昭和の風林史(昭和五七年十一月十七日掲載分)

2018年12月14日

輸大買い方はしゃぎ過ぎ

相場は人気の裏を行くとはよくいった。はしゃぎ過ぎたら相場様は、向きを変える。

輸入大豆当限が中国大豆入荷のはしゃぎ過ぎの裏が出て船積み遅れ、カラ売り玉の煎れ上げ、新規思惑買いなどから棒立ちしたが、全般の商いはなぜか低調だ。

月初めT社筋の大量買い玉が輸大市場に入って大衆筋もこれに提灯をつけた。そのあと円高や中豆入荷を騒いで反落したが当限のカラ売り玉が締めあげられ、相場というもの、はしゃぎ過ぎたらアカンということを教えた。

これは小豆相場にもいえた。

三万一千円だ、三万一千五百円だ―とホクレンの価格政策や農水省の今期輸入枠操作を期待して強気は上ばかり見ていて足もとをすくわれた格好。

その小豆だが、今度は売り方が、はしゃぎ過ぎて安値を叩くと意外な反発がこよう。

見ていると値段は二万八千円割れに抵抗しだした。去年も11月19日に大底を入れている。

人気が急速に弱くなりだしたのが気になる。戻りは安心売りの空気がいけない。

これは輸入大豆についてもいえるだろう。

あれだけ弱かった輸大人気が、ここにきて、それはもう強気ばかりだ。

船積み遅れ、入船遅れ、玉不足、納会10月の二の舞い。渡し物ほとんどない、中豆の品質見直しなど、それはもう強気一色になった。

そうなると相場は皮肉にできているから買うだけ買わせ、煎れるだけ煎れさせ、買ったらしまい。煎れたらしまいとなるわけだ。

得意の時は謙虚たれ。失意の時は泰然たれ。これがなかなかできない。当たっている時は傲慢(ごうまん)。曲がった時は悄然。

小豆は戻しても、出直りには直結しない。輸大は、かなりきつい下げかたをするだろう。舞台は回り持ち。

●編集部註
 この日も風林火山の商品先物ブルースが流れる。
 そういえばこの頃、上田正樹の「悲しい色やね」がヒットしている。発売当初は売れなかったが、有線放送で火が付き、この頃には人口に膾炙している。それは、デビューから10年目であった。
 東京に居て、恵まれている点は幾数多あるが、渋谷や池袋など、都内に幾つも昔の映画を上映している映画館が存在している点は映画好きにはありがたい。旧作を、新作のように観る事が出来る。
 少し前、渡瀬恒彦の追悼特集で、「仁義なき戦い広島死闘篇」の同時上映であった73年の彼の主演作を観に行ったが、ある場面に歌手役で上田正樹が登場する。歌声で「あ、上田正樹だ」と判った。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十六日掲載分)

2018年12月13日

小豆相場の下値を考える

◇…小豆は二万六千八百円があるかもしれないが、ないかもしれない。輸大当限は急所。

◇…小豆相場は、このあたりで様子を見ようという動きになりそう。
二万八千円を割っていくトレンドは残っているが、生産者団体、あるいは農水省の価格対策が、相場水準低ければ低いほど敏感に響くから御用心。
◇…今年の小豆の大きなトレンドは(大阪先限)次のようになっている。
二月10日大天井三万六千八十円→一段下げ五千丁。
これが五月6日下げ止め。
第二波動は六月3日の三万三千五百三十円からの五千三百七十円下げ。
これが七月19日下げ止め。
第三波動が八月11日の三万一千八百円からの下げ。
五千丁ひと波動とみるなら二万六千八百円あたり。
◇…だいたい五千丁、五千丁と下げてきている。
そして罫線の横幅(いわゆる日柄)は、筆者のグラフの節足新値三段で左右十二、三㌢が一区切りになってきた。
◇…それからみると、日柄(左右の幅の目盛り)はぼつぼついいところ。
ただ縦(タテ・値幅)が五千丁ひと波動とすれば、あと千六百丁ばかり下げ足りない。
◇…問題は腹八分でなく腹六分、あるいは腹半分でうまいところだけ食うという相場哲学を持つのか、いや根本一杯までという考えなのか、人それぞれ考えは違うから、ここから先は各人の気持ち次第であろう。
◇…今のところ二万六千八百円がないとも言えず、あるとも言えない。
目先的には、ゆさぶるところだろう。
へたに戻せば、あと千五百丁取りの売り新規もスリルある方法。投げらしい投げが出るのはその時か。
◇…輸入大豆は当限の売りが踏まされていた。
しかしこれも、いまや時間の問題。かなり息の長い相場だったが、末期にきているから崩れたら怖い。

●編集部註
 「もう」は「まだ」なり、「まだ」は「もう」なり―という相場格言があるが、市場全体に「もう」という空気が出て来ている事を受けてのこの記述なのかもしれない。実際、小豆相場は「まだ」だった。
 日本の輸入大豆相場も「まだ」であった。ただこれは生産地相場ではなく、消費地相場であったが故の悲劇と見る事が出来る。
 実は、シカゴ大豆相場の底打ちはこの年の10月に完了している。日足を見ると11月には一段上げて上昇基調に入っている。
 しかしこの時、ドル/円相場は強烈な円高になっていた。10月末に1㌦=277であった相場は翌年1月に227円に。これが相場に直撃する。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十五日掲載分)

2018年12月12日

輸大当限暴落時間の問題

輸大当限・大阪、名古屋は月曜後場か火曜16日から逆落としの大暴落に転ずるだろう。

輸入大豆当限の手品の種も、うしろから見ておると、ここまでは上出来だったといえる。

しかしこれだって小豆の気崩れの怪同様に、その正体が解明できれば、なんだ、そんなことだったのかとなるわけだ。

恐らく輸入大豆当限の突っ張り高は今週月曜か火曜までだろう。

中国大豆の船が少々遅れても繋いで十分の値段にあるから、納会まで日数を見ながら渡しの準備作業のピッチをあげる。

大阪当限にはIOMの渡し物が、かなりありそうだといわれる。

来月に入れば物はジャブジャブだ。実需は、ここしばらく、最低ギリギリの当用買いで凌(しの)げばよいのだから、あとは定期のカラ売り玉の煎れだけ。

大連は猛吹雪などとみてきたようにいうが、なんのなんのその時、風力3・快晴・気温14度だった。相場の世界はこのようなデマが飛びやすい。

玄人は〝船舶日報〟をチェックし、現地とのテレックス交信で、中豆入船は、心配する状況でないという。

とにかくまだ先月納会受けた現物に金・倉の時計の針が動いている。

物はないのではない。十分にあるのだ。

まして九月、十月と続いたあと今月も玉締めスクイズをしようものなら、穀取市場に対する風当たりは一層厳しくなる。

いうなれば今の大豆当限は世の中の自然に逆らっているわけで、このようなことは、一時的現象で長続きするわけがない。

無理したあとのトガメの大きさは七月六本木小豆、十月栗田生糸で見てきた。

輸大当限も同じことがいえると思う。

小豆相場は、相場は相場であることを見せてくれた。相場は人為の及ばざるものである。

●編集部註
 小豆市場に依然として嘆きのブルースが流れているなか、世間はこの日、高らかなファンファーレが一部で流れていた。
 1982年11月15日は大宮~新潟間で上越新幹線が開業している。上野駅まで伸びるのは1985年。まだこの時は国鉄であってJRではない。
 東京駅に乗り入れる事が出来たのは1987年4月に国鉄がJRになって4年と2カ月後の1991年6月である。
 それから25年後、この路線を使って現美新幹線という観光列車が走って好評を博すとは、当時夢にも思わなかっただろう。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十三日掲載分)

2018年12月11日

小豆の次は輸大の当限だ

小豆は来週から音立てて崩れるだろう。輸大当限もアッと驚く大下げがくるはず。

弱気でもこの辺からの小豆は売れないようだ。

しかし来週15日過ぎから新しい下げの波動に乗るだろう。

実勢悪が、ついて離れない。また、買い方投機筋にパワーがない。

今の小豆は誰もが手の内のカードが読めたということである。

ホクレンの一元集荷にしても、行政による輸入枠発券の先送り、あるいは枠の絞り込みにしても、それならそれで竹小豆もあるし、加糖アン輸入に切りかえてもよいのだ。

世の中不景気。実需は当用買い。投機家また政策相場にソッポ向く。

三晶の買いにしてもカードが読めれば三晶必らずしも絶対でない。大曲がりする時もある。三晶買いに刺激されて提灯がついたところは、すかさず売られる。

要するに小豆市場参加者は白けているし、醒めている。笛吹けど、太鼓たたけど踊らない。

まして取引員自己玉は買い思惑。という事は、上値があれば売りたい。売られるということ。

誰も彼もが高値あれば売りたい。それでいて、実際には売っていない。

先二本にしても三万三千五百円あれば売ろうと待っていて売り場を逃した。

そのような相場だから、二万九千円の抵抗なんか、たいしたことはなく、二万八千円だって割るのは簡単だと思う。

世の中が変わっているのを忘れて過去三年の高値おぼえの相場観が払拭(ふっしょく)できないところにギャップが生ずる。

いずれにしろ来週、お月さんを眺めていたら判るが、相場は崩れに移る。

輸入大豆にしても、それは同じだ。高いのは当限だけ。この当限が音立てて崩れてくるのである。

当限高につれ高の12月限売りが大きいだろう。

●編集部註
 行間からブルースが流れている。ボヤキの相場ブルースである。
 ここは相場から離れて明るい話題でも。
 1982年は香港映画「少林寺」が公開された年である。日本でもこの年の11月に公開。ブルース・リー、ジャッキー・チェンに続く第三のスター、リー・リンチェイのデビュー作にして出世作。当時の血の気の多い悪ガキ達のハートを鷲掴みにしていた記憶がある。
 大スターになったリー・リンチェイはその後ハリウッドに渡り、ジェット・リーと名を変え、国際的なアクション俳優になる。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十二日掲載分)

2018年12月10日

小豆は総投げ場面がくる

輸大は来週から崩れる。小豆のトレンドは理想的下げ道中にあり、これも来週きつい。

生糸、乾繭相場は仕手戦の後遺症がでている。売りで結構取ってきた人でも、利食いしたあとが大きかった―という。

輸入大豆も、いずれ似たようなことになるだろう。中国大豆の第二船が遅れているのを材料にしていたが、入るものは入る。

また為替市場の円高は、かなりの勢いをつけ、円の大底入れを思わす。

大阪輸大当限の線型は日足四段上げ。

いつまでも逆ザヤ突っ張っておるわけにもいかん。

小豆相場はドサッときた。三晶が火のついたような買い手口。まるで熱くなっているみたいだ。

相場というもの、どなたが買おうと、下がる時は下がるものである。

取引員自己玉も店別にみていくと、買い店が多い。これは店が相場を張って稼ごうという姿勢。

このような時は、えてして大曲がりするものだ。

今年は小豆の玄人御難の年でもある。大安回り三年下げに向かうという六甲伝・三月甲である。

判りやすい先三本のここから千円安の二万八千円割れは、九千五百円以上の買い玉が投げてきて、いわば気崩れの、なだれ現象というコースであろう。

前三本になると、これは三万円台の因果玉大掃除がなければ灰汁(あく)が抜けない。

小豆も生糸と一緒で七月仕手戦の後遺症が残っているのだ。

それともう一ツ。それは政策を期待しすぎること。政策は、あとからゆっくり響いてくるもので、その頃に買い玉は投げ終わっているはず。

人気は、まだまだ強気の未練が断ち切れない。

このような時は利食い戻し程度で、すぐ転落する。

とにかくトレンドが大下げコースに入っているのだから強気は駄目だ。

●編集部註
 小豆と言えば三晶実業。三晶実業と言えば小豆―。 その昔、東京都中央区日本橋蛎殻町に東京穀物商品取引所があった頃、いや、もっと前からそういうイメージが。小豆相場が斜陽化しても、その存在は大きかった。
 東京駅の近く、丸善本店の並び、日本橋高島屋のはす向かいに三晶実業のビルが建っており、今も威風堂々とした佇まい。
地下は画廊で、バスキアやウォーホールが売られていた記憶がある。
 ネットで調べると創業は昭和二六年。現在ユーチー・ディン氏が代表取締役社長とある。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十一日掲載分)

2018年12月07日

いずれ小豆が気崩れする

輸大当限は順ザヤまで下げるだろう。来週からの下げがきつくなる。小豆も駄目だ。

輸入大豆の大阪当限に中国大豆二百五十枚は、ゆっくり渡るだろうと観測されていた。

円相場が底入れ観で急反騰して、円が高くなった分だけ輸大は下がる。

T社筋の先月末から新ポにかけて大量買い建てが大衆人気を刺激して、かなりの提灯がついたが、今となっては天井?みの因果玉をつくったことになる。

問題はT社玉を今後絶対に受け入れないのか。それとも依然として裏口から入れるのか。すべては取引員の自覚の問題であろう。主務省としては強権発動してでも問題玉の受託を排除する方針。

このことを取引員は真剣に考えなければならない。役所の姿勢は、いままでとは、まったく違うのだ。

小豆相場は薄商いでお茶を濁している。

肝心の産地から値崩れするのだから始末に悪い。要するに大根時の大根である。

二万九千円をスカーッと割って、投げるものは投げる―という場面がないと相場の灰汁(あく)は抜けない。

最近の強弱を聞いていると、どうも理屈が多過ぎる。沢山収穫できたものは安く売る。これが自然の流れである。景気が悪い時には物が売れない。

相場に値頃観禁物という言葉がある。

三晶がどうしようと、ホクレンが一元集荷しようと、今期枠の発券を先送りしようと、それと相場は別だ。

相場なあくまでも相場で、下がるところまで下がらねば、大底が入らん。

相場はなんでも知っている。太平洋戦争初期の東新(あずましん)は、軍部が勝った、勝った、大勝利を騒いでいるのにジリジリ相場は下げていた。昭和40年、国家権限で日本共同証券を設立して下がる株価を買い支えたが、底打つまでは買うほどに値崩れした。

●編集部註
 最後の下りは、とても36年前に書かれた感じがしない。古今東西、相場に関する事象は、どこかで何かの役に立つ。故にこの連載があるのだが…。
 異論はあるかと思うが、長期的に歴史を俯瞰で見入ると、お上の株の買い支えとハント兄弟の銀の買い占めはあまり大差ない。しかも後者は相場者。引く時は引く。むしろ、引くに引けない事が多いお上の盆暗旦那博打の方が性質が悪い。インパール体質というべきか。
 盆暗旦那博打とは何かを知りたければ「熔ける」という本を読んでみると良い。上級の教科書で喜劇で悲劇でホラーである。

昭和の風林史(昭和五七年十一月十日掲載分)

2018年12月06日

小豆も輸大もチンタラ安

小豆は利食い戻し程度で、また下げる。この相場は投げきるまで、ひつこく安い。

小豆はチンタラ、チンタラ値が溶ける。

実勢に悪さに勝てない。

罫線の悪さは、まるで罫線初歩のお手本に出てくる売り線の見本みたいである。

先三本は三万円の壁が厚かった。

誰もが強気になったあとだけに、相場としては話にならない嫌な場面を迎えるだろう。

四月限の頭からかぶせてきた陰線四本。これは四月限の前途を暗示している。即ち二万八千円(ミスプリントでなく二万八千円である)これを割るというシグナルだ。

こんな相場見たことない―と強気はいう。

雑豆業界の体力が衰弱していること。商取業界全般が弱体化していること。相場師が、よれよれになっていること。不況三年、景気が悪く気力がない。

大衆(お客さん)が、こんなに売っているのに、なぜ下がるのだろうか?と首をかしげるが、二枚、三枚の大衆筋、決して素人でない。彼らは小豆と共に20年、30年という小豆の主(ぬし)みたいな人達である。

二万六千円があっても不思議でないと思っている。半値になった相場を何回も見てきているからだ。

世の中が変わっていることに気がつかないと、三万一千円だ、やれ二千円だと、寝言みたいなことをいう。

輸入大豆の東京当限は綺麗な順ザヤになった。

大阪輸大当限野中の一本杉に風当たりが強くなる。

この大阪当限の罫線の悪さといえば、まったく話にならない。

線はなんでも知っていたという歌がある。大阪当限の四千百円割れ、先のほうの限月の三千九百円台が十分に予測できる。

小豆、輸大の売り玉は、あわてて利食いしなくてもよい。一日一善。

●編集部註
 ある一定の世代なら、最後の「一日一善」は時代の共通言語である。
 山本直純が作りし曲に乗せ、子供たちが『戸締り用心、火の用心』と歌い、当時の人気力士であった高見山や山本直純が纏を振りながら子供たちと練り歩く日本船舶振興会のCMが当時は毎日流れていた。しかも、月曜日から日曜日まで毎日歌詞が違う。そして、全てのバージョンの最後に好々爺が登場し『一日一善』と叫んでこのCMは終わる。
 この好々爺こそ笹川良一。表向きは日本船舶振興会(現在の日本財団)の創立者、世間では「右翼の大物」「政界の黒幕」とされるが、伝説的な大相場師としても知られる。

昭和の風林史(昭和五七年十一月九日掲載分)

2018年12月05日

体力のない小豆は落ちる

世間一般が病気しているのである。小豆だけが衰弱しているのではない。輸大然り。

小豆相場は薄商いだ。

相場のほうも強気が多い割りに芯がない。

相場背景としては今期輸入枠の絞り込みとか、発券時期の先送りなど臆測が飛び、それをなによりの強気材料とする人も多いが、相場そのものは、非常に〝だるい〟。

これはなぜだろうか。消費地在庫は数字の上では軽くなろうが、中味は北海産がふえて、輸入小豆を使い馴れした実需筋にとっては、腹に〝モタれる〟。

投機家が元気な時なら商い高も弾むところであるが、新しい血が入らないし、どちらかといえば玄人といえど、よれよれになっている。

過ぎし六本木相場で傷つき、生糸戦線に残存兵力を移してこれが討たれ、輸大市場に斬り込み隊を投入して未だ帰還せず―の図。

先物市場がそうならザラバ現物流通経路も不況による実需不振と信用供与不安があってパイプが細くなっている。

要するにわれわれは物を見る目、視点と視座を変えなければ、今の現実を見間違えるのだ。

筆者が、この小豆、来月あたりになると二万五千円、六千円があるだろうというのもそれである。

産地農家手取り一点張りによる相場価値判断は古きよき時代の強弱だ。

まさか、よもやが突出するのが今の世の中。

相場は相場に聞けという。小豆先限にしろ三月限にしろ線は泣いている。

役所の価格政策やホクレンの一元集荷などで相場が左右されるものならば、誰が小豆なんか思惑するものか。人気は更に離れよう。

輸入大豆は、当限野中の一本杉。結局はこれも順ザヤまで崩れる運命だ。

農水省は生糸市場の建玉調査を始めたが輸大市場の建玉も調べるそうだ。嫌気される材料である。
●編集部註
 この時、街ではあちらこちらで沢田研二の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が流れている。風林火山の業界へのユ・ウ・ウ・ツは留まる事を知らない。実際、杞憂は現実化した。
 平成最後の年に何かと世間を騒がせた沢田研二だが、彼はこの曲のヒットでソロシンガーとしてオリコンのシングル総売り上げが山口百恵を抜いて歴代一位となる。そこから9年間、一位の座を明け渡す事はなかった。
 この時山口百恵は芸能界にいない。80年に三浦友和と結婚、引退した。
 シンガーソングライタ ーになった長男は夕方にラジオ番組をやっている。彼の声を聴くたび、嗚呼、時代はどんどん過ぎていくのだなと思う。

昭和の風林史(昭和五七年十一月八日掲載分)

2018年12月04日

小豆は高値高値売り一貫

小豆は人気の強いところを売るのがよい。輸大当限は結局暴落する運命下にある。

小豆の商いが、いま一ツ盛り上がらず、たった二枚か三枚のハナで小高下している。

だから少し力を入れて買う人が出てくると、いかにも強そうに見えるが、後続性がないのが泣きどころ。

今期輸入枠の発券を来春に延期して、金額も大幅に絞り込むらしい―という政策主導の価格テコ入れは、確かにそうなると強気に味方するかもしれない。

しかし、大衆人気は愈々相場から離れることも確かである。

今の小豆に人気が寄らないのは、すでにそのような政策相場の匂がするからである。ならば、政策に提灯をつけて強気(買い)すればよさそうなものだが、政策は信ずべし、されど信ずるべからず―。彼らの御都合主義にふりまわされるような相場に近寄らない。

強気は期近の三万一千五百円。期先の三万八百円あたりがほしい。

しかし自分で買って、そここまで上げたのではつまらない。鐘と太鼓と笛入りで誰かに踊ってほしい。

だが、踊るような雰囲気でない。白々と醒めている。即ち地熱がない。相場そのものに情熱がない。

なぜないかという背景と構造を考えてみれば答はすぐにでるだろう。

玄人ばかりの市場。その心は、高かったら売ろう―である。実需も低調。問屋にも力がない。投機家も貧乏している。

相場自然の理からいえば、こんなことをしていると二万五、六千円に埋没するはずだ。だからと誰もが弱気になっては下がるものが下がらなくなる。今は強気が多いほどよいのだ。

輸入大豆は強気にさせられ買った人が多いが強張るのも今月中旬までだ。

中国からの入荷も日を追ってふえつつある。先月受けた現物が売れないで困っているという話も耳にする。

●編集部註
 うるさい古参とマニアがマウンティングに走り新規を潰す典型的なパターンになってきた。もっとも、相場なのでマウンティングは当たり前だが。
 この頃、世界は西側と東側に分かれてマウントの獲り合いをしていたが、東側の内部ではソ連の書記長が急死するなど色々とゴタゴタが続いた。
 直接的な関係があったのかどうかは定かではないが、ブレジネフ書記長死去の2日後、ポーランド政府に拘束されていた自主管理労組「連帯」の指導者であったレフ・ワレサが解放される。後年、彼は同国の大統領として民主化を進める。

昭和の風林史(昭和五七年十一月五日掲載分)

2018年12月03日

強気多い小豆だが重たい

小豆の商いは薄い。先日本売り上がりが判りやすい。輸大当限は天井を打っている。

小豆相場は弱気を言う人がいなくなるほど人気が強くなった。

当限の三万一千五百円あたりを誰もが考えているようだ。

今期輸入枠の発券を来年一月以降にズリ込ませて、輸入小豆の圧迫から値を守る―という政策面による応援が、今のところ官民挙げての錦の御旗である。

増産させた以上、農家に対して値段を守ってやるという姿勢は、やむを得ないことかもしれない。

しかし相場は、あるところまでは、なびくだろうが、人為の及ばざるものであるから、無条件に強気できない。

子供でも判ることは値が高くなれば産地は売ってくるのである。

収穫したものは、年末には換金して、お正月の準備もしなければならない。

目下のところ取引員業者も現物流通関係者も、産地筋も小豆に関しては皆々強気である。

期近限月に関しては敢えてその強気に逆らう必要もないと思うが、皆が考えているほど、この小豆、上昇のエネルギーはない。

買っているあいだだけ高いという相場だ。

期近高につられて上がる三、四月限を、ゆっくり売り上がれば、判りやすいし、苦労せずに取れる。

輸入大豆は円安に支援されているが、長期限月気分一杯買うだけ買った。

また、当限も、品物がないわけでないし、中国大豆の入船が見えている。

東京当限四千六百円。名古屋、大阪当限七百円。綺麗な踏み上げ・天井型。

八月16日安値から、日柄で三月(つき)またがり60日。日足四段上げ。

先月末で旧穀二万二千㌧の在庫を見ている。今月に入って入荷相次ぐ。

内部要因は煎れ出尽くしての飛びつき買い。そして現物ヘッジが盛ん。

●編集部註
 先日触れたように三波伸介は82年12月亡くなったが、この年の11月にはソ連のブレジネフ書記長が10日に亡くなった。
 その昔、スターリン暴落というのがあって、ソ連の政治指導者の死亡は何かと相場の変動要因と関連しやすかった。そうでなくともこの頃は、キューバ危機の頃に比べればマイルドになったもの、依然として東西冷戦の真っ只中である。
 核戦争の恐怖を描いた映画は当時一つのジャンルとして確立されていた。
 ただ、この頃になると書記長一人が死んだとて、相場は急落すれども回復するのが早かった。為替相場を除いては…。