昭和の風林史(昭和四七年十月十九日掲載分)

買い目がない いずれ閑散低迷

小豆は売り方針。八千円どころは利食いすればよい。手亡は強く見えたところを売り上がり方針。

「鵙鳴くや明治の椅子の影深し 彩二」

九千円売りの八千円買い。そういう小豆の相場だ。昔は千円幅も動くと色めいたものだが、今の世相は、小豆の千円幅など相場のうちにもはいらない顔つきだ。

刺激が大きいと、ついそれに〝なれ〟てしまって、少々のことでは情熱が燃えなくなる。しかし、今のような相場こそ理詰めで押していけば判りやすいのである。

供給面は、今後常に圧迫が続くだろう。

大量の在庫と大豊作の新穀と、今後に輸入されるかもしれない中国小豆。値段が折り合わず、中国からの輸入が零であろうと、供給面に不安はない。

需要と言うものは、どれほど値段が安くても消費が増加するには限界がある。

この小豆相場が本格的に立ち直るのは、48年産の作付け面積や、天候が問題になる時分からであろう。

それまでは、八千円どころから以下の値を、大衆筋がよほどカラ売りするという、取り組み面からの、〝狙われる〟要因、すなわち局部的短期決戦の玉締め可能な場合のみ、お茶を濁す事が出来る。

しかしそれも消費地に新穀がたまると仕事が出来ぬ。

ああだ、こうだと難しく考える必要はない。九千円売りの八千円買い。九千円以上は売り上がる。八千円以下は買い下がる。相場は八千円と九千円の帯の中で、うねうねとのたりのたり型であろう。

小豆が、もうひとつという動きになると手亡でも〝いたずら〟してやろうかという気分になるらしい。しかしこれとて、クロウト筋は、どこかで一発、誰かがやるかもしれないから、その時は(儲けてやろう)という腹のうちである。

相場が閑になると、手口や取り組みが、少し目立つと、ワッと関心が集まり、なかなか内緒事は出来ない。荷物の動きにしても常に見張られているから、なかなか人の裏をかく仕事は出来ないのである。

もの事が、なんとかなる場合、閑になって、閑で閑でどうにもならず、それでもなお閑な市場が続いて、どうにもならない状態が来てから後の事である。

いまのところ、まだまだなんだかんだで商いが出来ている。もっと水準を下げて横に這うまでは小豆にしろ手亡にしろ買い目はない。

●編集部注
 大儲けするポジションほど退屈という。そして「間」は「魔」でもある。

【昭和四七年十月十八日小豆三月限大阪八五四〇円・一二〇円安/東京八五六〇円・八〇円安】