昭和の風林史(昭和五八年十二月二十八日掲載分)

2020年01月23日

波乱に明け波乱で暮れる

御愛読を深謝します。来年が(来年も)よいお年でありますように。

小豆の売り方は心ならずも苦渋に満ちた越年であるが、男子志を立てた以上は信念を貫く時も必要である。

前に回る一月限は年明け早々臨増しがかかる。

『市場管理委員のメンバーが期近を買っているからいつもよりきつい臨増しをかける可能性があるから、期近の売りは早く踏んだほうがよい』と言っていたが、それは昔やったことであって、今どき、そのような私情による管理はできないシステムである。

だいたい追証切れで期近の売りは踏み終わりあと残っている売り玉は、納会まで煎れるものか―と横になった玉である。

追証さえ積めば文句ないわけで、追証が怖くて相場が張れるか。

一月限日足(大阪)で七ツの空間窓をあけた上昇であった。カラスの子じゃあるまいし七ツも窓をあけて飛ぶ相場なんか見たこともない。渡し物がないから、まだまだ上だと言うが、相場というものは行き過ぎると内部要因面から自壊作用を起こすもので品物は、なくても下げる。

仮りに一月限売りは憤死しても二月限、三月限と柳の木の下に泥鰌が四匹も五匹もおるはずがない。

この相場が値を出しきってしまえば、それからの下げというものは押し目買い人気であろう。

売ったから突き上げられた。今度はその逆で、買ったから崩れ落ちるということになろう。

思えば九月21日仲秋名月から一月限一代棒で三段上げ。値幅にして四千八百四十円。日柄にして72日は三つきまたがり。

年明け早々大発会当限天井ということもある。

まあ、先のほうの限月を売っている分には、なんという事もないが、厳しい相場だったし、その厳しさはもう少し続く。

●編集部註
 追証、臨増という用語はなくなったが、SPAN証拠金制に変わり、必要証拠金の金額自体がその都度変わるルールに。増減を問わず、証拠金が変わる時は相場も節目になりやすい。特に金額が増える際は、種玉を残して玉自体を減らすに限る。筆者自身が小心者である事にも由来するが、過去新たに証拠金を徴収するような局面で、新規の取引をして碌な事がなかったという印象が強い。
 意地を通せば窮屈だし、情に掉させば流される。相場の世界では、幾ら角が立とうとも、智に働くのが正解と考える。
 「知」ではなく「智」であるというのがポイントである。漱石の草枕は「智」になっているが、時折「知」になっているものも…。 日が付いているか否かの違いは存外大きい。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十七日掲載分)

2020年01月22日

売り屋の正月は旧でいけ

できぬ辛抱するが辛抱。一生のうちに正月ができない時だってあろうというもの。

明日大納会。小豆の基調は堅調そのもので、一月限に渡し物がない以上、年が明けても今までの流れと変わるところがないし、新春は暴走してしまうかもしれないという見方が一般化した。

また、大逆ザヤのサヤ修正は先限が期近の水準に寄ってくるという見方で売っている人達は気の重いお正月になりそうだ。

それにしても売り辛抱組は声が出ない。今年のことは今年のことで売り玉煎れてしまう人。いや、せいぜい一月半ばまでの波動だろうから追証を積んで持久戦に持ち込もうという人。

逆境組の心理状態はギリギリのところまで完全にきている。

買い方は玉の回転が利いて、しかも新春高は絶対の絶という確信があるから、買い玉を越年させればよいというムードである。

取り組みは減少傾向である。逆ウォッチのチャートでいえば、取り組み減少しながら相場高は、昇りつめた竜の姿で、このあとワッと高い場面の出来高増大場所あれば転機になる。

臨時枠の問題とか次期枠の拡大、あるいは自由化問題など、すべては来春に持ち越しで、売り方は冬ごもりするしかない。

大寒波襲来は大連港の積み出しに影響をもたらす。

まさしく売り方は四面楚歌で気やすめになるようなものは、なに一ツないから、変化がくるとすれば恐らく内部要因面からであろう。

思えば人並みの正月などできない小豆売り方であるが、一生のうちに二度、三度、正月できない年もあろう。それが嫌なら相場から足を洗うことである。

逆境の時は泰然たり。待てば海路の日和かな。辛抱する木に花が咲く。恐らく旧の正月は、うま酒の一杯もやれるだろう。人間、銭のないのは首のないのも一緒だが、銭は天下の回り物。

●編集部註
 逆ウォッチ曲線とは懐かしい。無礼を承知で言うが、現在このテクニカル手法を駆使する投資家は何人いるか。商品先物では皆無ではないか。
 このテクニカルは、出来高と切っても切れない関係がある。言い換えれば商いのない銘柄にこのテクニカルは使えない。瀕死の白鳥と化した令和の穀物市場に、この手法は全く使えないのだ。
 その反面、バブルと化している現在の株式市場には存外使えるかも…。
 相場はホイッスルと共にノーサイドとなるゲームではない。むしろ自ら終了を宣言する将棋のエンディングに近い。異なるのは、負けだけでなく勝ちも宣言し、感想戦を行わない点であろうか。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十六日掲載分)

2020年01月21日

売り玉呻吟して逃げ込む

もう時間がない。追証叩き込んで大納会に逃げ込めば春は春の絵が書けよう。

泣くも笑うもというところにきた。今更という気もあれば、ここをなんとか凌いでという気もある。

人生は気が萎(な)えたら負けである。

小豆の売り方は決して明日(あす)に望みがないわけではない。

勝敗は兵家も事期せずという。羞(はじ)を包み恥を忍ぶはこれ男児。少々のことでへこたれるな―と。江東(江南の地)の子弟才俊多し、土を巻いて重ね来たる。未だ知るべからず(杜牧)。

捲土重来とはここから出た言葉である。

負け戦さにおける兵法第一は兵力の逐次投入の愚に陥らぬこと。第二は陣を捨て、兵を捨て逃げて、逃げて逃げのびること。

さもなければ重装備で貝の如く城にとじこもり世の中の変化を待つ。

ともに追証、臨増しに耐えるだけの資力と、絶望的戦況にも微動せぬ気力を必要とする。

相場戦線の逆境は日常茶飯事。兵力の逐次投入即ち難平(なんぴん)であり、作戦の分裂即ち両建の両損である。

早逃げの早勝ち、即ち見切り千両。しまったは仕舞え。これができるのは兵力を残しているあいだだけである。

小豆戦線は買い方勝ちに乗じて一月限を締め上げ二限、三限と勢力拡大し「逆ザヤ売るべからず」の大きな幟(のぼり)が立っている。

ようやく売り方も、この苦しい戦いは一月半ば頃から二月上旬あたりまで持久態勢を採らざるを得ないと腹を据えだした。

首の皮一枚残して大納会に逃げ込めば長い人生、正月しない年だってあろう。

●編集部註
 〝早逃げの早勝ち、即ち見切り千両。しまったは仕舞え。これができるのは兵力を残しているあいだだけである〟。確かにそうである。しかし、それだけではない。
 ヒントは、浅田次郎の競馬に関するエッセイの中にあった。
 勝負事に身を置く人物の最悪のコンディションは「くすぶり」だと浅田は言う。やることなす事全て逆目に出る。それなら当たるだろうとしても、くすぶっている時は逆目に張ると順目が出る。
 くすぶりは自分自身が生み出してしまうケースと、他人のくすぶりが伝染し、罹患するというケースの2種類がある。前者なら身から出た錆と突き放すなり、自重する事も出来ようが、後者の場合はたまったものではない。
 故に浅田は、くすぶっている者には近づいてはいかないと警鐘を鳴らす。このあたり、「無欲万両」「休むも相場」に通じるものがある。
 だが、絶賛くすぶり中の人間は、「休むも相場」など忘れて、腹立ち商いに身を滅ぼしてしまう。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十三日掲載分)

2020年01月20日

市場のパイは更に小さく

ネガチブ・サム社会とは小さくなりつつあるパイを取り合う今の小豆市場をいう。

小豆一月限も玉締めの恐れありという市場の常識になっているが、人気面では、かなり嫌気して小豆離れの傾向だ。

ホクレンという狭い牧場の中で三晶という牧童に縄をつけられて走りまわされているような小豆の市場では、他商品に比べ証拠金も高いし、セールスもお客もソッポ向いてしまうとうまいことをいう。

IQホルダーの三晶の外貨割り当て比率を、もっと低くして、その分を分配するよう政治的はたらきかけがなされているというが本当だろうか。

IQ小豆をホルダーが定期市場で買い思惑し、輸入独占の暴利をむさぼるなどもってのほかだという声はたえず聞かれる。

また、外貨を使わない三晶の外貨を実需家に再割り当てすべきだ―とも。

いずれにせよ小豆の輸入枠を拡大するか、自由化にもっていくか、政治的な動きが水面下でかなり活発化しそうである。

相場は年内逆張りと見る人が多い。

下げたところを売ってはいけないという認識が強まった。

取り組みの減少と各節の薄商いはスキャルパー筋のスクイズに多くの人が嫌気している現れで、こんなことをしていたら、ますます小豆ムラは小さくなり、手亡の市場と同じ運命をたどろう。

それでも私は小豆をやるというマニアは、どんな理屈に合わないことがあっても腹を立てない事。
腹立ちまぎれの読者からいろいろ言ってくるが、負けたから腹が立つので、それが嫌なら小豆から綺麗に足を洗うことである。

思うに相場は相場である。ミクロ的に見れば人為の及ぶところもあろうが、マクロ的に見れば人為の及ばざる世界である。だから小豆でも面白いのだ。

●編集部註
 実際、この時の風林火山の予言は的中した。
 どのジャンルも、コアとなる古参マニアの動きを感度の高い〝にわか〟が飛びつき、そこから軽い〝にわか〟が群がる。しばらくすると一部の〝にわか〟がマニア化し、段々と閉鎖的な空間になって来る。軽い〝にわか〟が離れ、古参マニアは別のところに行き、その時、ムラは小さく寂れている。
 ノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの書いた「百年の孤独」は、後に魔術的リアリズムという用語で呼ばれる事になる独特の筆致で一つのムラが始まり、栄え、廃れ、無くなるまでを描いたある意味おとぎ話なのだが、ただの物語が後世の予言のようになる事は小説の世界ではよくある話である。
 日本の穀物市場の栄枯盛衰に当てはめて、今この小説を読むと非常に理解がしやすいと思う。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十二日掲載分)

2020年01月17日

売り方は喪家の狗の如く

相場に腹を立ててはいけない。売り方は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)である。

年末競馬と相場は荒れるというが大穀手亡ピンの煎れ玉で二千五百九十円高とは恐れいった。

取り組みの少ないものに手を出すな―を絵に書いたような市場で、上場商品としての資格を失っているものだけに、そのような手亡に手を出したほうが悪いとなる。

小豆納会も上値は付けほうだいの手口だったが、五千円は遠慮した東穀、大穀だが、ローカル名穀は東西からの玉があって、名古屋なら少々無茶をしても大目に見てくれようという数日来の相場だった。

大穀手亡同様、名穀小豆市場は〝怖い市場〟ということで、淋れ行く街にならなければよいが。

夏の天候相場の時は市場の玄人筋が売っていたから五千円は付けるべからずなどと政治的な動きもあったが、今回は大衆売りの玄人買いだから、そのような声は出ない。

要するに売り込みのトガメというわけだ。

この世界は勝てば官軍だから、負けたほうが悪い。

さて、11月、12月と真綿で首締める目立たないような小型スクイズが成功していよいよ買い方本命中の本命である一月限が焦点の相場になる。

市場人気も、ようやく売っては危険だと悟りだした。

恐らく柳の木の下の三匹目の泥鰌(どじょう)を狙いにいくだろう―と。

しかし売っている側は三千丁から五千丁崩れを考えているから、期近限月は踏まされても虚仮(こけ)の一念岩をも通す。

強気は恵比寿(一月十日)天井とか節分(二月四日)天井という見方をしだした。勝ちに乗じた時の勢いというものか。

売り方は敗勢にあるから忍の一字。気やすめはいわない。鳥なき里の蝙蝠みたいな相場に思えた。

●編集部註
 〝取り組みの少ないものに手を出すな―を絵に書いたような市場〟を如実に表しているのが、令和2年の大発会における金相場である。
 60分足、ないし30分足で通常の金取引、ミニ取引、スポット取引の罫線を並列で見ると良い。なかなかに味わい深いものがある。モニタでリアルタイムで見る事が出来る時代ならでは世界だろう。
 その昔、手書きでローソク足をつけていた頃ではあまり考えられない動きともいえる。後になって修正される事もあるからなお性質が悪い。
 相場でも、食べ物屋でも、居酒屋でも殺到している時に行くのは粋ではない。いったん潮が引いて、少々寂寥感の一つでも現れた時に、ふらりと訪れるのがよい。売る側も、買う側も余裕があるのがベストである。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十一日掲載分)

2020年01月16日

踏んだらしまいという事

高値における出来高増大は煎れのシグナル。当限納会が年内最大の山場である。

小豆は売り玉で上げ、買い玉で下げる相場になっている。

一巡煎れ出尽くすまで、売り方は辛抱できるかどうかのところ。

年内余日少なく、買い玉も利食いに入るところだ。

当限納会が大きな山場で楽観は許さないが、出来高急増を見ていると、かなりの売り玉が踏んだ。

先の方の限月も、期近にサヤ修正していた。

農作物の自由化は与野党伯仲で完全に遠のいたという見方がなされている。

しかしアメリカがどう出てくるか判らない。

なにが難しいかといっても小豆ほど難しい相場はないそうだ。

いま小豆をやっている人は相場経験豊富な人ばかりである。

現物の俵が読め、輸入数量が判り、IQ商社のポジションが鮮明でホクレンの価格支配が効果を挙げ、市場の玄人の戦術的手口がストレートに反映する。

取り組みが薄い事、出来高も少ない事、誰が売って誰が買っているかが、マルで顔つき合わせたように、狭いムラの中の出来事のように判る。

だからやりにくいという人もあれば、だから面白いという人もある。
市場の特性というべきか。

相場は勝つ時ばかりでないから逆境にある時はいかに対処してゆくかのテクニックが最後の決め所になる。

相場に曲がるのは誰が悪いわけでもない。自分が悪いのである。しまったら仕舞えが仕舞えなかったから苦労した売り方である。

●編集部註
 今回の文章を読むと、もうこの時点で小豆相場のマニア化が始まっている点が見受けられる。
 全てのジャンルはマニアが見つけ、一般に波及し、新たに生まれたマニアが新参者を排斥し、終焉に向かう。復活する場合は、また新たなお客さんが入ってくる何らかのフックが必要になる。そのフックがマニアには気にくわない。かくして、古参も消えていく。
 この流れをプロレスやアイドル、麻雀、競輪や競馬などのギャンブルの世界で何度か目の当たりにした事がある。
 株式市場でも見た事がある。愚にもつかない株式相場の漫画が雑誌に連載されると、それは一つのシグナルだった。ただ「インベスターZ」だけは唯一の例外であった気がする。最後あたりの話は酷いものだったが…。
 ついぞ、商品市場に新たなブームへのフックは現れず。マニアと霞が関の「凡庸な悪」に阿った結果がこれだ。ただ天才は忘れた頃にやって来る(星新一)という。これからなのかも知れない。

昭和の風林史(昭和五八年十二月二十日掲載分)

2020年01月15日

売り玉は忍の一字の辛抱

小豆は依然売り込んだ取り組みを煽られ、商い細りが小口煎れで売り玉厳しい。

小豆は薄商いである。その各節で煽りめいた手がふられ、いかにも強い相場と映る。実収高の発表数字を逆手にとられた格好の中で今後の政局不安と自由化問題など相場の見通しも難しい。

師走選挙の自民党は角栄勝って万骨枯るの図だった。景気のほうも、なんとか回復の兆しが見えてきた時に、今後に予想される政局混迷は国民経済にとって決してプラスとはいえない。貿易摩擦はエスカレートし、内需は更に冷え込み、日本経済は苦しい方向に向かうことになる。

さて場面は臨時枠の発券はないという判断で(実収高が予想より増加したため)二月限、三月限と買い戦線を拡大してきた。

買い方が一番怖いのは自由化の声と輸入枠の拡大であり、次期枠決定までに臨時枠を組まれることであった。自民党大敗で自由化は遠のくという短絡な予想がなされたが、次はアメリカ大統領選挙。向こうも必死である。日本の選挙中は黙っていたのだから、借りを返せと、きつく迫ろう。

いずれにしろ相場が強いのは、買い方の勢力が仕勝っているのだから逆らえない。買うだけ買う、燃えるだけ燃えるのを息を殺して待つだけである。

そのうち力をつけた野党側が雑豆IQ商社の暴利を追求する場面も出てくることで、いつまでも大逆ザヤが続くことはない。

売り玉は、とことん頑張っていくべきだと思うが、人によっては資力的に気力的に戦線離脱せざるを得ないのは、これまたやむを得ない。

相場は生き残りのゲームである。むやみに喜ぶなと同様、むやみに悲観するなである。ニヒルのたがが緩んだとたんに斬られるもので売り方、買い方、これは相場する人間皆いえることである。

●編集部註
 ここでも以前の当欄で解説した〝ロッキード選挙〟の話が出て来る。
 新潟県民の恩讐というべきか、他県民の目は冷ややかであった印象を当時覚えている。マスコミも田中角栄が総理就任時は持ち上げておいて、掌返しで叩き出した。
 故に、今から数年前に起こった田中角栄再評価のブームを冷ややかな目で見ていた。特に角栄礼賛的な書籍が文芸春秋から出ているのを見て呆れた。と同時に嗚呼、当節は出版不況なのだなと感じた次第である。
 さて、1984年は米国で大統領選があった。ここでレーガンが再選される。選挙手法等を見ると、トランプはレーガンになりたがっているように見える。私見だが、彼はレーガンよりフーヴァ ーのようになる気がしているのだが。果たして彼は再選されるのだろうか。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十九日掲載分)

2020年01月14日

下駄をはくまで判らない

小豆甘いか苦いかショッパイか。勝負は下駄をはくまで判らない。今週が楽しみ。

相場は、むやみに喜ぶなかれである。収穫65万一千七百俵と聞いて買い方は唖然とした。

売り方は、躍り上がった。やや、はしゃぎ過ぎだった。

土曜の寄り付きは買い方が制空権を握ったままの期近限月を強力買いして坂道を転げ落ちそうな車に歯止めをかけた。

相場は人気である。暴落と見た相場が逆に高くなると、売り方のショックはきついようだ。しかし、むやみに悲観するなかれ。

農水省の上層部は選挙後に予想される農産物の自由化問題(アメリカからの圧力)で会議の多い日々である。

強気は65万収穫なら輸入枠を拡大する必要はないという見方だが、臨時枠はこれで無理としても来年四月以降の次期枠を絞り込むことはない。

ひとまず仕切り直しというところか。

罫線トレンドは早くて火曜日、遅くても当限納会後から逆ザヤの無理が、とがめになる動きである。

今回の小豆は大納会ギリギリまで気をゆるせない波乱の展開になるだろう。

小豆相場のプロ中のプロばかりが、時計の針を気にしながら知略、奇略縦横に勝負している図である。

プロのゲームはニヒルである。少々有利になったからと、はしゃぐのは女、子供、素人である。

あと七日と半場の間に、流れがどう変わるか、まったく予断できない。

市場では当限受ける受けるの前宣伝がきつい筋が現受け資金を機関店に融通申し込んだとか、IQ商社が大逆ザヤ定期を操作するのはもってのほか―と、ポジション・ボリウムが高くなる厳しい師走の風。

●編集部註
 はしゃぎたくなる気持ちも充分解るし、実際にはしゃぎにはしゃぎまく った過去もある。しかし、宴の後は虚しいものだ。
 はしゃいだ後は、大抵ろくでもない事が起きると〝相場〟が決まっている。
相場世界でで長く生活しているとこの事を肌身で感じる。目立たぬようにはしゃがぬようにである。
 一昔前、見るからに「相場師」然とした人物の腕には、見るからに高そうな時計をしている人が多かった。浅はかな若造であった筆者は、それを成金の象徴として正直蔑んでいたところがあった。
 しかし相場師たちのロジックは違う、時計は、投資であり貯蓄なのだ。
 あの時、真の成金は腕にオメガやロレックスをつけていた。しかし、私の知る眼光鋭いモノホンの相場師はヴァシュロンコンスタンタンを手に巻いていた。この手の時計は、古くなると中古ではなく〝アンティーク〟もしくは〝ヴィンテージ〟と呼ばれ、いざとなればすぐ現金化出来るのだ。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十七日掲載分)

2020年01月11日

来週から師走奈落崩れへ

来週から攻守所をかえる流れに入るだろう。小豆は師走奈落崩し、大納会まで大荒れ。

麻雀のことは知らないがプロ中のプロだけで麻雀しているみたいな仕事師まじえての小豆相場だから厳しいですと言う。

当限の売り玉は踏まされていた。セミプロ級は15日の二、三月限を買っていた。東西取り組みは安値時より千枚ほどふえている。

先三本の売り玉は、どうという事もなかった。
今回相場の教訓は(1)玉を期近に回すな。(2)満玉張るべからず。(3)逆ザヤ売るは用心すべし。

先日、弁護士先生三十余名の会合の忘年会にご招待されたとき、パリパリの検事が法廷で満玉のことを〝まんだま〟と読んで一瞬ワッと笑いになり、格好がつかなくなったという話になったが、相場用語は難しい。

筒一杯の証拠金で逆境に立つと、天井圏内と知りつつ玉を切らねばならない。

守りは三倍の兵力を要するというのが兵法の定石であるが、相場の場合一に臨増し二に追証、その追証も一杯、二杯、三杯とくるから、孝行をしたい頃に親はなしと一緒で、天井を見つけた時に弾(タマ)はなし。
だいたいそのようなことで散っていく。

さて、来週21日頃から師走相場奈落崩れである。罫線がそういっていた。

人気指数もかなり強気がふえた。

要するに人為的、心理的需給締まりのスクイズ含みの煎れ相場で選挙が済めばロンからヤスに無理な注文がくる。46年六月参院選の直後に政府はグレープフルーツを自由化してしまった実績がある。

また外貨枠持っていて輸入を渋るIQ商社の枠の洗い直し運動や臨時枠早期発表。あるいは雑豆輸入関税大幅引き下げなど表面化しそうである。

大納会まで荒れに荒れて今年の小豆は暮れていくことであろう。

●編集部註
 〝まんだま〟とは面白い。
 兎角、テクニカルタームは難しい。「あずき」ではなく「しょうず」と読むのもこれに該当する。
 昔、コーヒーが上場された時、専門家と話をする際に生豆を「きまめ」と読んで強かに窘められた事がある。正しくは「なままめ」なのだとか。
 知らない事は決して恥ずかしい事ではない。そこで学べば良いのだから。それが教養というものだろう。恥ずかしいのは、知らない事を嘆き責めたり、知らなかった事に対し逆にキレて居直る事ではないかと考える。
 先日、ある凄惨な事件を起こした犯人のメモが公開された。そこで明確に漱石の「草枕」と解る引用を記者が見落としていたのではないか、という件で軽く炎上している。
 明治は遠くなりにけり。

昭和の風林史(昭和五八年十二月十六日掲載分)

2020年01月09日

最も苦しいところが山だ

売り玉の難所は今週一杯続くかもしれないが耐えがたきを耐えるのも相場の妙味だ。

小豆売り玉は〝お辛〟の時代である。

前二本から煽られてはパラパラと煎れざるを得ない。

商いの薄い市場で陽動の手が振られ値がセリ上がって行くと、売り玉、本当に気が持てなくなるもので、年末だから早い目に踏んでいた。

高値掴みで辛抱していた買い玉の追証がほどけて、前途に光明が見出され、長い〝お辛〟の時代だった買い方にクリスマス・プレゼントを、もたらすかの如きここ両日だった。

だから売り玉だって辛抱しておれば、また気分のよい日がくる。

吉凶は糾(あざな)える縄の如しといって、前後して繰り返される。

相場もそれと同じである。

実収高発表のあとはすぐに当限納会がきて、もう年内も残り少なく、逃げの態勢に入る。

納会は一月限がこんなに強いのだから11月みたいなことになるだろうと誰もが思うようになり、二月限も一月限同様、売り玉踏まされる運命下にあると、信じ込まされるような展開になるあたりが売り方にとっては最も厳しい。

相場は最も強そうに見るところで踏まされるものである。その時の出来高は急増する。

やはり売り込んだ取り組みのとがめである。

これで期近の売りが一巡踏んで、そこそこの出来高を記録すれば内部要因面が変化する。辛抱組は、雲行きの変わるのを姿勢を低くして耐えるだけである。

耐えることができないのは①満玉(まんぎょく)手一杯の玉を張るから、②相場観を持っていない、③人気に煽られる―からで冬ごもりをきめ込んでしまえば来週20日頃には、頭の上の石も落ちるだろう。

相場の醍醐味は難玉がほぐれだす時で、これこそ価(あたい)千金。

●編集部註
 ロジカルシンキングとその思考を解り易い文章で表現する―これぞ相場記事のお手本というべき文章である。文章を綴ってご飯を食べている人間として、かくありたいものである。おべっかではない。遣う相手は、もうこの世にいないのだから。
 この頃は、まだ狂乱のバブル前である。クリスマスも乱痴気騒ぎにはなっておらず、60年代から70年代にかけて公開された東宝のサラリーマン映画で出て来るクリスマスに毛が生えたものと考えると分かり易い。
 むしろ80年代は、高度成長期とバブルの狭間で若干〝ショボかった〟印象を今になって覚える。やはり石油ショックの影響が大きかったのだろう。
ただ、バブルを眺めていた世代から見ると、80年代はちょうど良い塩梅だ。