(昭和五七年九月二十五日掲載分)

2018年10月22日

煙も見えず煎れもなく

小豆は無関心。隣の生糸がホットな場面。買い方〝泥とシルク〟の深味にはまる。

納会のない小豆は無関心。

輸入大豆と生糸納会に神経が集まった。

輸大は10月限が火薬庫で来週初めに煎れが出てしまうかもしれない。

生糸はベトナム代理戦争の様相愈々濃くなる。

手持ち現物をタンクして納会受けによる煎れ取りで10月に戦線を延長していく買い方の作戦が、どこで息切れして〝七月小豆〟の二の舞いを見せるか。

買い方も自粛なら売り方も自粛ということで、神糸取職員が長崎雲仙お湯の町まで飛んだ甲斐あり。玉はほぐれたが、あとのハプニングに事務局の〝超法規〟的乱暴な付け替え。

これで一件落着かと思えども、納会なんと横神(場外受渡し分含めて)四千俵オーバーとは集めも集めたり、受けも受けたり。

しかし、煙も見えず煎れもなく玉だけかぶって『大変だよこの買い大手は』と同情された。

受けた現物はタンクするも可なれど金利・倉敷の時計がまわるし、換金安売りバーゲン出血見え見えだから、いよいよ深味にはまって異常性は次なる異常事態を迎えよう。

『それにしても取引員が買い占め本尊ということが、まかり通ってよいものか』と批判も厳しく、役所にしても取引所にしても10月戦への延長は阻止する動きに出るだろう。

常識的には大受け渡しのあとの相場は悪い。

そして買い方は、無理の上の無理だから、相場道からいって必らず破綻がくるだろう。その時、業界は、またまた震撼するわけだ。

ともあれ、今の市場は手の内誰もがお見通しだ。玄人中の玄人ばかりだから、なにもかもすぐに筒抜け。だから知らぬは亭主ばかりなり。誰かが言っていた。『亭主は熱くなるばかり』と。相場は熱くなったほうが負けである。

●編集部註
 厳密にベトナム戦争が終結したのは、サイゴン陥落で南ベトナムが崩壊した1975年である。
 しかしこの時、隣国のカンボジアとの間で国境をめぐる争いがあり、1978年からカンボジアとの間で戦争が勃発。これに中国が加わりカオス状態に。結局、この戦争は89年まで続く事になる。
 1982年はベトナムに侵攻されたカンボジアで反カンボジアの連合政府が出来た年であり、まだまだ東南アジアは不安定な状態が続いていた。