昭和の風林史(昭和四七年十一月九日掲載分)

供給過剰の年 強気はまだ早い

小豆の九千円は売り上がっていけばよい。決して大相場にならない。買われたあと反落必至。

「つるもどきこぼるる芝や冬浅し 十二星」

小豆の八千円割れの相場が万人の判断するところ大底という事になる。
そうすると10月六、七日の高値が一段上げで、あと半値押し、中段の八千五百円中心のモミ。

そして四月限が今週にはいって九千円に乗せた相場は〔相場が若い〕というわけで、出回り遅れや棚上げ材料などで、これを精一杯買って九千八百円。二、三月なら九千五、六百円あたりである。

誰しも、一万円以上の相場は考えない。と同時に八千円割れも考えない。

八千五百円と九千五百円の中心あたり。

誰でも、そのあたりなら妥当な水準であると思う。

八千五百円どころ。随分地固めした感じである。足で踏みつけて固めたし、目先狙いで八千二百円を小掬ってやろうと売りもした。

なるほど、あれだけ叩いて、しかも交易会の成約ニュースがはいっていも下げきれない。

相場は相場に聞け―というのはこの事である。

地合いが実に堅いという感じ。それが棒に三百円立って、利食い線を二本記入するのを待ってツツと伸びて九千三百円。

しばらくは押したり突いたりしながらも基調は強いものが続きそうだ。

九千円を固めてしまうと二、三月限の九千五百円。四月限の九千七、八百円を付けて付けられぬ事はない。

問題は、そのあとである。玉締めだとか買い占めでないのだから、あくまで需給相場だ。

産地の出回りが遅れてもそれは一時的な相場に過ぎず、やはり先に行って消費地に出回ってくる。

相場妙味という点から言えば、ある程度産地から出荷した後のほうが面白いのだが、出回りが遅れていては落とさねばならない手形を先々と伸ばしているようなものだ。いずれどこかで落とさねばならない。

九千円台の小豆相場はホクレンが棚上げしようと失敗しようと売り上がりでよいと思う。

本当に強気するのは来年の七、八月限が建つ時分からでも遅くはない。

年末の一時期に、よくゲリラの出没みたいな相場がある。あくまでも供給過剰の年なのである。高いところは売っておくことだ。

●編集部注
 株や為替、貴金属相場と比べて、穀物相場は限月の重要度が高い。

 対象限月が新穀か旧穀かで見方が変わってくる。これが、本邦での人気凋落の一因かも知れない。

 世々を経て、何かと判りやすい金融商品が増えた事も要因の1つだろう。

【昭和四七年十一月八日四月限大阪九二四〇円・一二〇円安/東京九三〇〇円・九〇円安】