昭和の風林史(昭和五四年十二月六日掲載分)

自社玉に対する 考え方の違いなど

前々から清水正紀氏から、『自社玉に対して暴論を書くな』と、お叱りを受けていたのだが。

「質草の屏風かつぐや枯柳 水巴」

取引員の自社玉について清水正紀氏に言わせると小生の考え方は「まったく初歩的不勉強による無知なればこそ言える暴論」―だそうである。

清水さんの自社玉論は、「自己玉問題は取引員経済にとって重大な影響をもつ企業保険」だから、小生のような考えで自社玉を論じることは、「自分の有利な強弱論のためには、傾向も内容も調べず、業界の不利益になることでも一向平気で主張する」記事になる。

そういう事では困るから、自社玉については、もっと勉強しようと努力しているのであるが、清水さんの考え方と同じでないと清水さんは「頭にくる」。

清水論では「専業取引員百社のうち、委託手数料で収支償うのは、二十数社で、U、H、K社等も、過去二十数年中、自社売買益を加算せず、利益を計上した年は、顧客が大当りした一年か、二年くらいしかない」。従って、取引員経営にとって自己玉は重要な企業保険である。

清水氏は、(1)自己玉がないと経営が出来ない。(2)手数料だけで経営バランスのとれる専業店は百社中二十数社しかない―事を強調されている。

また、「自社玉は、自らの意志で売り買いするのではなく、自衛的に保険として建玉されるもの」であるから「現行より(自社玉に対する規制が)遙か自由であった時代でも、自己玉が原因で倒産した例は少い」―としている。

清水さんに、お前は汽車かトロッコか?。無知不勉強を良く反省せよと言われるが、自社玉というものは〝自己のリスクによって〟行なわれるものだと理解しているのだが、そのような考えは、時代錯誤だと言われた。また自社玉は、百枚か10%以内に規制されているのだから、倍々と委託玉を扇形に拡げるなどあり得ない―と。

この場合、自己玉と、ダミー会社玉とは、区別して考えなければならなかったと反省するわけだが、小生は清水さんの言うような自己玉罪悪論者では決してない。確かに、自社玉についての考え方は清水さんと同じではないが、その事によって小生が業界の敵だ―と決めつけられては困る。清水さんは「(取引員の)自己玉を(世間に)理解してもらう意を込めて(取引員が)倒産しても償う制度も確立された」と言う。多分、補償基金制度の事だと思う。
小生は、補償基金制度がそのような考えも込められて設置されたとは露知らなかった。不勉強のそしりを受けても仕方がない。

ともあれ、清水氏は、専業取引員経営者の立場からの自社(己)玉理論。小生のは、市場利用者(主に投機者側)から見る相場強弱にからむ自社玉の理解で、まだまだ清水さんに教えを受け馬鹿か、間抜けか、暴論だ―と言われないようにしたいと思う。

従って、清水氏にも本紙紙面を提供し、自社玉についての考え方を論じたいと思う。

なお「商取最前線」(東京商品新聞)X氏を清水氏と推定して以上記した。

●編集部註
 熱い筆致である。反論側も口は悪いがロジックで返す。これが議論だ。

 どの業界にもイエロー・ジャーナリズムがある。この業界にもあった。ただ本紙はオピニオンペーパーであろうとする意志をこの記事から感じた。