昭和の風林史(昭和五四年十一月二二日掲載分)

お国は六韜三略(りくとうさんりゃく) 売らんけれど売る

いつも相場は人気の裏側にある。輸大が戻せば大阪先限五千百円、二百円と売れば判りやすい。

「風に聞けいづれか先にちる木の葉 漱石」

輸大定期市場は中国にふりまわされている。中国人の商売は、日本人に理解出来ないものがある。

目の前にあっても、涼しい顔で、ないと言う。値段の交渉は、硯一ツにしても三日も四日もかかって値切れば、駄目だ駄目だの値段でも、しまいに古き友人ということになる。

数年前、日本の小豆定期市場は、中国小豆を売るとか、売らんとかで、随分ふりまわされた。

商売が上手というのか、狡猾というのか、中国人との商売や駈け引きは、腹を立てたほうが負けである。

日本の財界は、中国との経済協力という事で日本から38億ドルものプラント輸出契約を結んだが、これはリスクが大きすぎる。

中国の政治情勢は、いつどう転ぶか判ったものでない。松下さんあたり、リスクについては計算しているだろうが、あまり深入りすると、結果はペロリとだまされたという事になるかもしれない。

まあ、松下さんなら、バンダル・シャープールの石油コンビナート投資で行き詰り、日本政府の援助をあおぐ結果になったような、われわれ国民の負担によってカントリーリスクをカバーせずとも、自分でやった事は自分で片をつけようが、なんとなく、松下さんは中国で失敗するように思えてならない。後世、『あれだけの成功者が、晩年の政経塾と中国とは失敗だったね』とならなければよいが。

輸大市場は、かなり強気になったところで冷やされた。中国は年内売ってこないという予測のもとの需給観である。

しかし値が高くなれば売るのが商売である。

ましてお国は、六韜三略お手のもの。

高値で玉をひろげた投機家は、ぶった斬られた。

自社玉大量売り店は、首の皮一枚を残して―ということになる。

さて、この輸大相場どうなる。

客が総売りなら再び上だ。上に行って客が踏めば、それで終る。相場なんて、所詮人気の裏である。

客が売りたいか、買いたいかは、客に聞かずとも自分に聞けばよい。今、自分は売りたいのか、買いたいのか。相場はその反対側にある。

今回もそうだったが、輸大は五千百円、二百円、三百円(大阪)と先限の五干円台を待っていて、人気が熟したところを中国流に売るのが一番判りやすい。

●編集部註
 ここで登場する〝松下さん〟は、恐らく松下幸之助の事だろう。

 彼はこの時期訪中し、現在同国では「最初に井戸を掘った男」と称えられている。