昭和の風林史(昭和五八年八月二十六日掲載分)

2019年09月17日

小豆は作柄と相場が分離

小豆の戻りは満を持した売り物が。輸大高値これまた唐(から)竹割りになろう。

帯広も北見も小豆の作柄は壊滅状態である。これで九月に入れば早い冷え込みで霜の洗礼は間違いないから全道45万~50万俵の収穫だろう。

しかし相場は凶作の作柄とは別の流れに移りつつある。作柄と相場が分離しだしたからだ。

確かに降霜でS高の一発半ぐらいは急伸するだろうが霜一発の噴き値は成り行き売り―と手ぐすねひいている玄人がいかに多いか。この考え方の裏側には北海道の収穫が減れば減るほど次期枠がジャブジャブになる。自由化に踏み切る可能性もある―。要するにもう目の前の畑ではなく、その後に来る政策を読んでいくわけだ。

相場の勝ち負けは、いかに先読みで読み勝つかにある。いつまでも出がらしの北海道の畑を見ていると足もとがすくわれる。

もう一ツは買い方に芯がない。旗振りがいない。

買いは烏合の衆である。勢いに乗って攻めに回っている時は倍の力を出したが、敗勢に回ると算を乱す。

取引員自己玉は総売りだ。これは重圧である。

若い相場ならまだしも日柄がきている。だから出来高等のボリウムがない。すぐ商い閑散になる。

高値因果玉の整理が霜一発を期待しているから進まない。

という相場である。しかも自由化問題がたえずつきまとう。自由化と決まればS安四、五発が襲うだろう。小豆相場の革命だ。

従って戻りは売り上がり怖くない。上値に、おのずと限界がある。

狂乱のシカゴ大豆は16億ブッシェルから13億ブッシェルまで買った相場という。これも作柄と相場が分離しだすところ。

穀取輸大の頭が重いのは大衆の買い過ぎ。

すでに日柄一杯だから、高値あれば決然売りの真空斬り場面とみる。

●編集部註
 ビオロンとバイオリンのように、現在人口に膾炙している外来語のカタカナ表記と、その昔の表記とで、乖離が見られる事がたまにある。
 太平洋戦争を挟んで前後でその乖離幅が大きい。バイオリンをビオロンと表記した上田敏の海潮音が出版されたのは明治後半。漱石や鴎外の作品でも表記が発音由来になっているケースが多い。
 昭和に入っても、例えば漱石の薫陶を受けた内田百閒の随筆に出て来る外来語は発音由来のカタカナになっている事が。ボーイはボイ、バターはバタ、コーヒーはカヒとなっている。今回の記述で登場するボリウムもその中の一つ。こおいう細かい所に、教養の一端が出て来るから文章は怖い。

昭和の風林史(昭和五八年八月二十五日掲載分)

2019年09月13日

黒い九月が忍び寄る気配

年初来騰げ続けてきた商品に疲労の影が濃い。黒い九月が忍び寄る気配を感じた。

穀取輸大相場は冷静である。シカゴが幾ら高くても、あれはあれ、こちらはこちらの風が吹く。

シカゴだって“S高のS安”をやりかねない。アッと気がついた時は真っ向微塵に斬られていたりする。

穀取輸大は八月4日と16日に天井している。

仮りにこの値を抜いても怖くない。上昇トレンドにひびが入っているからだ。

熱波は熱波。シカゴはシカゴ。こちらはこちら。

内部要因と日柄と中豆。これを前に据えて相場を見なければなるまい。

来月は“黒い九月”になりはしないかと思う。

秋の日のビオロンのためいきの身にしみて、ひたぶるにうら悲し。

一月から上げづめの国際商品に疲れが出ている。

鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。

黒い九月とは、海辺から帰ってきたギャルたちの肌の色ではなく暑い盛りに浮かれて高値を買った相場のげにうらぶれて、ここかしこさだめなく飛び散らぶ落葉かな―のことである。

投機家も疲れた。ベテランセールスも疲労した。

そして相場また疲れた。これが怖いのである。

小豆はなにを考えたらよいのだろうか。

線は先日の安値で一応は止まって戻り過程にあるが、この戻り具合を見て再び売られ、先日の安値(先限)を割るコースに思う。

商いが薄くなりだしたことも上値に対する期待感を喪失させる。

年内需給の事。産地、天候、特に来月の降霜と被害の事。自己玉圧倒的売りの事。買い方に芯がない事。

玉整理未だ完了せぬ事。自由化の問題。台湾・中国小豆の事。おもいめぐらすわけだが戻り待って売るのが、やはりここではご正解でないかと思う。

●編集部註
 反知性主義賑やかなりし当節、「ビオロンのためいき」ときて「海潮音」もしくは「ヴェルレーヌ」というワードがぱっと出る大人は如何ばかりか。
 その昔、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは、その著書『菊と刀』の中で日本を「恥の文化」と定義した。あれから70年以上経過したいま、日本には上から下まで「恥知らず」が増えている。
 これも、彼女の意図とは別の意味で「恥の文化」と言える。そんな文化圏に居るのはまっぴらごめんではあるのだが…。
 それよりも、この時代に〝ギャル〟という言葉が登場するのが新鮮だ。言葉自体は所謂パルコ文化発祥だが、今の使われ方に近いギャルは、恐らく80年代からだと思う。

昭和の風林史(昭和五八年八月二十三日掲載分)

2019年09月12日

小豆は至極難解なところ

小豆は難解なところだ。強弱なしで様子を見ることにする。輸大は天井している。

難かしいと思えば難かしくなる。難かしいとは、やりにくいこと。判りにくいこと。

判らぬ時は手を出すなという。

判らぬ時に手を出さず、じっと見ているのが一番判りやすい。人間、判りやすいことだけやれて、判りにくいものは判らない―と割り切れる心境で過ごせたら、難かしい事はなにもなくなって楽だろう。

知恵の輪というのがある。無理にほどこうとしても絶対にはなれない。しかし道理に叶えば、無抵抗でほどける。相場が判らないのは無理に判ろうとするからである。多分そうだろうと思う。

小豆はどうなのか。判らない。判らん時は、判らんまま放っておく。

追いかければ追うほど捕まらん。追うのは徒労だ。

しばらく放っていると、相場様が自分の横に坐ってしきりにものを言いだす。

戻してよし。下げてよし。ジグザグするもよし。

取り組みがふえるのか減るのか。出来高が細るのかどうか。

ああだこうだと強弱が盛んになるところであろう。

止まったと見れば止まった。下が深いと見れば下は深い。上に大きいと見れば上は大きい。
だから判らん。困ったことであるが困らん。

輸大のほうはどうか。目先的には戻してよし。

戻したところはどうか。売るもよし。頭がダンゴになって、これを上抜くことは、なみたいていのことでない。

シカゴは二番天井を取りに急反騰するだろう。

その時の穀取輸大の反応程度を見ておれば、その後の相場のトレンドが判る。

トレンドと喧嘩するなという。

穀取輸大の先のほうの限月は頭から五百円ほど落ちる姿である。問題はその落ちかたの速度であろう。

●編集部註
 フィリピンでのアキノ氏暗殺のみならず、この頃、世界では血生臭い事件が起こっている。
 相場の新聞でこんな事をいうのは何だが、相場を張っている場合じゃない事態が起こっていた。
 9月1日、NYを出発した大韓航空機がアンカレッジ経由でソウルに向かう途中、管制レーダーから機影が消えた。
 消えた場所がサハリン沖であった事から、ソ連軍が関与していたのではないかという観測が流れたが、米国政府が「ソ連軍機が撃墜した」と発表し、まだ東西冷戦が続いていた国際情勢はこの時一気に緊張した。

昭和の風林史(昭和五八年八月二十二日掲載分)

2019年09月11日

輸大も完全天井打ち確認

年初来上げ続けた国際商品に日柄の疲れが出ている。輸大は天井打ち確認だった。

輸大はとどめを刺す下げが入った。

これで本年の天井打ち確認ということかもしれない。

先三本の高値でのダンゴになった22~23本の日足線を、ほぐすには頭から五百円下げがあってもおかしくない。

シカゴはもう一度急反発するだろうが、それはあくまで天井打ち後のゆれ戻しの二番天井取りだから、戻り一杯見てテクニカルな売りが出る。

割れるような買い人気と取り組みのほとんどが一、二日で入れ替わる出来高。しかもコントラリー・オピニオン(人気指数)80オーバー五週間ときたら、相場は、ひとまず作柄やお天気と分離して当然。

穀取輸大の泣きどころは中豆の重圧である。伝えるところ今年の中国の作柄は非常に良好ともいう。それだけに昨年秋から暮にかけて中豆で苦労した時の事を買い方は思い出す。

週間棒はへたすると高値から七百丁崩しになだれ込む姿。

まさしく土石流型の崩壊である。

ゴムにしても砂糖にしてもすべての商品は長期間の上昇で疲労しきっている。輸入大豆にしてもそれはいえることである。

トレンドが下げにはいると気やすめの強弱は通用しない。それは先刻小豆の相場で見てきた。

その小豆だが自由化問題がつきまとうあいだは、戻してもまた売られる。

力のバランスが完全に崩れて売り方の制空権下にあるから少々お天気などを材料に買われても絶好の戻り売り場とみられる。

小豆はどこで大底打つのだろう。彼岸頃になるのかもしれない。

●編集部註
 相場の動きとは別に、この頃世界に衝撃を与える事件が起こっている。
 1972年から81年までフィリピンはマルコス大統領によって戒厳令が敷かれ、実質的に独裁政権となっていた。反政府側の要人は危険人物として逮捕、投獄、他国へ追放される。ベニグノ・アキノもその一人だった。
 米国に亡命中だったアキノは83年にフィリピンへの帰国を決意。8月、帰国中のアキノに各国の報道が同行していた。
 現地時間8月21日、アキノを乗せた飛行機がマニラの空港に到着。そこへフィリピン軍兵士が機内に乗り込み、アキノを外に連れ出すなり射殺。その生々しい模様は世界中に報道された。
 この暗殺劇で反マルコスに火がつき、フィリピン全土は政情不安に。これが86年のエドゥサ革命へと繋がり、蜂起した民衆が大統領官邸であるマラカニアン宮殿に押し寄せた。これでマルコスは失脚。米国に亡命する。

昭和の風林史(昭和五八年八月二十日掲載分)

2019年09月10日

猛暑の疲れがドッと出る

輸大は暴落線です。小豆は自律戻し待つところか?大局重たいが目先は難かしい。

シカゴ大豆は一番天井打ったようだ。売り物を残してS安は雨が降るという材料もさることながら、急激な上昇による総強人気の裏が出た格好。

相場というものは、材料(作柄=熱波被害)と分離した動きに移る一線がある。人気の人気倒れとでもいうべきところ。

また鋭角的に水準が高くなればなるほど山の上と同じで風当たりがきつい。

シカゴはまだまだV型で反撃する場面もあろう。

雨が降った、降らんで目の前を巨大なお金が行ったり来たりスリル満点。

穀取輸大はシカゴ高についていけなかった。中国大豆が足を引っ張った。

近頃とみに相場が上手だといわれる大衆筋はシカゴ離れした輸大を見て、高値はすかさず利を入れた。

さて、輸大週間棒はどうも気になる悪さだ。

それはシカゴも同じで、いわゆる暴落線である。

小豆相場はホクレンあたりの安値売り玉救出作戦がほぼ成功して売り玉戦線縮小という段階のようだ。

大衆筋の高値買い玉は投げるものは投げ、頑張る人は追証を積んで持久戦の構えに入った。

まだまだこの先一カ月の天候が神経質に影響するから新旧二千円サヤに開いたあたりは考えてみるところかもしれない。

罫線的には半値下げは11限で三万八百円あたり。

このあたりの空間窓を埋めて戻すか。あるいは三分の二下げ二万九千六百円あたりの窓も埋めるのか。

期近限月で六千丁。まさに居合い抜きで斬られた。山高ければ谷深し。

これで商いが急に薄くなれば自律戻しの前兆と見てよいかもしれない。

玄人大手筋がポジションをどのように変化させるかも注意したい。

目先は、ちょっと難かしいところにきている。

●編集部註
 難しいところでは相場を張らないに越したことはない。「見切り千両」「無欲万両」「休むも相場」の世界である。
 しかし、休まなきゃいけないと思いつつ「分かっちゃいるけどやめられない」とばかりに相場を張るのは何故だろう。
 これは一種の依存症なのだろう。それも並みの依存症ではない。ある意味「死に至る病」である。
 ひとかどの相場師で長生きした人物は茶の湯であったり、絵画であったり、芸の世界に入っている。恐らく、それで自分を律していたのだろう。

昭和の風林史(昭和五八年八月十九日掲載分)

2019年09月09日

値頃観は通用しない小豆

相場の世界は値頃観禁物。小豆の下値は深いと思う。投げは投げを呼ぶ。輸大も同じ。

小豆は八五〇万㌦発券分で28万俵。産地に25万俵の在庫。七月末消費地10万俵の在庫。

合計63万俵。8 9 10 11月と各月10万俵消費(とても無理だが)として40万俵。

11月供給力23万俵の計算の上に新穀80万俵収穫として、年内20万俵は出てくると想定すれば相場の居所はどのあたりがよいのか。

次期枠は10月発表、11月発券のスケジュール。

中国小豆の新穀成約も進むことだろう。

問題は北海道が60万俵なのか80万俵なのか、それとも100万俵収穫なのか。

台風、大雨、早冷、早霜とまだまだ怖いが。

もう一ツの関心は、雑豆の自由化問題。自由化ならショック安がきつい。

高値買い玉辛抱して早霜期待という姿でもあるが最悪40万俵収穫予想という段階で付けた高値が三万四千四百円。今は作が直って80~90万俵収穫予想。

今後の天候トラブルで再び40万俵収穫時点まで、あともどりしたとして、時期枠絡みで三千円台には買えない相場だ。

(1)買い方に芯がない、(2)高値掴みで戦力低下、(3)日柄で相場疲労、(4)売り方追証ほどけて力がついた、(5)役所の考え方が判らん、(6)需要期に入るが実需筋は高値で飛びつき買いした。(7)線は三山天井型、(8)週間足、半週足暴落線、(9)取り組み減少傾向。

要するに、うたかたの真夏の夜の夢。流れは完全に変わったと思う。

いや、信は力なり。私は私の道を行く―と買い玉放さぬ人もあろう。それはそれで、あすの相場は誰にも判らんのだし、親子でも相場の強弱は別だから相場が出す解答見るしかない。

輸入大豆はシカゴ離れ。中豆重圧。高値で線が重なり過ぎ。週足暴落線。いずれ五百丁崩れる相場でなかろうかと思う。
●編集部註
 この当時、風林火山をして「役所の考え方が判らん」と言わしめた日本の農政だが、令和元年のの夏に、さして必要もないのに、G7で米国からデントコーンを買ってしまうという報道を見て、今ならハッキリ言える。
 何も考えていないのだ。自国の、それも下々の者どもの気持ちなど何一つ考えず、ましてや日本の市場の発展も考えず、ただひたすらに上の顔色ばかりを伺っているだけ。
 小役人になればなる程、自身が在任中に余計なトラブルは起きてほしくはない。そんな事なかれ主義が、日本の農業及び農産品市場を壊した。
 恐らく今後、様々な日本の市場が壊れるだろう。

昭和の風林史(昭和五八年八月十八日掲載分)

2019年09月06日

輸大は疲労シカゴは危険

小豆はキツイ下値がありそう。輸大は疲れている。シカゴザラバ足が危険の信号。

小豆相場の周辺に雑豆自由化という影が見えかくれする。

これからはこの問題を抜きにして相場を考えるわけにいかん。

業界にはまだ楽観論者も多いが、建玉ポジションに支配された気やすめの希望的観測ほど危険なものはない。

三五〇万㌦に続く五〇〇万㌦の外割発券は、これは政策である。

政策の裏側には「規模の利益」がある。規模の利益とはなにか。大は国家、国民の利益。小はホクレンの利益。利益の裏側には取り引きがある。例えば役所がホクレンに貸しをつくる。

政治家が支援団体に貸しをつくる等も取り引きである。

われわれは政治の高次元でのそれらの流れは判らない。しかし判る方法がある。相場に聞くのだ。

今の小豆相場は、なにかを語っている。

それが理解できる人がこれからの小豆が判る。

現象的には取り組みが減少傾向。人間でも体重が減りだしたら、なにか悪いところのある信号だ。

相場の気味(あじ)が非常に悪い。もう一ツ。売りで苦労してきた山種の大手客筋が戦線をさかんに縮小(買い戻し)している。

山種は先般、山崎種二氏が永眠されている。いわゆる喪中である。喪に戦うことあるべからず。軍は兵を退くのを常とする。

人間世界の現実には必らず前兆、兆候がある。

この小豆相場は、かなり深い下値を知らせているように思う。

輸入大豆は天井したのでないか。シカゴと完全に分離した相場だ。シカゴもザラバ足を線に引くと天井圏の危険のシグナル。

穀取輸大はシカゴの相場が高けれど天井打てば大崩れ。その前兆。なんとも重い。相場が疲れているからだ。シカゴも砂上の楼閣。山雨まさにきたらん。

●編集部註
 アラカン、エノケン、シミキン―とカタカナ四文字が通称になるケースが多い中、商品先物業界ではヤマタネとなる。
 山崎種二氏はこの年の8月10日に逝去された。 
戦前から米相場で活躍し、米相場が斜陽になると株式相場に転身。戦後になると東京穀物取引所の初代理事に1952年に就任している。小説「赤いダイヤ」の敵役のモデルとしても知られる。
 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す―というが、彼は近代日本画の収集家、山種美術館の設立者として名を残した。 現在に準えると、ZOZOの前澤友作のような存在か。彼が現代美術のアーカイブを造ると令和のヤマタネになれる。

昭和の風林史(昭和五八年八月十六日掲載分)

2019年09月05日

動かざること山のごとく

次なる小豆の相場展開が読めない。迷わば休むべし。判らないものは判らない。

『むさぼれば勝を得ず』という。『危うきに逢わば須(すべから)く棄つべし』。

小豆旧穀限月は四千丁斬って捨てた。心頭滅却すれば火おのずから涼しと快川国師は喝破した。

いまこの小豆、改めて見るとどうなる。

人はただ身のほどを知れ。草の葉の露も重きはおつるものなり。そのように思う。

ゴルフのジャックニクラウスが永年つれ添ってきたキャディーのアンジェロを解雇した時、『アンジェロは情熱を失っていた。もはや彼から興奮の躍動を引き出すことはできない』といって決別した。

相場も精神的な部分で燃えてこないようになるときがある。

興(きょう)が醒めるというのだろうか。

そのような時は離れるしかない。

高値の買い玉の整理がどこまで進んだか。

投げは値幅と日柄。気やすめは通用しないもの。

一応下値にとどいた感じでもある。

ゆれ戻しの千丁、千五百円は下げ急なる相場に必ずあるものだ。それをどう判断していくか。

そしてこの相場の裏にある政治的、政策的動きが、どのように展開されているのかそれを知りたい。

あとは今後の需給バランスの問題。

現物玄人筋の人気と相場師玄人筋の人気の流れを見るところでもある。

大衆は算を乱した。大衆の習性は煎れ投げができない事。従って、高値買い玉辛抱している。

問題は今までの相場のプロセスを知り、これからのストーリーを読むことである。判らないといえば、判らない。情熱が燃えてくればそれがまた判る。

あすは山越えどこまで行こうか、鳴くは裏山?ばかり。小生只今盆休み中。

●編集部註
 安禅不必須山水
 心頭滅却火自涼
       (碧巌録)
 戦国時代、外交交渉の任を高僧が担っていた。甲斐の武田信玄に招かれて恵林寺の住職となった国師(高僧に対して帝が贈る諡)、快川紹喜もその一人であった。
 信玄の死後、織田信長による「甲州征伐」で武田氏は滅亡。混乱する領内において、恵林寺は要人の逃避先に。中世の寺社仏閣は権力不入の聖域とされていたからだ。
 ただ相手は織田信長。これまでの「常識」など通用しない第六天魔王だ。
 引き渡し要求を突っぱねた恵林寺は、兵で取り囲まれ、焼き討ちされる。「心頭滅却すれば―」という言葉は、この焼き討ちの際、住職が仏教書の一節を辞世として残したものであったという。

昭和の風林史(昭和五八年八月十二日掲載分)

2019年09月04日

戻り売りだが買い場狙い

小豆目先は戻り売りで取れる。だが先三本の買い場二千円前後狙いが判りやすい。

高値の買い玉が取り残された小豆相場をどう見るか。

投げるに投げられない気持ち。

救出の船がきてくれるかどうか。その事を考えてみる。

今の相場は疲れがきていた。この疲れは下げることによって回復する。

問題はこの下げを頑張れるかどうかだ。追証を入れて救出の船が待てるか。

待てる時間と安値で難平買える気力さえあれば、今の相場天井していないから高値買い玉は蘇生する。

今の場合、(1)天井と見た売り方の気力回復。(2)買い方烏合の衆の弱さ。(3)発券で現物がゆるむ。(4)高値で問屋段階が飛びつき買いして持ちになった。(5)週間足の売り線。(6)凶作織り込み。(7)政策的抑圧などが上値圏でモヤモヤしたものとなり嫌気された。

従って三千丁押しが入って体力気力の弱い買い玉をふるい落として次なる波動(バイオリズム)のくるのを待てば、やはり天井していない相場だったと判る時がくるだろう。

目先は戻り売り型である。強烈材料(台風とか)で買っても、一度川底に足がとどくところまで沈まないことには中途半端な戻りは叩かれる。

期近二本は需給のゆるみで三千丁下げを終了した。期先限月の三千丁下げ地点は今までの売り方が変身するかもしれない。

作柄と相場が日柄疲れで一応分離したわけだが、これで取り組みが増加傾向なら再び作柄と相場が直結した動きになる。

その時は新しい相場と見るべきで、幻の高値三万六千円→八千円が現実に期待できようが、それはもっと先に行ってからだ。

それまでに時計の針との絡み即ち前に回って納会落ちで切られるから、この縦(値幅)と横(日柄)の調節を上手にしないと方針当たって損勘定となる。

●編集部註
 波動という観点では、暦もまた波動である。
 波の動きと書く事から暦はサイクルとも関連する。本紙が西暦だけでなく旧暦や月齢、アストロロジーを毎日紙面のどこかに配置しているのは、古来より相場も含めた人の営みとサイクルに切っても切れぬ縁(えにし)が存在するからだ。
 例えば今日は旧暦で7月23日にあたる。来月は8月だ。現在の処暑や秋分、その少し前の七夕、古くからおこなわれている祭事が行われる時間帯を旧暦ベースで考えてみると良い。暑さ寒さも含めて、何かと「気付き」や「学び」が多い筈だ。

昭和の風林史(昭和五八年八月十一日掲載分)

2019年09月03日

小豆の下値はかなり深い

買い玉強制整理場面に入った。三千円の押しを入れるかもしれない。罫線が重い。

小豆は買い方の投げに売り方の踏みという両者損切りの仕合いという妙な手口で、買い屋の投げより、売り屋の踏みの傷のほうが余程大きい。

材料的にはとりたててなんということもない。

要するにテクニカルなポジションの移動が薄商いの市場にコダマして一犬虚に吠え万犬これに騒いだ図。

この小豆は天井していないが政策的に頭を抑えられただけに、強力買い仕手のいない現在、ある程度の買い玉整理して水準も低くし、次なるきっかけ材料を待つことになる。

売り方は、ようやくあきらめの境地で、むしろ遅ればせの強気になろうとしていた。

ところが相場は(1)ある程度まで凶作を織り込んだ。(2)農水省の上値抑制策が嫌気された。(3)日柄で三つき(月)跨り60日。(4)発券で需給(現物)が一瞬緩和される。(5)罫線のダンゴが上に抜けなければ下に抜ける。(6)相場も疲れ、小豆マニアも疲れ商いが細った。

しかも納会受け手難の様子だから高値からないと思った三千円押しが、やっと入る事も考えに入れておかなければならない。

もっとも産地天候が再び悪化したり、台風5号の進み具合によっては二千丁押しで済ますかもしれない。

トレンドは中勢崩れ型に入ったと思う。

面白い事に今までの弱気が買いに転換したい気配だし、今までの強気が売りに回りたい様子。

相場社会は曲がり屋に向かえという。売り方が、この下げで、いそいそと売り玉手仕舞う(損切りする)現象は下値深いと見なければなるまい。

先二本二千二百円で止まらねば三万千五百円があるだろう。

罫線の頭が重いから下げざるを得ないところ。

●編集部註
 全てのジャンルはマニアが潰す。相場もその例がに非ず―。常々。当欄ではそう述べて来た。今の東京小豆の日足なり、大豆の日足なりを見ると良い。既に死んでいる。
 恐らく「俺が殺した」と言うマニアはいないだろう。何なら「殺された」と恨み節の一つも唱えているのではないか。
 「敗戦」という言葉が、いつの間にか「終戦」という言葉に挿げ替えられている現在、自分も含めて人間は、何一つ成長していない事に気付く。
 夏になると伊丹万作の随筆「戦争責任者の問題」を読み返す。既に著作権は切れているので、青空文庫で読む事が出来る。
 〝「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう〟という一節は、より今の方がリアルである。