昭和の風林史(昭和五四年十二月七日掲載分)

自己玉について 重要な相場資料だ

自己玉は取引員の経営姿勢の問題以前に、投機家にとっては、相場予測の重要な情報でもある。

「門ありて又石段や笹鳴す 虚子」

清水正紀氏は、過去二十年の実績では、専業取引員百社のうち、委託手数料だけで収支が償うのは二十数社しかない―という意味の事を強調しておられる。

八割近くの取引員は自己玉で経営バランスをとっている―と。

しかも、この場合の自己玉は、自らの意志で売り買いするのではない―事も強調された。

という事は、短絡的に言うと、(1)自己玉は、利益になる。(2)取引員が自衛的(注)保険として、機械的に(自らの意志でない以上は自動的に)建玉すればよいのである。

(注)取引員の自衛という事は、相場リスクに対しての自衛、あるいは、顧客の損失立替に対しての自衛、あるいはその他についての自衛―と解釈すべきか。

確かに、農林水産省調べ(商業課)の昭和46・48・50・52年調査「商品取引所売買取引実態調査関係資料」を見ても農林水産省所管商品取引所(全商品総括)52年度売買玉構成比によると全体の四分の一が自己玉で占めている。

これを取引所別に見ると、関門商品取引所は(小豆)自己玉43・7%。神戸穀取(大手亡)51・8%。

54年四月の農水省食品流通局の「商品取引所制度問題検討会報告」では〝商品取引員の自己売買は(中略)財務の不安定化をもたらすもので、商品取引員の信用業務としての性格にかんがみ経営健全化の視点から慎重な対応が必要である〟―としている。

いま、ここで、自己玉に対する制度上の問題、取引員経営上の問題、そして相場判断の資料(材料)としての問題、この三ツについて考えなければならないのだが筆者は、主に相場判断の面から自社玉を書いてきたつもりだ。その事に対して清水氏は暴論と決めつけ「頭にきた」様子である。

筆者は、相場を判断する上で、やはり自社玉ポジションについては、これに逆らっては、不利だという事を清水論で確認出来た。

同時に、取引員経営は、なぜ手数料収入だけでバランスがとれないのか。この事について、考えなければならないと思う。

自己玉、自社玉問題は、つきつめていけば哲学であり心理学である。そして、相場判断上の有力な情報でもある。自己玉は利益が上るという結果が出ている以上、世の投機家も、この建玉に無関心ではおれない。

●編集部註
 戦前、5代目蝶花楼馬楽という落語家がいた。

 曲がったことが大嫌い。おかしいと思えば誰処構わず突っかかる事からついた仇名が「トンガリ」。

 この人物こそ誰あろう、戦後5年して8代目林家正蔵を襲名。名人と謳われ、先代の林家三平死去に伴い改名した、林家彦六その人である。

 この彦六爺と風林火山が時折ダブって見える時がある。風貌もどことなく似ていた。トンガリ具合もそっくりである。きっと若き日の彦六爺のトンガリもこのような感じではなかっただろうか。

 因みに最近電子版でも読めるようになった鍋島高明氏の「侠気の相場師 マムシの本忠」(パンローリング)の冒頭に、少しだけ風林火山が登場する。

 尖りに尖って業界の大物と紙面で大立ち回りを演じ、その先どうなったかが、文中でさらりと触れられている。