昭和の風林史(昭和五八年十一月二十五日掲載分)

当限散るは涙かはた露か

納会一発小豆は舞い上がるだろうという人気だった。散るのは売り玉か、買い玉か。

10・11・12の三カ月で33万俵の小豆が輸入されるから、流通段階も実需末端も一応端境期のカラカラだった品がすれが解消する。

北海道には古品30万俵ほどが思惑をこめて在庫されているし、消費地には10万俵ほどの在庫がある。

北海道の新穀は昭和最悪の凶作で、幻の豆になって人々の目にはふれないが、それでも30万俵や40万俵は豆として存在する。

商売人は年末需要としての手当ては終っている。

先行き値上がりするだろうという思惑買いの仮需も一応山を越している。

となれば、心理的にも小豆の逼迫感は薄らぐし、現実的にも需給緩和のほうに向かうところだ。

投機筋は来年一月限の新穀一本限月に、渡すほどの新穀は、あり得ないと先回りした考えで逆ザヤ売るべからず、スクイズ可能と駒を進める。

確かにそれはそうかもしれないが、そうでないかもしれない。

一月限の大穀自社玉は五一〇枚売り/一一七七枚買い。当限ほどの極端さではないが、やはり上値ありと信じたポジション。

商いの薄い各節だけに誰かがその気で買い煽ると、三百円、五百円は宙に浮いている。

高いと、いかにも強く見える。しかし、大局トレンドは上に向いていない。地合いにつられて高い節を掴むと、その玉で苦労する。

皆さん相場がお上手で安いところは売り玉利食い専一。利食いしておいて戻りを待って、罫線見ながら戻りをゆっくり小刻みにまた売ってくる。

あえてスクイズ可能な危険な限月を触らず先二本なら、なんということもない。年末一発、一か八かたいくつだから少し博打してみようという人は12限を売るのもよいだろう。

●編集部註
 既に今後の相場展開を知っている身としては、「豊作に売りなし、凶作に買いなし」は本当なんだなと思う次第である。
 経験則上、仕掛けるのは買いであれ売りであれ左程難しい事ではない。難しいのは仕切りだ。利食いにしても損切りにしても、もう少し待っていれば、あと少し早ければという場面に何度出くわした事だろう。アマとプロの違いは、存外このあたりなのかも知れない。
 さてこの頃、巷では愛人バンクという商売が話題になっていた。今でいう〝パパ活〟、一昔前の援助交際の類である。
 この年の12月、最初にこの商売を始めた店が警察の摘発を受けた。このあたりの出来事は、日活が「夕ぐれ族」という題名で映画化している。