昭和の風林史(昭和四八年四月十六日掲載分)

追証追証の声 諸行無常の響き

去年の今時分も、今と同じような足取りの小豆だった。チンタラ、チンタラ夜が明けると安かった。

「何処までも一本道や桃の中 たかし」

山梨県の甲府は桃の花ざかりだ―とテレビで映していた。ちょうど去年の今時分か、興和商事の山中国男社長の案内で、山口哲士氏と、朝早く東京を出発して八王子を通り、山中氏の郷里である甲府に着いた。峠から見下ろせば一面春霞みとともに満開の桃。降り行けば、まさしく桃源の郷。桃の花に匂いはないが花に酔う。おいしい甲府産の葡萄酒をかなり御馳走になって夕方帰郷した。

あれから一年。一年前の四月十二日の当欄の小豆の記事は『小豆の買い方は、投げ場をどこに求めるかのところ。一万六千円の玉をまだもっているような人は、もう無形文化財で表彰されるかもしれない。五千円台、四千円台の買い玉をうんうんうなりながら頑張って二千円台の買い玉など、うらやましいといわれんばかり』―とある。なんだ、それは今の相場じゃないか。

左様、昨年の四月相場も陰惨であった。

去年は二月12日一万六千九百三十円まで戻して、それを頭にして暴落、続落に次ぐ続落で(三月23日から30日まで反発したが)結局四月25日先限一万円割れの九千九百八十円。

交易会、台湾小豆、在庫増、売れ行き不振、高値おぼえなどで市場人気は〝いずれ七千円〟という空気であった。相場は、あれだけ暴落してきたのにチンタラ峠でチンタラ、チンタラ夜が明けたら安い。そのころである(昨年四月21日付け当欄)『阿波座は乙部の織田専務が、お酒の席に、いなば播七の〝ぼた餅〟と〝おはぎ〟を五十個ずつ買ってこさせて、さあ食え、さあ食えという』などと書いている。阿波座は当時買って、いかれていた。阿波座のクシャミの大酋長も冴えなかったようで『アパッチ族の駿馬も今では薄よごれて毛がのびている』などと書かれている。

あれから一年。歴史は繰り返す。今の阿波座は去年と大違い。『阿波座も皆さんお金が出来ました』と言う。

さて、止まったと思った相場の底が抜けて新安値、新安値とくれば追証、追証の鈴が鳴る。鈴の鳴るときゃ出ておじゃれョ―はひえつき節だが、まだ止まらんか。

 ●編集部注
 何かの時代小説で、師から「敵に囲まれ絶対絶命になったら笑え」と教えられる剣士がいた。
 
諧謔は身を助ける。危機を笑い飛ばすのだ。英国ではそれをセンスオブユーモアと呼び、フランスではエスプリと呼ぶ。

【昭和四八年四月十四日小豆九月限大阪一万〇八八〇円・一四〇円安/東京一〇八〇〇円・二〇円安】