昭和の風林史(昭和五八年十月一九日掲載分)

2019年11月07日

秋の相場はつるべおとし

シカゴは下げ急と見る。精一杯の戻り完了。小豆は先限三万円近くまでジリ貧コース。

匹馬行くゆく将に夕べならんとす、という高適の詩みたいな場面で、征途去ってうたた難し。(この道行くは難儀なことだという意味。)

小豆は、もう一段高がほしかったが力がない。はいそれまで―と期近が首を垂れてきた。

前二本売りは怖い、怖いの気持ち(人気)だが、案外売りごたえのあるのが前二本かもしれない。

買い方は、『一体なにを渡すのだ?』とうそぶくが、売り方は『一体受けてどうするのだ?』と、おたがいブラフ(ポーカーのはったり)の応酬。

それはそれでよいが、水の流れと人の世は、静かに見ていたらおよそ見当がつく。

この小豆相場は、流れとしては二、三月限で言うなら三万円を割っていく。

今は現物が高い。輸入が遅れている。北海道生産者は売らん。在庫が軽い等々であるが、それ故に今の値段を維持しているのだという発想の転換でモノ事見る目を持てば、強気が多いうちに売っておけとなる。

今は書くのがまだ早いが上に千丁か、下一万丁かの小豆の上千丁が実現できず、さしずめ先二本基準で三万円そこそこ。来月から師走にかけて二万八千円という流れでなかろうか。

輸大のほうはシカゴが戻り一杯した。

今度は八㌦割れへのコースであろう。トレンドは明らかに下降帯の中で崩れの様相を孕んでいる。

穀取輸大は、やや売り込み型であるが、九月22日彼岸天井(東京)五千七百五十円から千丁下げの四千七百五十円あたり二月限三月限来月生まれの四月限の一代足であるはずだし、なければおかしい。

一相場終わった―という認識がまだない。需給と相場が分離する段階というものを知るべきである。

●編集部註
 笑いは「緊張」と「緩和」である―。
 これは確か、今は亡き落語家、桂枝雀の言葉であったと記憶している。 相場にも「緊張」と「緩和」が必要である。江戸時代の米相場では火縄で一回の取引時間を決めていたと何かの本で読んだ事がある。一度に注文をまとめる「板寄せ」のはしりと言えよう。
 今の穀物相場が衰退したのは、間違いなく取引方式を板寄せからザラバにしたためである。教会の鐘塔に狙撃兵がいる事がわかっているのに、ノコノコ外を出歩くのは、殺してくれと言っているようなものである。値決めというものが何たるかを解っていない人が日本の穀物取引を亡ぼした。
 現物市場にも目利きが減ってきているという話を聞いた。世も末である。

昭和の風林史(昭和五八年十月一八日掲載分)

2019年11月06日

小豆の売りが判りやすい

小豆先限三万一千円を割ると三万円大台割れもあるという線型だけに怖いところ。

小豆の商いも薄い。仕掛けづらいようだ。

材料に決めるものがないから仕方のないところであろう。

ホクレンの動向。実際の収穫量。輸入枠。交易会での商売の進み具合。輸入商社の動向。

そういうものに神経がくばられて高値の買い玉、安値の売り玉、様子眺め。

相場つきというか、地合いなどから見て、今の場合、先二本の三万一千円割れあたりがジリ貧コースと思われる。

強気している人にとっては、あくまでも押し目段階と思っているわけで、決してこの小豆、ぬるいとか重いとか思わないようだ。

そこのところが相場の強弱親子でも別。人それぞれの主観の問題である。

材料などを考えないで線のみの判断でいえば、1月限の二千百円、二百円、三百円のダンゴになった七本の線から下に垂れてくると、やはり千円下げがくる。

これは12月限にしても同じで、三千百円あたりが上値の抵抗となり、あそこでモダエ型。

すでに2・3月限は綺麗な下げトレンドの中にある。

相場は需給であり、材料であり、人気であり、日柄であるかもしれないが、相場は運であり、感覚である。それらの適用がうまくいくかどうかである。

輸入大豆のほうはシカゴ離れして強気は首をかしげた。

一体この輸大はどうなっているのか?というわけ。

どうもこうもない。取り組みが重い。それとやはり昨年今時分から嫌な思いをした中国大豆のことが忘れられない。

シカゴはこれで大きな切り返しかというと、それはないだろう。

日本では大根時の大根は値が安い。向こうではなんというのか知らないがシカゴは戻り精一杯やったと見る。とにかく収穫の秋だ。

●編集部註
 秋は芸術の秋でもある。
 1983年は、翌年がロサンゼルスオリンピックという事もあり、公式キャラクターである「イーグルサム」を主人公にしたアニメが制作され、TBS系列で放送されたりしていた。
 大人向けの映画としてはオリンピック警護に便乗して暴走する権力側と、その陰謀を知った事で終われる男を描いた作品がこの時期公開されている。
 その作品の名は「ブルーサンダー」。とはいえ、監督はジョン・バダムなので、重いサスペンスではなく軽妙なアクション映画になっている。米国映画はこういう所が巧い。
 この作品がヒットした事で、日本ではその2カ月後にこの監督の前作「ウォー・ゲーム」が公開され、これもヒットした。

昭和の風林史(昭和五八年十月一七日掲載分)

2019年11月05日

なぜ市場は閑になるのか

市場が現在どのような状況下にあるのかを、常に念頭に置いて相場を見ていくこと。

商品市場は相場が激しく動いたあとは、必らず商いが閑になるもので、これは先物市場の宿命というか仕組みである。

現在の日本の先物市場に流入している投機資金は精糖なら精糖、ゴムならゴムという庭に限られておらず、商品別、市場別の垣根がない。

投機資金は(1)相場の動きが大きいものに移動する。(2)しかも、証拠金額のより低いものに流れる。

それらの資金は回転がきつければきついほど手数料という自然消耗で全体量が加速度的に減額し、たえず市場に新しい投機資金を注入しなければ市場の機能は低下していく。

思惑に失敗した投機家は当然去っていき、利益した投機家と、新規の投機家と身動きつかないポジションにある辛抱組の、この三種類の資金がヘッジ玉と絡まって次なるショック(相場変動)に身をゆだねる。

従って、大消耗戦(大変動)のあとは、更に強力なインパクトを与えるだけの新規の資金が流入しなければ市場は低迷する。

また、そのためには、価格に刺激を与える材料が出現しなければならない。

中には利益した資金を市場から引き揚げてしまう投機家もいるが、多くは高値の買い玉、安値の売り玉、相場はその中間に浮遊している。

出来高が少ない。値付きが悪いというときは、たいがい以上のような背景のもとにある。

以上のような仕組みというか宿命下にあることを充分理解すれば、業界全体の取り組み高即ち資金の在庫量と、総出来高即ち資金の消耗量を掌握し、あとは投機のマインドの濃淡を計量化して、商品市場全般から個々の商品の環境(人気、証拠金、材料)を見くらべていけば、有力なる先見性が発揮できる。

●編集部註
 第一次世界大戦の西部戦線、塹壕の中を行きつ戻りつの総力戦のような光景が目に浮かぶような解説である。中では、スタンリーキューブリックの『突撃』で描かれたような世界が繰り広げられたのかも知れない。
 話は思い切り脱線するが、VFX技術の進歩のおかげで、ここ十数年意欲的な時代劇が作られるようになった。といっても日本の話ではなくハリウッドの話である。
 スピルバーグの『戦火の馬』、DCコミックを映画化した『ワンダーウーマン』、そして来年2月に公開する事が決定した『キングスマン』の三作目。そのどれもが物語の中心で第一次世界大戦が舞台となり、そこでは、この世の地獄の如き凄惨な戦闘シーンが描かれている。

昭和の風林史(昭和五八年十月一五日掲載分)

2019年11月01日

罫線とは一体なんだろう

小豆は上値あってよし、あれば売るということでよいと思う。輸大も同じである。

一本の線の中にすべてが織り込まれているという人生観による相場観が罫線主義者である。

なぜここに寄って、なぜここで引けたか森羅万象すべてが、その線の中にある。従って一本の線を理解することにより、全体が?め、全体を知ることによって、その先が判る。

だからチャーティストはファンダメンタルは線の中にあり―と割り切る。

これが狂信的になると、教祖的になり、カリスマが高じると超能力者扱いになり当たっている時は大変だが一ツ間違うと救いがない。

古い川柳に「罫線を覚えた頃に倉は飛び」というのがある。相場に凝ってこれは罫線を勉強しなければいけないと気がついて、売り線だ、買い線だと判りかけてきた頃には家屋敷もお倉も相場の損で人手に渡っている―という強烈な風刺である。

このほか「罫線は筋を引き引き足を出し」などというのもあるが、罫線にも門外不出の見方と称して実はそれを高価に売って、自分は相場をしたら損ばっかりという人も多い。

世の中に絶対絶の罫線などあり得ない。要は可能性の問題だけである。

線の見方など、基礎的・常識的知識に実践の経験を重ね自分なりに改良し会得すれば、それでよい。

問題は見方ではなく素直に見る心である。

売りたい病気にかかって誰が見ても上の相場なのに上げ相場の押し目の線にこだわり、線は売りだからと大曲がりしたりするのもあるいはこの逆も、線の見方が悪いのではなく、線を見る心が病(やまい)なのだから、さしずめ病気のほうを直さなければならない。

さてシカゴ大豆の線はどうなのか。八㌦60に抵抗があって、上に行けず、下は七㌦20あたりまで線のみでいうと無抵抗地帯。

●編集部註
 何故か令和の今、弊社で販売している鏑木繁著「罫線の法則」の注文が増えている。時折急にこうした事が起きるのだが、そんな矢先に罫線に関する文章がやって来たのは何やら感慨深い。
 手で罫線用紙(といってもB全の方眼紙だが)にチャートを書くのは楽しい。ローソク足でも、いかり足でも、ポイント&フィギアでも、何なら相場帳でもよい。実際に価格を〝入れていく〟作業は、相場の勉強になるし武器になる。
 今までお会いしてきた第一線級の相場師の皆さんは必ず、気象庁の職員の如く、何がしらの記録を毎日つけておられる。
 そしてこの方々は、その記録で生じたかな変化を決して見逃さない。それは「罫線に淫する」感じでは決してなかった。

昭和の風林史(昭和五八年十月一四日掲載分)

2019年10月31日

小豆・売る事のみに徹する

小豆は下げるために努力して戻す格好。下値はとんでもなく深い時代がくるだろう。

相場は上げるために下げる時と、下げるために上げる時とがある。

これの区別を間違えるとえらいことになる。

小豆相場の大勢は、これはもう間違いなく下のものである。将来の自由化含みや輸入枠の拡大傾向など、小豆の世界も今までとは違った次元に移行していくところである。

これを時代の移り変わりというべきか。

いまは、中国小豆の入船が遅れている。現物価格が強張っている。安値叩いた玉が気味悪がって煎れている。強気筋が三万三千円(先限)あたりを目標にしている―等々で、トレンドも下げに抵抗を示すが、これは、下げるための土盛りに過ぎない。

値の上で先限三万三千円はないだろうが、気分の上で二千円台を買い切れば、その後の反動は、かなり厳しいものになる。

政治の流れや世の中の動き、そしてアメリカなど世界情勢から小豆の世界を考えると、いずれなにか激変的場面を迎えるような気がする。

その時の事を思うと上に千丁幅取りに行こうとする思惑がよいのか、下に一万円幅、ピンで80万円の価格革命に乗り切るのがよいのか自ら答は出てくるだろう。

いまそれをいうと人は笑うだろうが上値三万三千円、下値二万二千円。いずれも可能性がある。

もとより一万丁下げという相場は今すぐではない。三(み)月半年ぐらいかかるかもしれない。そのような物指しで、この小豆を眺める目も必要でないか。

輸入大豆のほうが大勢下げトレンドの中で押したり突いたりする。シカゴの線は愈々重たい。

穀取輸大は高値買い玉が〝お辛〟の心境。強く見えても直る相場でない。下げるための単なる戻りだ。

●編集部註
 筆者は、この文章を読んで、別の意味で〝時代の移り変わり〟を感じている。
 筆者が感じていた生前の風林火山の文章とは一つに〝飄々〟、次に〝達観〟であった。
 幸いな事に1960年代後半、主に70年代からの風林火山の文章に触れる機会を得て、そこから感じたものは〝鋭利〟で〝論理的〟な思考のピラミッド。日本語も美しい。
 私見ながら1983年のこの文章は、二つの時代を両方感じさせる。
 上げのための下げ―といった達観フレーズは、とりわけ後期の風林火山がよく用いていた。逆に、ここまでの記述には、こうした達観フレーズが出現する機会が比較的少なかったような気が。むしろ無数のロジカルな刃が飛び交っていた。

昭和の風林史(昭和五八年十月一三日掲載分)

2019年10月30日

夏の疲れが徐々に出る頃

投機意欲をかきたてるマインドが薄れ玉は踊らず夏の疲れもドッと出てきたようだ。

小豆は買わなきゃいかんのに買えない―という感じ。

目先もう五、六百円上に行ってしかるべき環境(材料)なのに重たい―というわけだ。

ここでモタつくと悪い格好になる。千円下げてもう一回考えるところか。

輸入枠を気にしているのは当然で、強気は強気、弱気は弱気、それぞれ都合のよい数字を頭に置いている。商いのほうは極端に細く動機づく材料としては輸入枠の数字次第。

目下のところ強気買い方は当然としても弱気売り方も、ここでは下げずに上千丁、先二本の三万三千円あたりがほしい。

期近二本の取り組みや現物事情は、誰かが〝仕事〟をすれば、かなり舞い上がるバランスになっていて、当限納会から前に回る11限は怖さを秘めているわけだ。

そのようなことから乾坤一擲前二本やる気で買ってくれて、先のほうも、つれ高の三万三千円コースに走れば、これぞ絶好の売り場になるわけ。

自分で相場を頭の中でつくってはいけないが、あり得ること、可能性の問題として、こうなれば、ああなり、ああなりゃ、こうするという段取りは必要。

いま逆に、ここでストトンと先限千丁も下げたらどうか。その時の需給観とT社筋の買い玉動向がキーポイントになるわけで、上千丁ならよいけれど下千丁では売り場を失して困る。

輸入大豆のほうはこれも米農務省の生産予想発表待ち。シカゴ罫線は八㌦割れへの落下エネルギーをためている姿みたいだ。

穀取輸大は手口が急に細くなった。投機家の夏の疲れが出ている。売り方は踏まされ、買い方は高値掴みで、玉が踊らない。

ゴム、精粗糖にしても玉回転が止まった。そして新規仕掛けに妙味ある商品がいまはない。閑も当然。

●編集部註
 買わなきゃいけないのに買えない理由は2つ。物理的に相場を張る資金が足りぬ、あるいはない。そうでなければ「相場を張る勇気がない」のどちらかであると、経験則上筆者自身は思っている。
 「私が買えば相場が上がり、売れば下がりだす」と嘯くプレーヤーに筆者はお会いした事がない。逆の事を言う人は、星の数ほどお会いした。
 長年相場と対峙していると、何らかの〝ゾーン〟に入る時がある。しかしここで過去実際に動いた場合の経験則が、相場師の行動を阻むのだ。
 そして動かなければ、読み通りの展開になる事のなんと多い事か。
 皮肉なものである。

昭和の風林史(昭和五八年十月十一日掲載分)

2019年10月29日

小豆・弱気も高値がほしい

下げるために高いところに引っ張り上げる小豆で、先二本二千七百円がほしい。

小豆は強気している人にとっては実に心地よい材料が揃い、相場また期近限月が軽い足取りで、輸入小豆の入船遅れなど、いまこの相場を上げずして、いつ上げる時があろうか?というムード。

しかし全般人気としては売りたい人が多いように見受けられる。

売りたい人の多い相場は上がるとしたものだ。

取り組みは細る傾向で玉がほどける流れだ。上げながらの取り組み減少は無条件買いご用心である。

現物が暴騰している事情は判らぬでもないが、やはり一種の人気作用。

そこで相場だが、先のほうに焦点を絞って考えると、上値はまだ残している。2・3月限で二千七、八百円あたり、あるとみてあればよし、なくてもよしという取り組み方でよい。

今月中一杯は二千円中心の動きで三万一千円以下の売り玉を、さあ踏め、それ踏めという強ばった動きの繰り返しかもしれない。

そのうち段々強気でなかった人達が強気に変色していくだろう。

それを見て新規売っていく手が無難で判りやすい。

この相場は所詮下げるための土盛りをしているようなもので、高く盛れば盛るほどあとの下げが速い。

遊園地などに台車を連結してカタコトカタコト高い所に引っ張り上げておいて加速度つけて急降下のあと一回転し、乗っている女の子の悲鳴をふりちぎって、もう一回転して元に戻る。

あれみたいなものである。

先二本三千円近辺あってほしい。七月あの上げを売って死ぬ思いをした人は怖くて売れないが、あのような上げかたはせん。

●編集部註
 人は何故、絶叫マシンに乗るのだろう。心の余裕というものなのか。
 昔は雨後の筍の様に遊園地があり、何らかの絶叫マシンが併設されていたような気がする。
 しかしバブルをピークに淘汰され、いまは遊園地自体が貴重な存在になっている気がする。
 一時期、日本各地で巨大迷路が流行ったが、思えばこの頃、遊園地も迷路に迷い込んで出られなくなったのだろう。
 当節、日本各地でリアル脱出ゲームが流行っているらしい。みんな囚われている「何か」から脱出したいのであろう。
 1983年はTDL(東京ディズニーランド)が出来て間もない。当然USJなど存在しない。
 この頃、絶叫マシンといえば、東の雄、富士急ハイランドと、西の雄、ナガシマスパーランドが共にギネス級のマシンを導入してしのぎを削っていた頃である。

昭和の風林史(昭和五八年十月七日掲載分)

2019年10月28日

小豆・崩れるための前夜祭

小豆はS高近辺の熱狂場面成り行き売り場になるだろう。下げるための上げだ。

西のほうは取り組み、出来高を見ても判るように小豆が依然人気を維持しているが、東は圧倒的に輸入大豆が相場の主流である。

関東の読者からは小豆より輸大を多く書けといわれ、西のほうの読者は、やはり小豆のほうを期待する。その小豆だが、先のほうで二千五、六百円あたりあってくれたら、これはもう判りやすい売り場だ。

雪でも霙でも降ったほうがよい。その場はワッと人気盛り上がりで値も走ろうが、絶好抜く手も見せず売る急所だ。

役所のほうの輸入枠は最低八〇〇万㌦と予想されている。恐らく明日あたり判るだろうが、役所も産地のお天気模様を見ているふうで雪だ、氷だ、被害だ―となれば、その減収分の枠拡大作業にかかるのだろう。

という事ならば、(1)産地に被害が出て、(2)S高に買われて、(3)輸入枠拡大して、(4)あと暴落という筋書きになる。

これなら売り方も、買い方も両方結構という相場。

輸大のほうはシカゴは完全天井打ち。しかし高なぐれで気を持たす。

商社も問屋も製油筋も食品大豆実需筋もシカゴの燃えている熱いところを腹一杯買ってしまった。

シカゴが下げてみれば、ノツノツもたれだす。

穀取輸大は大衆筋高値?みで、自己玉は下げ賛成パターン。

ここは押したり突いたりである。市場で注目されている大手買い方の呉一岳氏(森本圭一氏代行)の去就が注目されるが、力を入れて買えば買うほどあとが面白くなるという見方。

すでにトレンドは袈裟がけ85度斜線帯に泳いでいる。だから戻り戻りを売って前に回す方針なら高値から千丁崩しが次なる輸大のストーリーだ。

●編集部註
 「インターネット」という概念が提唱されたのは1982年頃とされている。PCが拡大普及して、デジタルでのテクストアーカイブが意識され始めたのがそれから10年後。つまり我々がデジタルで追跡出来る情報は、せいぜい20~25年前、古くても30年前に入力したものが限界とされる。
 故に「呉一岳」「森本圭一」とネットで調べてもなかなか出てこない。
 これがもう10~20年前の出来事なら我々には鍋島高明氏の著述がある。
 80年代、保存メディアも栄枯盛衰があり、バラバラで統一性がない。
 今はまだ大丈夫だが、このまま対策を講じずに何十年何百年と時間が経過すると、80年代は文化史上のミッシングリンクになる可能性がある。

昭和の風林史(昭和五八年十月六日掲載分)

2019年10月25日

小豆・月上旬の高値売り場

小豆は下げめに戻している格好だ。強気できない。輸大は流れが完全に変わった。

小豆は秋名月(21日)に買いの種蒔け、彼岸底だったような足取り。

折りから産地が駈け足で冬に向かうお天気具合いで氷が張る、雪が降るなどの材料を囃して小豆はワッと商い増加。

これで大きな秋底を決めた相場なのか。

要するにこれからの需給が辛いのか甘いのか。

それらは輸入枠の決めかた次第である。

問題は小豆の取り組みが太るのか細るのか。

場面としては人気相場から需給相場への変わり目に入る。という事は消費地在庫がたまるかどうか。

あとは仕手関係とまではいかないまでも手口次第。

全般にこの辺からあと五、七百円上があれば売り場という見方が常識になっているみたいだ。

極端に輸入枠を絞り込まない限り上値にも自ずと限界がある。

また11限あたりの玉薄を衝いての積極買いにしても仕手相場に発展する環境でもなかろう。

大衆筋が総売りというのならまた別だが、取引員自己玉を見ると、そうともいえない。

とどのつまりこの小豆はまだ大底を打っていない。いま買われるのは、次なる下げを深くするためと見るのだがどうだろう。

輸大のほうはシカゴ安と円高の両方から叩かれた格好で、取り組みも押し目買い、押し目買いが上げ段階では成功してきただけに買い玉辛抱したり、難平かければなんとかなるという気持ちがある。

しかし、シカゴは完全な天井打ちだし、戻りがあったとしてもトレンドは大局的に下向きである。

商社筋などまだまだ強気だがそれはポジションのいわせる心情的なものである。

穀取輸大も円はもっと上がるだろうから戻り売りで判りやすい。

●編集部註
 穀物相場は天候には敵わない。令和元年も酷い天変地異に見舞われ、これから季節外れにして強力な台風が到来するのだがこの年も大概だった。
 83年は台風、日本海中部地震と来て10月6日には三宅島が噴火。溶岩流で400戸が焼失したが人的被害はなかった。
 三宅島は2000年にも噴火した。ただ、この時は水蒸気爆発と降灰、火山ガスの放出で全島避難指示が実施された。
 火山ガスの放出量はなかなか減らず、一部を除いて避難指示が解除されたのは2005年2月。噴火警戒レベルが1に戻ったのは2015年2月であった。火山活動による環境の激変によって生態系も変わり、研究の対象となっている。

昭和の風林史(昭和五八年十月五日掲載分)

2019年10月24日

見える見えんは時の運か

相場は情報では儲からん。相場は相場に聞くだけであるが聞ける、聞けんは時の運。

相場の世界で特に取引員第一線営業現場は、あそこが買った、ここが売ったと節々の手口に、ことのほか神経をくばるし、その手口の身元も相場がまだ立会しているうちにほとんど知れわたってしまう。

そしてこれが当たらずといえど遠からず、正確とはいえないまでも輪郭を?んでいるから、この世界の情報は怖いのである。

昔ある相場師が小豆の買い占めで苦戦している時に苦肉の策で二、三の要点に、ちょっとした情報を絶対極秘だよ―と流したところ30分もしないうちにとんでもない遠いところから尾ひれがついて逆流してきたらしい。

そしてその情報にその相場師が乗ってしまった。

あとから判ったのは、なんの事ない自分が極秘だよと流した材料が業界くまなく行きわたって自分のところに戻ってきた。

相場は一場二場ぐらいは靡いたように見えてもすぐ正体を暴露して、修正してしまう。

ここらあたりが相場は神聖にして犯すべからざるところであろうか。

さて、ことほど相場情報は速いけれど、その情報で相場が判るかといえば早耳の早倒れなどといって決して手口分析などの現場情報で相場は儲からん。

第一線営業現場は、その第一の目的はお客さんが売る気になったり、買う気になったり、商いに弾みがつくことを願う。

もとよりお客さんに儲けてもらおうと思わぬセールスは一人もいない。皆が皆お客さんに儲けてもらいたい。だから一生懸命材料を流し強弱を流す。

引かされ打たれた人にはそれなりのなぐさめになる材料を。

しかし、現実は、あすの相場は誰にも判らない。判らないが見える時と見えん時があるというだけ。

●編集部註
 言葉は生き物である。当節、日常的に使われている言葉の出自が、意外に若い時がある。
 例えば「目が点になる」は、さだまさしが歌詞に用いたの最初とされる。「バツイチ」「ヘコむ」等も意外に最近の言葉だ。
 心を折る、心が折れるという言葉も、知る人ぞ知る〝ミスター女子プロレス〟神取忍のインタビューが発祥とされる。
 何故こんな事を書いたかというと、ここまでの国内商品先物市場の歴史は「お客さんに儲けてもらおう」と務めたセールス達の心が幾数多折られた歴史でもあるからだ。
 相場を知らぬ口だけ達者な売り上げ至上主義の上司、やたらに書類を書かせる主務省等々、ネタは枚挙にいとまがない。