昭和の風林史(昭和四八年二月十日掲載分)

やり過ぎれば 社会が敵視する

相場師も難しい時代で、やり過ぎると〝物価高の張本人〟にされ、社会から時には敵視される。

「春の風邪会議に青き海見えて 季羊」

昨年の九月19日、小豆先限は七千七百五十円で底を打った。九月の19日は子規忌である。だからよくおぼえている。

あれから小豆は一万三千五百九十円(先限)という水準まで一体幾ら騰げたのか。

五千八百四十円幅だ。

およそ六千円。

豊作もなにもかも、どこかに隠れてしまった。

巨大な買い方の出現。国際的な豆類暴騰。豊作人気で売り込んだ取り組み。インフレ進行による換物運動。ホクレンのタナ上げなどの背景がある。

桑名の若き相場師の話を聞いて筆者は次のように思った。

相場が飯よりも好きで、一生懸命やっていたら、気がついた時にはポケットの中に五十億円ほど、いつの間にか入っていた。別にそれがうれしいとか、よかったとも思わず、豊作の小豆なら大量に買っても文句はつけられまい。夏の天候を思惑してやれ―と軽い気持ちで買ったら、なんとまた儲かった。そしてこの人の運勢がまた強く、危険なところでいつも、ひょいと身をかわし、まるで好運のカタマリをズボンのうしろのポケットにねじ込んでいるみたいである。

おのずから人がこの人を呼ぶときの名前も、昔板公、今板さん。評判がよいのは策士型の相場師でなく。あけっぱなしの、いうなら意識しての八方破れ戦術。そして時代の波に乗っているから大衆もわかりやすくついて行けるし、また儲けさせてもらった人が多い。いうなら〝神さま〟である。時代は時に、気まぐれでこういうとてつもない人物を生むものである。

かれの出番は各穀取と多くの取引員をうるおした。

各穀取は感謝せざるを得ない。もとより豆相場の記者も彼のおかけで強弱の種に困らない。

さて、これからが問題。市場に占めるウェイト、そして影響力が大きいだけに風当たりも強くなる。軽い気持で天候を思惑するというわけにもいかなくなる。

一万三千円を一万五千円に匍匐(ほふく)前進していても業界以外の社会からは投機家の思惑―ということになる。事実そうであるが、一般社会からは物価高の張本人として敵視される難しいところに来ている。

●編集部注
古人曰く、出る杭は打たれる。今の方が打ち、打たれやすくなったか。

嫌いの反対語は好きでなく無関心。世間の反感は耳目を集めし証拠也。

それが相場も動かす。

【昭和四八年二月九日小豆七月限大阪一万三一七〇円・五〇円安/東京一万三一〇〇円・一〇〇円安】