昭和の風林史(昭和四八年一月十一日掲載分)

砂上の楼閣だ 崩れたら一発!!

それは砂上の楼閣のようなものである。実と見えて虚の相場だ。投機師なら売り上がるところ。

「万両も手洗鉢も高からず 青畝」

商品相場は毎日なにかがストップ高をしている。熱狂した相場は規制を呼び、規制はまた次の規制を誘う。

取引員各社は、商い激増で、うれしいけれど規制がだんだん厳しくなれば、証拠金も引き上げられて、あとの事が心配になる。あとの事とは、相場が行き着くところまで行って閑になった時の事である。

取引員のセールスは人情として、どうしても証拠金の低い商品に目が移る。投機家も増証に次ぐ増証の商品よりも、手垢によごれていない、たとえば小豆相場に魅力を感じる。

他商品、毛糸、綿糸、ゴムなどから生糸、小豆、砂糖に投機資金が移動するのは、自然の流れだ。

小豆は仕手筋の玉が土井、大石等でふくらんでいる。すでに一万五千枚にも達しようか。

買うから高い―の相場である。売り方は追証に攻められ踏まざるを得ない。

大衆の〝いいじゃないかいいじゃないか、なんでもいいじゃないか〟―のムード買いが熱風を送り込む。

まさにそれは狂気の沙汰である。十二月の小豆の消費は年間最大需要期にもかかわらず伸びなかった。

そしてこの一月不需要期に、とほうもない高値を付けては、売れ行きは全く止まる。

しかも交易会成約の小豆がぼつぼつ入船するのであるから、一月末消費地在庫は大幅に増加しよう。

雑豆の自由化が実現しそうにない―という材料で強引に煽り上げて踏みを誘発させた。しかも買い仕手は高値に来て買い玉をふやしている。買い仕手は、もっと高い相場を考えているのであろうが、いずれ買っても、買っても相場は上がらないという場面に直面しよう。

各節を見ていると相場は少しずつ疲れが出てきたように思う。踏むだけ踏み、買うだけ買えば、その間現物も高値に向かって動きだす。私設買い上げ機関がどこまで頑張るかである。

筆者は思う。この相場は必ず暴落する。実と見えて虚の相場だ。砂上の楼閣は積み上げるに従って崩壊の時期を早くする。

売りあがっていけばよい。ポーカー・テーブルの上のゲームも山場に来た。

売りは怖くないのだ。

●編集部注
「相場で我慢するのは嫌いやねん。損切り出来てナンボやでェ」と、筆者の目の前の人がよく語る。少し、遠い眼差しで。
 
その理由が今、よ~く判った気がした。色々とあったのだろうなぁと。

【昭和四八年一月十日小豆六月限大阪一万一〇〇〇円・三九〇円高/東京一万一〇〇〇円・三四〇円高】