昭和の風林史(昭和五八年十一月二十八日掲載分)

光陰は箭の如く飛び去る

師走この小豆は限月問わず安いと見るが、本年勝利してきた人は店じまいでもよい。

ぼつぼつ来年の手帳やカレンダーを戴いたり忘年会の招待状の日時をスケジュール表に転記したり、新年号の編集会議や年末の金繰りなど考えると心がせわしくなってくる。

心がせわしくなる事は、一種の情緒である。読者から高値?みの輸大があるがどうしよう?と相談。とても買い値に戻しはせぬが、その因果玉を時間かけてほどく方法はある。それは一種の楽しみで、因果玉を持たない人より持っている人のほうがよほど人間性の深味というものを身につけている。いわゆる相場の情緒である。結構じゃないですか―と。冗談じゃない。朝目が覚めても夜寝ても頭の上の大きな石が人生を暗くする。相場の情緒など味わうゆとりなどありません―と叱られた。

小豆当限は、そうなるだろうが、ひょっとするとの、ひょっとのほうがなくて、そうなるようになった納会。

東京、大阪市場は六千円を付けない配慮があったがボスの店に逆らうなかれの名古屋市場は付いた値が相場で、数年前、ボスの店が逆の立場にある時、取引所を通してやいのやいのと買い店の買い玉を強引に降ろした事がある。

取引所は物事を都合よく忘れるけれど、血の小便絞った側は終生忘れない。

あの時は悪くて、なぜ今度はよいのだ―。

取引所は声ある声も聞く必要がある。

結構納会渡し物があった。物がないない言うから用心して集まる。

来月納会は残月一声とけん鳴く21日。そしてあなたまかせの28日。光陰は箭の如く飛び去る。そして相場は師走崩れに入ろう。

●編集部註
 実に難しきは引き際なり―である。
 誰だって損などしたくない。しかし相場様は意地悪なもので、大抵引かされ玉を切るか切るまいか逡巡しているうちに更に損が膨らむ事が多い。
 ダメな子ほど可愛いと言うが、プロではない人ほど相場の世界ではこの言葉が当てはまる。当の本人は思っていないのかも知れないが、端から見れば引かされた玉ほど猫可愛がりしているようにしか見えない皮肉である。
 損切りは意外と簡単なものである、という事に気付き始めたのはいつ頃だろう。泣いて馬謖を斬る心持で損切り注文を出すも、決済が終わった時、身が軽くなった気がした。
 「スッキリしただろ?」
 百戦錬磨の相場師が筆者に声をかけてくれた。
 「勉強して、またやればいいさ」
 それまであれこれ逡巡し、見えない敵と戦っていた時間がとてつもなく無駄なものに思えた。