昭和の風林史(昭和五七年十一月二七日掲載分)

2018年12月26日

小豆は大底に段々接近す

小豆は安いほど底値に接近するから売り込むと大底で?まる。売り玉は利食い専念。

七月解け合い生き残りの小豆11月限が納会した。

強気の希望もポシャってしまう納会だった。

先のほうの限月は二万八千円を割って実勢の悪いことを知らせている。

しかし、底値圏に接近しつつあるとみるべきであろう。

安いほどに底が近づく。

解け合い生き残りの限月はもう一本12月限がある。

これが来月納会してしまえば、超高値取り組み限月が姿を消す。

春二月10日天井から十カ月。値幅一万円下げで世の中が変わるように思う。

仮りに二万六千円台があるとしても、買い玉持って辛抱できる人は、もうちょっとの頑張りだ。

大底を確認すれば、ナンピン買いすること。

売ってきた人たちは師走控えて利食い専念が本筋かもしれない。

これからは安いほどに政策が利いてくる相場だ。

また、因果玉が整理され、人の気も弱気に傾くところである。

くれぐれも安値突っ込みを売り込まない事。

大底叩いて?まったら、これは逃げられない。

輸入大豆納会は名古屋も大阪も買い方強引だった。売りすぎといえば売りすぎだったかもしれない。

しかし次の限月との逆ザヤ開きは異常すぎる。

納会落ち後の相場はどうなのか。

これが市場でいわれている三千八百円とか三千六百円という水準まで下がれば売り余地はない。

むしろ、そのような値段は買い場とみる。

取り組みに占めるT社の大量買い建ては、三千八百円→七百円を辛抱できるようならモノになる時がくると思う。

もしその安値でT社がナンピン買いを入れれば相場は急変するだろう。

●編集部註
 芥川龍之介は「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して自裁したが、この日発足した中曽根〝風見鶏〟内閣は田中角栄の影響が濃いという事で〝ぼんやりとした不安〟があった。 まだ「ロンヤス関係」という言葉が人口に膾炙する前である。情に掉させば流される浮世かな。
 歳末直前、相場も世相も〝ぼんやりとした不安〟のなか、この頃、月に空飛ぶ自転車が重なるシルエットだけの、ぼんやりとしたポスターが市中に溢れる。そこには「E.T.」とだけ書かれていた。

昭和の風林史(昭和五七年十一月二六日掲載分)

2018年12月25日

モラル説教とポジション

全協連会長がモラル論のお説教をしていた時分の生糸事情を知れば、なんだ―となる。

今の小豆相場の大底は12月10日前後に入ると思う。

ひとたび大底が確認されたら人気がどうあれ、材料がどうだろうと強気の一本道になる。

その時の値段は、判らないが、二万六千八百円かもしれず二万七千三百円かもしれないし、二月10日天井から一万円下げ二万六千二百円かもしれない。

では目先的にどうか。目先はある程度戻すのが相場のリズムである。

相場は生きものであるから呼吸している。呼吸しているものにはバイオリズムがある。

戻してどうなるかといえば、また売られる。

そのような展開で来月の大底入れを待つだろう。

二月10日天井から十二月10日あたりまでの10カ月一万丁下げが区切りとなるように思えてならない。

大豆輸入のほうは地合いが悪い。当限のみが買い仕手の突っ張りで不自然な姿だがこれも本日納会。

買い方は受けて損。そのうえ機関店は業界の評判を悪くする。

ところで雑誌「経済ハイライト」の納富氏が、T社のN社長言うに『金屋玉排除の音頭をとっている全協連会長の店で今まで一億円損をした。その伝票類全部提供してもよい。損している時はどんどん玉を受けて、生糸みたいに利が乗ってくると騒ぎだす。ポジション・トークもいいところだ』と。事情通曰く。輸大は金屋が掴まっている。

金屋は難平買いさがっている。全協連会長店にも入っている。ついこのほどまで生糸の玉も百枚以上入っていたのに白々しいにもほどがある―と。

全協連の評判は非常に悪い。まだ清水さんや山本さんの時のほうがスッキリしていた。会長降りてもらったらどうかという声が高まっている。ポジション・トークの会長では困るのだ。

●編集部註
 シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」の中にこんな台詞がある゛今や我らが不満の冬も過ぎ、ヨークの太陽のおかげで輝かしい夏が来た。我らが一族の上にじめじめと立ち込めていた雲も、大海の奥深くに葬られた〟。
 物語の舞台は15世紀の薔薇戦争。゛不満の冬〟とは敵対勢力の事を指す。 今回の文章で出て来る「金屋」と、権謀術数の限りを尽くして王位に就いた主人公、リチャード三世の姿とが、物語の終盤も含めて重なって見える。この時分の「金屋」には、このセリフがピタリと当てはまる。

昭和の風林史(昭和五七年十一月二五日掲載分)

2018年12月21日

どうするT社大量買い玉

輸大は大阪当限の玉締め。T社大量買い建玉の問題。六本木二の舞いの心配等大変だ。

米国から「とりあえずの例示」として農産物六品目(雑豆も入っている)を中心に日本の輸入制限をガットの二国間協議に持ち込む用意がある―と通告してきたことを材料に小豆相場は売られた。

相場としては当限の九百円弱戻し、先限の六百円強戻しで、下げトレンドの中の一呼吸を入れた格好だから、十一月15日の安値を割って投げを強要する動きになってもおかしくない。

上場相場に押し目が入るように、下降相場に戻りがつきもの。

この戻りを、出直りと錯覚させるのが、値頃観である。もうこのあたりの水準ならという、「もう」がいけない。
相場の世界では「もう」は「まだ」なりという。

やはり二万七千円割れというあたりまで行ってしまうのかもしれない。

しかしこの相場もどこかで底が入る。それは多分来月中頃であろう。

輸入大豆は円高に加速度がかかり、また中国大豆の先に行っての大量入荷予想で、大阪当限以外は値崩れしている。

先のほうの限月にはT社の膨大な買い玉が高値で掴まっている。

そして、業界では色々な噂が数日来流れ、大豆市場の違約事件まで心配されていた。T社が追証を入れない―と横になった場合、T社機関店は当然、大量の買い玉を投げるしかない。それとも、また抜け解け合いという事か。

九月。某穀取会議室に業界団体の会長が取引員五社の幹部を呼び出して「モラル論」の説教をした。要するに君んところはT社の生糸売り玉を受けて、けしからん…ということである。これは建玉ポジションに絡んだ圧力以外にない―と評判だった。

T社大豆が六本木の二の舞いにならねばよいが。

●編集部註
 その昔、大阪にガーリックボーイズというパンクバンドが存在していた。
 最近、某アイドルグループが彼らの名曲をカバーした事が、一部でちょっとした話題になっていた。
 その曲の名は「あんた飛ばし過ぎ」。この記事の最後のくだりを読むと、この曲で延々繰り返される「ちょっと、アンタ、飛ばし過ぎっ!」という歌詞が思い浮かぶ。
 ご興味のある方は是非ネットでご検索戴きたい。
 この時、取引員だけでなく米国も飛ばし過ぎであった。ニュースでは、日本車をハンマーで叩き壊す映像が流れ、デトロイトでは、中国人が誤って白人に殺された。

昭和の風林史(昭和五七年十一月二四日掲載分)

2018年12月20日

今月も玉締めするのか?

バクチの道具に使われる輸入大豆は上場廃止すべきだ―という声が段段強くなる。

小豆相場の当面は戻してよし、下げてよしのところ。

戻しても、怖くない(売っている人にとって)相場。

という事は、強張ったところを買ってもつまらないことになる。

むしろ盛(も)りのよいところ、先二本の九千円台は売って判りやすい相場である。

それでは、この下値であるが、いつ頃、どのあたりが買い場になるのか。

相場というもの下がるばかりの一本道ではない。必ず下げ終われば次は上昇トレンドに乗る。

ほぼ九カ月にわたる長かった小豆の下げトレンドも来月の中頃にはピリオドを打つと思う。

その時分の値段としてはやはり二万七千円台か、瞬間的に二万六千円台に落ち込むかのところ。

要するにそのあたりが終着駅。

思えば早春2月10日、東京三万六千二百円天井。

長征十カ月に及び一万円下げという姿でなかろうか。

この間、君は春秋に富み、相場は漸く老ゆ、知らず此の大底を―。

戦を欲するものは戻りを売ればよい。休養を欲するものは買い場を待てばよい。眼前まさに師走の候。

輸入大豆は大阪市場当限野中の一本杉。

中国大豆入船遅れ。大阪渡し物不足。買い仕手頑強。

しかし先に行けば品物は入るのである。

当限は納会強引に締めれば先月東京納会同様の狂騰もあるだろうが、先月納会あの件でさえ、輸大上場廃止論が拡大した。

大豆は国民食生活の上で主食同様の重要性を持っている。その大豆を一部投機家の手によって、このような事を繰り返してよいのか―という非難はいまも変わらない。上場廃止すべきだという実需者、流通段階の声を無視できない。

●編集部註
 悪貨は良貨を駆逐する―という言葉は、全てのジャンルはマニアが潰す―という言葉と通じるものがある。
 先物相場には、本来価格の〝平準化〟という役目を担っている。しかし、どの世界にも〝厄介〟はいるもので、その〝厄介〟がシステム自体を崩壊に導く。
 〝厄介〟にも〝厄介〟なりの言い分や論理があるのだろう。ただ、それは大抵が狭量で自己中心的で周囲が見えていない。
 売るにせよ、買うにせよ、相場には相手が必要であり、ゼロサムゲームで相手を叩き潰してしまうと周り回って自分が困る事になる。トムとジェリーではないが「仲良く喧嘩」する必要がある。

昭和の風林史(昭和五七年十一月二二日掲載分)

2018年12月19日

小豆は上昇する力がない

小豆は安い節を売りにいかず、強く見えたところを売り上がる気なら判りやすい。

小豆相場は生産者団体や農水省当局の価格維持希望に敬意を表して、安いところは売らない。叩かないようにする。

しかし戻ったところを売るのは各人の相場観でこれは自由である。

相場は政策にも左右されるが、実勢には勝てない。実勢即ち需要と供給。

いま仮りに輸入枠を零にしても、台湾からは加糖餡を入れる流れになれば、北海小豆は一部高級菓子用の需要のみで、定期用の道具という流通構造の変化をまねき、生産者団体は墓穴を掘りかねない。

役所も、増反運動という鹿を追う猟師山を見ずの感だが、需要を無視した政策は必らず失敗する。

それと、その時の都合で外貨発券を見送ることになれば中国、台湾の輸出側は、北海道が不作の時でも供給できない―という態度にでるかもしれない。

だから、その辺のことを考えると、豊作の時は豊作らしい相場をまずだして、自然の流れにまかせるべきである。

先限は高値から千五百円下げて、半値戻しの九千円台を売りたい人が待っている。

先のほうの九千円台の盛(も)りのよいところを売っておけば、少なくとも千五百丁下げが取れるような相場つきとみる。

今月納会は品物も少ないが、受けて妙味があるわけでない。

受けて、みすみす損というものを思惑で受けていくほど、ゆとりはないはず。

線は15日、16日足軽く立てた陽線が利いているが17日利食い押し、18日材料買い、19日反省売り。

輸入大豆は円高で長期限月はその分下げがきつかった。

円は一㌦=二四〇円に向かうトレンドに乗っている。

問題の当限だが、大暴落の十字架を背負っている。

●編集部註
 「鹿を追う猟師山を見ず」とは手厳しいが、事実ではある。
 事実、その時その時の状況に応じて、後から見ればその場しのぎの策で対応して、取り返しがつかなくなってしまった。
 中国の話であったか、日本の話であったかは忘れてしまったが、昔の医術の話を思いだす。
 下手な医者は、頭が痛ければ頭痛薬、熱が出れば解熱の薬と、諸症状に応じて投薬する。それでは何の解決にもならない。
 良い医者は諸症状から根本的な病原を探り、それを取り除くように薬を処方するのだとか。
 諸事に通じる話である。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十九日掲載分)

2018年12月18日

金屋玉でもろ過紙通せば

小豆相場を、どのように考えたらよいかを、時間かけて考えるところにきたと思う。

小豆相場は〝政策は信ずべし、されど信ずるべからず〟という言葉を、どのように受けとればよいのか。

その段階にきている。

簡単に申せば今は、逆張り型。先限二万九千円を中心に上下五百円圏内のどのあたりで逆張りするのだろうか?

読者から電話が非常に多い。ということは、少なからず筆者の強弱に提灯がついているわけで、これは心しないと必ず提灯倒れになる。

などと書くこと即ち、お前は天狗になっている―ということにもなるから怖い。

人気のほうは気迷いである。11月底が入ったようにも思えるし、九千円台の盛りのよいところは再び売り場になるようにも思えるし、ここは判らん。

このような時は相場から離れることである。

当限納会を見たうえで考えるところかもしれない。

言えることは売ってきた人は本年大豊作(大勝利)だったと思う。師走近くして大きな苦労を買いにいくこともない。玉がないのが一番気楽。だから、相場の決め手を?むまでは人気の流れを見て暮らす。

輸入大豆はどうなのか。当限は腕力相場みたいだ。目には目を歯には歯を。

先のほうは〝金屋〟の買い玉を入れるだけ入れておいて梯子をはずす格好だ。

円高が進めば、やみくもの強気もできない。

〝金屋〟玉には受託忌避の大義名分がある。役所も取引所も業界団体も悪魔のようにあつかう。

しかし、未だ四十社に及ぶ取引員が〝ろ過紙〟を通した玉ならば、厄よけできたという神経。そこのところが判らん。悪魔にタマシイを売っておいて、おもてヅラは金屋玉排除を声高に唱えているリーダーの無神経を疑う。それこそチャンチャラおかしい。

●編集部註
 この年の10月から翌年1月の11週間で50円も円高になるとどうなるか、実際に生活した事がないのでわからないが、今なら被害は甚大だろう。
 グローバル化も良し悪しで、自国で何とかやりくり出来ていたのが幸いだった面もあると思う。ただ円が高くなると、円建ての金価格は安くなる。
 徳力本店が公開している年ごとの市中小売り年間最高価格を見ると、81年が3895円、82年が4220円、83年が3975円となっている。
 豊田商事が社会問題化するのは85年なのだが、存外この時の相場変動が関係していると思われる。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十八日掲載分)

2018年12月17日

強気急増で輸大は頭打ち

小豆は下げてよし、戻してよしという場所にきている。輸大は強気増加して反落。

ここからの小豆相場をどのように考えたらよいか。

この場合、政策面を重点におくのか、純相場波動即ち相場は相場であるという考え方に比重をおくかで、強弱が大きく開く。

前者の場合は農家手取り三万円という目標値段にコンパスの中心をとる。

しかし、これはあくまでそうあってほしいという事で、現実の世界とはかなり離れている。

純相場論からいえば今の取組量(ボリウム)、下げ日柄、下げ幅、そして在庫量と人気。

それらをあてはめると、トレンド上の二万六千八百円があってもおかしくない。

また昨日も書いたように、市場人気は売り安心になると相場というもの流れを変えてしまう。

お正月を控えての年末需要がどれほど伸びるか。

輸入小豆の供給が先細りになって、北海小豆との役者の交代がどんな格好で行なわれるのか。

いまは絶対的に買いだとは断定できぬし、絶対的に売りだともいえぬ場所に相場がきていると思う。

また安かったら買うのか、戻ったら売るのかも見極めがたい。

いえる事は下げてよし、戻してもよしである。

輸入大豆は当限はバクチになっている。船が間に合わなければ大阪五千四百円。物が入れば四千百円というところ。

一般大衆は高見の見物。

為替市場の円高に勢いがついてきた。円強気は㌦二四〇台と予測している。これも下げるだけ下げたから上昇トレンドに乗ってもよいところ。

シカゴ大豆は堅調だが、いまの輸大相場はシカゴと関係ない人気。

全般に大豆は玄人も素人も本気で強気になったから相場の流れが変化して当然。

●編集部註
 「ボリューム」を「ボリウム」と書くところが、何となく〝昔の男〟を思わせる。
 是非の問題ではない。
 〝味〟の問題である。
 風林火山は、内田百閒が大好きだった。
 彼の著述の中では、「ボーイ」は「ボイ」、「バター」は「バタ」、珈琲は「コーヒー」ではなく「カヒ」と表記した。何れも向こうの発音に近い。
 岡山の素封家の出身で、東京帝大でドイツ文学を学び、陸軍士官学校や法政大学でドイツ語を教え、夏目漱石の弟子として漱石の著作の校正を担当。日本を代表する随筆の名手―と経歴だけを書くと輝かしいが、その実、相当な変人で借金魔。更に未曽有の食通にして重度の鉄ヲタでもあった。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十七日掲載分)

2018年12月14日

輸大買い方はしゃぎ過ぎ

相場は人気の裏を行くとはよくいった。はしゃぎ過ぎたら相場様は、向きを変える。

輸入大豆当限が中国大豆入荷のはしゃぎ過ぎの裏が出て船積み遅れ、カラ売り玉の煎れ上げ、新規思惑買いなどから棒立ちしたが、全般の商いはなぜか低調だ。

月初めT社筋の大量買い玉が輸大市場に入って大衆筋もこれに提灯をつけた。そのあと円高や中豆入荷を騒いで反落したが当限のカラ売り玉が締めあげられ、相場というもの、はしゃぎ過ぎたらアカンということを教えた。

これは小豆相場にもいえた。

三万一千円だ、三万一千五百円だ―とホクレンの価格政策や農水省の今期輸入枠操作を期待して強気は上ばかり見ていて足もとをすくわれた格好。

その小豆だが、今度は売り方が、はしゃぎ過ぎて安値を叩くと意外な反発がこよう。

見ていると値段は二万八千円割れに抵抗しだした。去年も11月19日に大底を入れている。

人気が急速に弱くなりだしたのが気になる。戻りは安心売りの空気がいけない。

これは輸入大豆についてもいえるだろう。

あれだけ弱かった輸大人気が、ここにきて、それはもう強気ばかりだ。

船積み遅れ、入船遅れ、玉不足、納会10月の二の舞い。渡し物ほとんどない、中豆の品質見直しなど、それはもう強気一色になった。

そうなると相場は皮肉にできているから買うだけ買わせ、煎れるだけ煎れさせ、買ったらしまい。煎れたらしまいとなるわけだ。

得意の時は謙虚たれ。失意の時は泰然たれ。これがなかなかできない。当たっている時は傲慢(ごうまん)。曲がった時は悄然。

小豆は戻しても、出直りには直結しない。輸大は、かなりきつい下げかたをするだろう。舞台は回り持ち。

●編集部註
 この日も風林火山の商品先物ブルースが流れる。
 そういえばこの頃、上田正樹の「悲しい色やね」がヒットしている。発売当初は売れなかったが、有線放送で火が付き、この頃には人口に膾炙している。それは、デビューから10年目であった。
 東京に居て、恵まれている点は幾数多あるが、渋谷や池袋など、都内に幾つも昔の映画を上映している映画館が存在している点は映画好きにはありがたい。旧作を、新作のように観る事が出来る。
 少し前、渡瀬恒彦の追悼特集で、「仁義なき戦い広島死闘篇」の同時上映であった73年の彼の主演作を観に行ったが、ある場面に歌手役で上田正樹が登場する。歌声で「あ、上田正樹だ」と判った。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十六日掲載分)

2018年12月13日

小豆相場の下値を考える

◇…小豆は二万六千八百円があるかもしれないが、ないかもしれない。輸大当限は急所。

◇…小豆相場は、このあたりで様子を見ようという動きになりそう。
二万八千円を割っていくトレンドは残っているが、生産者団体、あるいは農水省の価格対策が、相場水準低ければ低いほど敏感に響くから御用心。
◇…今年の小豆の大きなトレンドは(大阪先限)次のようになっている。
二月10日大天井三万六千八十円→一段下げ五千丁。
これが五月6日下げ止め。
第二波動は六月3日の三万三千五百三十円からの五千三百七十円下げ。
これが七月19日下げ止め。
第三波動が八月11日の三万一千八百円からの下げ。
五千丁ひと波動とみるなら二万六千八百円あたり。
◇…だいたい五千丁、五千丁と下げてきている。
そして罫線の横幅(いわゆる日柄)は、筆者のグラフの節足新値三段で左右十二、三㌢が一区切りになってきた。
◇…それからみると、日柄(左右の幅の目盛り)はぼつぼついいところ。
ただ縦(タテ・値幅)が五千丁ひと波動とすれば、あと千六百丁ばかり下げ足りない。
◇…問題は腹八分でなく腹六分、あるいは腹半分でうまいところだけ食うという相場哲学を持つのか、いや根本一杯までという考えなのか、人それぞれ考えは違うから、ここから先は各人の気持ち次第であろう。
◇…今のところ二万六千八百円がないとも言えず、あるとも言えない。
目先的には、ゆさぶるところだろう。
へたに戻せば、あと千五百丁取りの売り新規もスリルある方法。投げらしい投げが出るのはその時か。
◇…輸入大豆は当限の売りが踏まされていた。
しかしこれも、いまや時間の問題。かなり息の長い相場だったが、末期にきているから崩れたら怖い。

●編集部註
 「もう」は「まだ」なり、「まだ」は「もう」なり―という相場格言があるが、市場全体に「もう」という空気が出て来ている事を受けてのこの記述なのかもしれない。実際、小豆相場は「まだ」だった。
 日本の輸入大豆相場も「まだ」であった。ただこれは生産地相場ではなく、消費地相場であったが故の悲劇と見る事が出来る。
 実は、シカゴ大豆相場の底打ちはこの年の10月に完了している。日足を見ると11月には一段上げて上昇基調に入っている。
 しかしこの時、ドル/円相場は強烈な円高になっていた。10月末に1㌦=277であった相場は翌年1月に227円に。これが相場に直撃する。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十五日掲載分)

2018年12月12日

輸大当限暴落時間の問題

輸大当限・大阪、名古屋は月曜後場か火曜16日から逆落としの大暴落に転ずるだろう。

輸入大豆当限の手品の種も、うしろから見ておると、ここまでは上出来だったといえる。

しかしこれだって小豆の気崩れの怪同様に、その正体が解明できれば、なんだ、そんなことだったのかとなるわけだ。

恐らく輸入大豆当限の突っ張り高は今週月曜か火曜までだろう。

中国大豆の船が少々遅れても繋いで十分の値段にあるから、納会まで日数を見ながら渡しの準備作業のピッチをあげる。

大阪当限にはIOMの渡し物が、かなりありそうだといわれる。

来月に入れば物はジャブジャブだ。実需は、ここしばらく、最低ギリギリの当用買いで凌(しの)げばよいのだから、あとは定期のカラ売り玉の煎れだけ。

大連は猛吹雪などとみてきたようにいうが、なんのなんのその時、風力3・快晴・気温14度だった。相場の世界はこのようなデマが飛びやすい。

玄人は〝船舶日報〟をチェックし、現地とのテレックス交信で、中豆入船は、心配する状況でないという。

とにかくまだ先月納会受けた現物に金・倉の時計の針が動いている。

物はないのではない。十分にあるのだ。

まして九月、十月と続いたあと今月も玉締めスクイズをしようものなら、穀取市場に対する風当たりは一層厳しくなる。

いうなれば今の大豆当限は世の中の自然に逆らっているわけで、このようなことは、一時的現象で長続きするわけがない。

無理したあとのトガメの大きさは七月六本木小豆、十月栗田生糸で見てきた。

輸大当限も同じことがいえると思う。

小豆相場は、相場は相場であることを見せてくれた。相場は人為の及ばざるものである。

●編集部註
 小豆市場に依然として嘆きのブルースが流れているなか、世間はこの日、高らかなファンファーレが一部で流れていた。
 1982年11月15日は大宮~新潟間で上越新幹線が開業している。上野駅まで伸びるのは1985年。まだこの時は国鉄であってJRではない。
 東京駅に乗り入れる事が出来たのは1987年4月に国鉄がJRになって4年と2カ月後の1991年6月である。
 それから25年後、この路線を使って現美新幹線という観光列車が走って好評を博すとは、当時夢にも思わなかっただろう。