昭和の風林史(昭和五八年十二月十五日掲載分)

2020年01月08日

下げるために戻している

下げるために戻しているふうな小豆で強張るだけ強張れば、そのうち気抜けする。

やや売り込んだあとの反発で嫌な思いをした小豆相場だが、強いのは期近限月だけで売り玉煎れるほどでもない。

買い玉にしても利食いできる水準まで戻してはくれない。

出来高がワッとふえた時だけ小豆相場らしい動きになるが、あとは、すぐ薄商いになるあたり、上にも下にも一方通行する時でないようだ。

実収高の発表は、九月時点より一割ほど減少しているだろうというのは、すでに常識である。

常識とは誰でも判っていることで判っていないという人は、おかしいということになる。

その判っていることを材料にして、ある程度相場がいうことを聞くのは、やはり弱人気で売り込んだ取り組みがモノをいっただけ。

昨今の投機家は人気指数や相場の勢力指数を重視する。新規売りや新規買い、転売買の数字を基礎にして比率を出したり、出来高と値段のバランスを指数化して、これが比較的参考になる。

要するに売り人気が強ければ相場は上がり、買い人気旺盛なら下がるという相場は人気の裏を行くを数字に置き換えただけの話。

アメリカではコントラリー・オピニオンといって十人のうち七人が強気なら売り。十人のうち三人が強気なら買い―というふうに定着している。

いまの小豆の場合、四分六の割り合いで売りたい人が多い。だから強張ったが、どちらかといえば全般気迷いの霧の中にあって判然と強弱を表示するものがない。

だから相場のほうもすぐ薄商いになって、少々のハナで高下する。

シカゴでは閑な相場に手を出すなという金言がある。捕まったら逃げられないからである。

●編集部註
 枯れ木も山の賑わい―、というが、西部劇に出て来るような、草さえも生えていない寂寥たる荒野のようになってしまった市場を見ている人間からすると、この頃の小豆市場は捕まっても逃げおおせる余地はまだあったのではと思ってしまう。例えそれが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」であっても…。
 話は変わるが、この年の12月、当時のローマ教皇、ヨハネ=パウロ2世がローマにあるルター派の教会に訪問した事が話題になっている。
 マルティン・ルターがカトリック教会、並びにその総本山であるバチカンのローマ教皇に反旗を翻したのは、1517年。世界史の教科書に出て来る「宗教改革」はこの年から始まる。
 2020年はこの15 17年と同じ天体配置が出現すると『フォーキャスト2020』にある。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十四日掲載分)

2020年01月07日

小豆売り玉は冬ごもりだ

小豆売り玉は先憂後楽だから、ここは冬ごもりしてしまう。大局トレンドは不変。

またしばらく曲がり屋になるのかもしれないと、嫌な予感がしていたが、悪い予感はよく当たるもので産地のS高とか期近の夜放れ高など、小豆弱気組はままならぬところ。

16日に発表される北海道小豆実収高が九月発表の五十九万七千俵より落ち込むだろうというのが材料。

今のところ59万俵が53万俵ぐらいに減少するかもしれないという予測。

実収高が減少すれば、輸入外貨の枠を増大しなければならない。

その輸入小豆の新穀が高い値段を付けていて、輸入商社は成約を躊躇している。

買い方強気は一限、二限でスクイズができると確信している。

高ければ高いで次期枠までに臨時枠を組む動きも出てくるだろうし、外圧による関税引き下げ問題も選挙が終わると表面化する。

内部要因は、やや売り安心になったところだった。別段あわてて踏む(煎れる)相場でもないが、買い方だって嫌な思いをしてきているのだから、どっこいどっこいである。

下げるために戻すと思えば気も楽である。

取り組みが漸増している出来高も動きさえすれば増大する。自己玉は期近三本買いの先三本売り。大衆筋は期近三本に安値の売り玉がある。

どうなんだろう。夜放れ空間窓をあけて買うところでないと思うが、いやそれだけ力がついた相場だという見方もできる。

高ければ、引かされていた買い玉が年末だけに利食いしてくるだろう。

しかし、買い玉利食いできる圏内まで、この相場とどくだろうか。

大局的なトレンドからいえば大きな肩下がりの中にあって売り玉は先憂後楽型と思う。戻り場面敢えて逆らわず売り玉は冬ごもりしているほうがよい。

●編集部註
 好きの反対語は嫌いではなく、無関心である。
 風林火山の相場分析が当たろうが、曲がろうが、彼の日々の記述は、全国の商品取引員たちの話のネタになった。ある者はそのロジックを受け入れて営業の材料とし、ある者はアンチとなって哄笑の対象に…。世の中、アンチ様ほど良いお客様はいない。存外ファン以上にアンチは色々な知識に明るい。攻撃相手への、歪んだ愛情と言うべきか。
 知られない―というのが最も不幸。忠臣蔵等はその曲がり角に来ている
 この日は赤穂浪士の討ち入りの日。ときはげんろくじゅうよねん―と諳んじる事が出来る世代は受け継がれる事なく、どんどん高齢化している。
 先般、忠臣蔵の映画が公開されたが、それも数十年ぶりだそうである。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十三日掲載分)

2020年01月06日

小豆は閑中に殺気を感ず

閑中の閑は動の兆候である。油断すると一閃のもとに斬られる。今週小豆崩れん。

商いの薄いことは気にならない小豆の各節で、二枚、三枚の売りハナや買いハナで上下している。

時々、声なし―バイカイなどという限月もあって、あれも人の子樽ひろいではないが、これも相場、淡々と値が付いていくのも師走の風情か。

目先的には強気にさせるところかもしれない。

誰がさせるのかといえば相場がさせる。そして自分がその気になる。

本当は、その気にならないで、黙って見ているところである。そうしたら、ドカ安の口火を切るような場面がまたくる。

輸入小豆の新穀の成約が進まない―というのは現象である。現象は材料である。材料は人の気を左右させる。そして相場は人の気によって高下する。

現象は新しいものと古いものがある。なん回もいわれた現象は新鮮味に欠けるから人の気を、あまり大きく左右させない。だから相場の高下も小幅。

値動きが小幅ということは、高値の買い玉、安値の売り玉ともどもに回転できずにいる。

ところが時間という時計の針は相場が動かなくても動いている。時間が解決するだろうというのはこのことである。いわゆる相場は日柄というのがこれだ。

なぜ時間(日柄)が解決するのか?それは納会がくるということもあるが相場している一人一人の人の生活、人生が絡んでいるのと、社会が活動しているからで、もの事なにによらず起承転結があり、相場が閑で閑でというところは転の部分が転々としているだけで必らず結果がいずれ出てくる。

そのように考えるから、閑もよし。閑中の閑は動を呼ぶ。強気はこの動を上行きと見るが、われわれは下行きと見る。それも深い下を考えるのである。

●編集部註
 今は場の動きをモニタで追いかける。しかし、この頃は基本〝ボイス〟である。
 お金に余裕のある会社はコンピュータの一つもあっただろうが、地方の支店などはボイスからの「○○枚カイ~、△△枚ウリ~、◇◇円決まり」の声を頼りに、壁の相場表に数字が記されたマグネットを張り付けていた。 
 2000年代、ある地方都市の支店に営業マンとして赴任した際、タテ3m、ヨコ2mのマグネット相場表が大活躍。ザラバ取引は一つのモニタを各自の望遠鏡で見ていた。「この支店、長くないな」と心の中で思っていた。
 商いの薄さは、モニタよりも声の方がより寂寥感がある。何しろ、喋るネタがないのだ。一般のラジオ放送であれば放送事故ものである。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十二日掲載分)

2019年12月27日

強気にさせておいて斬る

小豆は堅いじゃないかと買う気にさせたあとが怖いように思う。今週安いと見る。

年末の人の心は区切りをつけたいものがあって、相場にしても口では玉に餅を食わすというが、利のあるものは利食いする。また新規仕掛けもよほど相場が判りやすければ別だが、敢えて難かしい動きに手を出さない。

だから市場は閑になり、薄商いをみて更に手が出せない。

小豆は戻すところはマバラの手口。出来高も小量だが、下げてくるとハナが大きくなり、出来高が増大する。いわゆる下げ賛成の手口である。

東西両市場とも地場筋の手が悪い。強気していて下げにぶつかり、今度は弱気して反発を迎え、いままた強気に転じたところ。

とめどなくチャブつく格好で、これも一種の餅つきの杵の動きかもしれない。

材料的には現物動向を中心に話を聞くと、相場は下がらないというふうに思うようだ。これ即ちファンダメンタリストの惚れた目で見りゃーである。

一方テクニカルではここは強気がふえたほうがよい。値頃観や現物比較で買う人が多いほどよろしい。

年内大きく崩れるためには春高期待感が強いほど面白いし、毎年一月は高いという統計的な面から買い気がつのればなお結構。

昨年もそのような空気だったが、暮も安い。一月に入って更に新安値に崩れた。

相場の呼吸からいうと今週から判りやすい下げ一本道に入るように思う。

いわゆる人の世と水の流れは―である。あした待たるる暴落パニック。

相場は当り屋につくより曲り屋に向えである。

そして相場は人気の裏を行く。今週は面白い下げが見られそうだ。

●編集部註
 この頃と今とで決定的な違いがあるとすれば、まちがいなく市場の空気であろう。
 米国では感謝祭が終わるとクリスマスまでホリデーシーズンに入る。昔の商品市場も米国の閑散市場に歩調を合わせて、大納会に向けて空気が緩んでいった印象がある。
 先般、取引所の方と酒場でお話しする機会があ ったのだが、そこでもこの空気の違いの話になり、確かにそうだよな、という事で落ち着いた。
 普段「何が何でも新規を取って来い」と鬼の形相で迫る上司も、心根まで鬼ではなかった。閑散化した年の暮れに新規契約が取れるわけもなく、ゆるゆると時間が流れ、大納会は半ドンで午後は酒飲んで鮨食って仕舞いだった。ただその席で、酒癖の悪い役員に絡まれ、ぶちキレた社員が辞表を提出。重い空気になった場に居合わせた事はある。

昭和の風林史(昭和五八年十二月九日掲載分)

2019年12月26日

判りやすい売り一本の道

来週の小豆は当限から崩れるだろう。買い玉が投げきっていないから下げは深い。

小豆は売り安心になった分だけ安値売りの玉に罰金をかけるようなところだったが、ほんのちょっとの間の精神的心配だけで来週から再び下り坂に入るだろう。

考えが決まっていない人は、またフラつくところで、そんなに心配せんでよいのに、なぜ狼狽する。

目先の強張りは、来週からの大下げ波動をつくらんがためのもの。トレンド待ちである。

真偽のほどはさだかでないが、来年四月から小豆等の輸入関税五割引き下げの可能性ありという説も聞かれる。輸入自由化問題がどこまでもくすぶる。

一方、東北六県の内地産小豆の存在を相場する人達は忘れてしまったようで、北海道の57年産古品在庫にしても零になったわけでない。

新穀の輸入成約ができていないから一月限、二月限は時限爆弾のようなものというけれど、現物古品が市中にあふれていては、一、二限玉締めしても、世間の批判を浴びることになり敢えて重たい現物を抱く人もいないだろう。

要するに誰かがやってくれるのを待つ格好で、自分はうまく逃げたい心算。

恐らくこの相場は当限から本格的な崩れに入って、一月限の野中の一本杉も伐採されて三万円そこそこの水準。その時三、四、五月限などは石を抱いて野に伏して二万五千円行きのパニックであろう。

買い玉持つな、売りあるのみといっても、買いたい気持ちは薄けれど、いかにせん高圧鉄柱の上のほうに玉がひっかかって、これが気になる様子だ。

なぜこの相場崩れるか。それは日柄によってバランスの均衡が破れるからだ。夜道に日は暮れない―と言っているのに売るのを怖がる。だからよいのかもしれないと思った。

●編集部註
 〝なぜこの相場崩れるか。それは日柄によってバランスの均衡が破れるからだ〟とは、けだし名言である。
 「相場読むより日柄読め」という格言があるが、弊社の様に相場の「日柄=サイクル」でご飯を食べており、勉強会の席でこれをもじって「日柄は相場の嫁である」とやり、どん滑りした身としても重要な言葉である。
 この日柄にテクニカルや「マーケットタイミング」と呼ばれる分析手法の一部にアストロロジーを加えたものが、レイモンド・メリマンの相場分析法である。
 ちょうどこの頃は、メリマン氏がアナリストとして売り出し中。この3年後、彼はある投資会社の要職に就く事になる。

昭和の風林史(昭和五八年十二月八日掲載分)

2019年12月25日

小豆は下げたがっている

小豆の流れは下を向いている。先の限月二万五千円目標。期近もいずれ崩れがくる。

小豆は買い線にならない。

売りたいけれど戻らない感じの相場だ。先三本の二万五千円あたり、あると判れば誰でも売るが、高値おぼえで今のところは三万円割れが、いかにも安く思えて、お客さんは買ってくる。

前三本、特に一月限でなにか仕事をされそうな買い方にとっては期待と、売り方にとっては不安が残っているようだ。

しかし大局的な相場の流れが下を向いている時に、玉締めというような、力で思いをとげようとしても、無理したあとは更に悪くなるものだ。

売り玉は安ければすかさず利を食う。

そして戻りを待って楽しみの売り玉をつくる。

場はすぐ閑になりたがるこれは市場に新しい血が入らないからである。

線型では前三本のうちの当限が、すでにズッコケ型で千五百円あたりから千二百円の八月20日、九月21日安値近辺に沈むのでなかろうかという姿。

怖い怖いの一月限にしても三千円台の日柄24、25本がモタレてきたのを、なんとか逆襲させたいという動き。

一月限が二千円を割るようなことになると、買い陣営総倒れになる。

商いが薄い市場で少し大きな買いの手を振れば敢えて売る人もいないから値は上に走るが、買いたくて買いの手振っているわけでないので、抜けている。

このような事を何回か繰り返しているうちに、市場では、またかと人気が離散するし、見え見えの手に辟易してしまう。

先のほうの限月から三万円を割って次は三月限が三万円を割る順番だ。

そして二月限も、その時期がくると三万円を割っているだろう。

ともあれ下げたあとのS安が約束されていた。

●編集部註
 相場は「運」「鈍」「根」とはよく言ったもので、派手に動くわけでもなくだらだらとした相場展開で身動きが取れず、手持無沙汰の時が一番の「逢う魔が刻」では、ついいらぬことをしてしまう。
 閑故に変な考えが熟成されて変な行動になる。自分自身の中ではロジックが出来ているつもりなのだが、端から見れば謎理論。自分が間違っていないと思っているから悪質だ。当節ツイッター等でこの手の人を良く見かける。大概、閑な人だ。
 自分自身の経験則上、閑で手持無沙汰の時が一番タチが悪い。腹が減っていない、むしろ先ほどガッツリと食事をしたにもかかわらず、数時間後に「閑だから」という理由でどっさり炒飯をこさえて食べた事がある。
 大半の出不精なデブにありがちな「逢う魔が刻」がこれである。

昭和の風林史(昭和五八年十二月七日掲載分)

2019年12月24日

非情の師走相場無常の風

ジリ貧のあとはドカ貧がくる。見切り千両と知っていて買い玉投げきれないから深い。

小豆の在庫がふえる事が判っていても相場強弱に枝葉をつけて一月限は渡し物なし等とポジションに都合のよい見方をしていたがまえもって判っておれば現物の手当てをつける。

値頃感で三万円以下を売れる人は少なかった。

値頃観無用とはこの事である。

売り玉は利食いまた利食いで辛抱していた一、二月限も利食い圏内。

利食いした人は普段の月なら別だが、やはり人情というもの、よいお正月をしたいから持って帰る。

買い玉は宵闇迫れば追証がかかる。あとは投げるだけだ。

売り玉は利食いで逃げたから買い方は自分で自分の首を締める格好。

隣の輸入大豆との絡みで小豆投げよか輸大も投げる。

相場は材料(ファンダメンタル)一割、あとの九割は勢い即ち流れだ。

ナンダカンダの年の暮、ともかくもあなたまかせの年の暮とも言う。

小豆は二万五千円当たり、横一文字のサヤ修正で去年の暮から一月上旬のようなコースに入っている。

利食いした人は戻り待つべし大底が入る迄は夜道に日が暮れぬ。

下げた後のこの期に及んでという水準からのストップ安がいずれくるだろう。七色のパッチさんがハナを取っている間は流れは変わらぬと市場では見得(ケントク)としていた。

●編集部註
 投げてサッパリ、視界も晴れやか。因果な玉はバッサリ切るに限る―。という心境に至るにはやはり時間がかかる。
 損切りはお金が無くなるだけであとは良い事しかない。無くなったお金はまた作ればよい―。という考えはあってもなかなか動けないのもまた、人情であると知る。
 ムツゴロウこと畑正憲の書いた本に「象使いの弟子」というものがある。スリランカで象の調教師修行した経験をまとめたエッセイで、後にこれはテレビでも放送された記憶がある。幼少のみぎり筆者はそれを観ていた。 順調にメニューをこなし、象もそこそこなついていたある日、ムツゴロウさんは何かのきっかけで象の逆鱗に触れる。
 小さくても2㌧、大きくても5㌧近い象が、殺意をもって人間を攻撃してきたらひとたまりもない。ムツゴロウさんは吹き飛ばされる。
 ただ幸運なことに、彼は大けがするも事なく生きていた。後に、この時の心境を語ったインタビ ューを読んだ事がある。
 その日は晴れていた。生き伸びた事に気付いた時、見上げた空はひたすらに青かったのだとか。
 これが、大損切り後の心境に良く似ている。

昭和の風林史(昭和五八年十二月六日掲載分)

2019年12月23日

日は暮れて道さらに遠し

小豆は二万八千円を割ってから本当のガラ(瓦落)がくるだろう。非情師走崩しへ。

小豆の行き着く下値をどのあたりに見ておくか?のところで、目先的な小高下を考える必要はない。

いずれ下値で限月間のサヤ修正という動きになろう。

そのサヤ修正即ち逆ザヤの解消を見てから売り戦線から軍を退く。

今回の相場を見ていても世間常識の相場観や材料を伴った解釈が、いかにものの用をなさなかったかよく判る。

崩れてきて初めて相場は相場に聞くべきだと痛感し、値頃観通用せずを知るのである。

全限三万円割れという相場。水準としては二万五千円あたり。限月間のサヤが横並び。

そのようなところまで行くだろう。

売り玉は回転が利いている。買い玉はシビレている。年末だけにこの差は天地の違いである。

それと、この相場(1)大底が入っていない。(2)値頃観が支配して三万円割れの水準を新規売りできない気持ち。(3)前二本限月の逆ザヤが気になっている。(4)高値買い玉を投げきっていない。

従って本当の瓦落(がら)は先三本が二万八千円を割ってからだろう。

買い玉総懺悔というところがまだない。昭和58年小豆相場が終わるという時は非常無常の凄惨(せいさん)荒涼の市場とならなければゲームは終わらぬ。

目先としては買い方の抵抗のような場面もあれば下げ止まったかに見えたりもしようが、トレンドはごく自然の水の流れの中にある。強気するところなどさらさらなしだ。

今の小豆を見ていて思うのは日暮れて道遠しという言葉と、夜道に日は暮れぬという言葉である。
この道行くは難儀と知りつゝ歩むは難儀道なればなり。下げ相場の序の口であることを忘れぬように。

●編集部註
 この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わず行けよ、行けばわかる―。
 と、ここまで来た所で一部の方は、大きな赤いマフラータオルを首からぶら下げた大男がこの言葉を口にした後、イチ、ニ、サン、ダーッ!と絶叫し、炎のファイターが流れる所までが脳内再生出来る。
 今考えるとこの頃、その男がメインイベントになるプロレスの試合が、金曜の夜8時に全国放送されていた。裏番組は石原裕次郎らが出演する「太陽にほえろ」である。
 この年、その男は今も続くIWGPを立ち上げ、優勝決定戦でハルク・ホーガンに失神KO負けする。

昭和の風林史(昭和五八年十二月五日掲載分)

2019年12月20日

山雨まさに来り大暴落へ

超閑散の均衡が破れて小豆は真空を斬ったところ。流れはいよいよ急である。

売り玉を早々と利食いしていた。

暴落は目前にあり、山雨まさに来らんと思う間もなく、二日金曜日の大引から崩れて原稿の締め切りが早いためそのままの紙面となったが大筋としては、それでよいと思う。

現物が溜ってきたらダムは決壊するのは目に見えた事でパニックというものは、当限だろうと二番限だろうと、四の五のいわず下げる時はみな同じ運命。

現物価格は崩れ、北海道も崩れ、先限が期近買いのオーバーヘッジのバランスでは流れが急になるのも当然である。

選挙が終われば自由化問題が前面に出てくる。

そしてその度に、小豆は価格革命してゆく。

いまのところ、弱気でも二万八千円あたりしかみていないが、時と場合によって二万五千円あたりの水準は取り組みが痩せているだけにある筈だ。

早々と利食いした人は年の瀬だけにそれはそれでよいけれど戻りは必ず売り玉建てること。

大きなクリスマスプレゼントの次はたまげるようなお年玉になるだろう。

要するに流れである。トレンドともいう。

流れに逆らわない。トレンドと喧嘩するな。

買い玉が投げて投げて投げきってはじめて灰汁が抜ける訳だが、未練残した因果玉があるうちは駄目。

思うにこれは無理した咎めと日柄の疲れが凶作に買いなしという答になって出たもので、将にいそげ幌馬車もう日が暮れる。

●編集部註
 以前も述べたが、この欄を書いていると時折、昭和の記述と令和の今がつながる事がある。 
 昭和の「選挙が終われば自由化問題が前面に出てくる」「そしてその度に、小豆は価格革命してゆく」という文章を読みつつ、令和のテレビに目を向けると、丁度昭和のこの頃の映像が映し出されている。何かの大会なのだろう。大人数の偉いサン達が舞台上にずらりと座っており、その前に多分一番の偉いサンが登壇して何か喋っている。
「○○○○会長(当時)」というテロップが、喋っている一番の偉いサンの映像の下に出ている。
 どうやら悪徳会社のト ップだった人らしい。そういえばこの時期、社会では゛惡の華〟があちこちで咲いていた。豊田商事が社会問題化していたのもこの頃である。
 豊田商事の会長さんは刺されて死んだが、テレビに映っていた会長さんは新自由主義の影響を受けた当時の有力政治家達に取り入り、生き残った。 その政治家達が軒並み鬼籍に入った今、その後も悪行を重ねた会長さんをテレビで見ると、実に複雑な気持ちになる。

昭和の風林史(昭和五八年十二月三日掲載分)

2019年12月19日

クリスマスプレゼントか

小豆は山雨来たらんという雲行きだ。薄商いだが緊迫したものがある。S安の可能性。

需給相場時の小豆の薄商いは宿命的なものとなった。

その薄商いの各節を神戸のK氏が相場に色どりをそえるのか、それとも更に人気を離散させるのか、ともかく売ったり買ったりでピンでもよいからハナを落とさなければ生き甲斐がないというふうなあれは一種の病気みたいなものでよく泳ぐ者よくおぼれるにならなければよいがと辟易(へきえき)されていた。

一月限の大逆ザヤと片寄っている取り組みが相場をして難解にしている。

近年投機家は難解な市場を敬遠する。大穀小豆自己玉の一、二月限の圧倒的買い建も小豆の自己玉は年間通じて曲がりっぱなしというものの、スクイズ、玉締め可能性が少しでもあれば、大衆は離散してしまう。

東穀の取り組みが二万枚に乗せきれず、大穀また三万枚を割って久しい。

この事は証拠金の高額を嫌気するということもあるが、思惑する側にとってはなにかスッキリしないものを感じて、敢えて小豆をさわらない。

まあそれも市場の運命下における趨勢といえばそれまでだが、小手先の市場振興策を騒ぐより、もっと根本的な市場のありかたについて取引所は考えるべきでなかろうか。

相場のほうは“なだれ現象前夜”の風情だった。

特に当限などは来週あたりから下放れで棒に落ちるような気がしてしようがない。薄商いの目先の小高下にまどわされてチャブつかぬよう、先三本なら先三本を売りっぱなし、一、二月限博打なら博打で腹据えて売っておく。

線という線オールかんかん皆すべて脂がのりきって、したたるような獲物が目の前をうろうろしているふうで、弾(タマ)がない人は仕方がないが、これクリスマス・プレゼント。

●編集部註
 大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい―のような展開になって来た。日照り商いが三日も続けば千客万来がいのちの゛いちば〟は悲鳴を上げてしまう。差し詰め「神戸のK氏」は恵みの雨か。この時は共通言語であったかも知れないが、今となっては何処のどちら様かは判らない。ただ雨として期待されるのだから六麓荘辺りにお住いの方だろうか。所謂、芦屋のホンマモンのお金持ちである。
 この辺りも阪神大震災の影響を受けた。近くの阪急西宮北口駅周辺の一部はごっそり消失。現在そこは、定規で引いたように整然とした区画だ。
 この時、他の被災者のご迷惑にならぬよう、自身は身銭を切って神戸の高級ホテルに長期滞在したり、全国を旅していたホンマモンと直接お話しした事がある。
 やはり、ホンマモンはお金の使い方もホンマモンなんだなと感じた。