昭和の風林史(昭和五七年十二月十三日掲載分)

輸大は買いだから買いだ

輸入大豆は来年大きな相場に発展する。今六千円目標をいうと笑うだろうが……。

輸入大豆相場を、予想したり強弱垂れる時は、今の現物事情や入荷状況など間違っても強気になれないのが本当である。

しかし、それは相場記事とか講演会とか、相場解説評論なら、それでよい。

証拠金を積んで相場を仕掛け、相場の上げ下げが直接こたえる実践投機の場合、これは解説、評論とはまったく違う。

解説、評論で言っていることなど、もとより百も承知で、そのようなことは消化しての上で、この輸入大豆は買いだ―というのは、いわゆる相場道からくるものである。

人気、日柄、罫線、手口、取り組みも、勿論、需給数字とともに呑み込んで消化ずみである。

では、なぜ上がるのか?と問われても困る。上がるから上がるのだ。

相場様が、そう言っているとしかいえない。

相場で取ろうと思うならば、見えないものを見、聞こえないものを聞かなければ判るものでない。

それらに、いちいち強弱は本当はつけられない。

買い材料は、あとから貨車でくるのだ。

解説屋や評論屋は、相場が高くなりだしてからその頃着荷した貨車の中味を解説する。しかし相場はもうそこにはいない。

相場は知ったらしまいだ。誰もが知っていることは、相場に先刻織り込んで、相場様は誰も知らないその先のことを求めてくる。

相場は煎れたらしまい。投げたらしまいだ。こんな事は誰でも知っているが、実際には知っていない。

60日で一思案。早耳の早倒れ。若い相場につけ。曲がり屋に向かえ。たどりつくところはこれである。

●編集部註
 この時、東京の小豆相場は2万8000円を挟んだ攻防戦を繰り広げていたように見えた。11月末付近からは小さな三角保合いを作っているようにも見えた。
 こんな時、相場の定法では〝放れにつけ〟である。実際、もう少ししたら相場は〝放れ〟る。
 しかし、当時の相場は燻ったプレーヤーの存在で国内商品市場全体が煤けた状態になっていた。
 大納会に向けて、1982年の相場はもうひと波乱が待っている。
 通常、大納会はシャンシャンと前場のみで取引を終え、午後からは偉い人の面白くもない話をやり過ごした後、各所で鮨などつまみながら酒を呑んでおしまいなのだが、そうは問屋が卸さない。