昭和の風林史(昭和五四年十一月三十日掲載分)

頭では判っても 肌にピンとこんの

若い人は輸大相場に難なくとけ込んでいるが、小豆の黄金時代に育った人は、ぎこちないのだ。

「煮ゆるとき蕪汁とぞ匂ひけり 虚子」

小豆相場と輸入大豆相場の違いについて「輸大は判ったようで判らんが、小豆は判らんようで判る」―と言えば、その通りなんですと言う。

これは、小豆相場の黄金時代に育った人なら理解出来ると思う。

輸大は小豆の六倍―と観念的には知っているが、輸大百円幅の動きが、それほど直線的に動いた―という感じにならない。

ところが、小豆の三百円幅の動きに対しては、スカッとしたものを感じる。

動きに対する斬れ味というのか。利幅の満足度にしても引かされての呻吟度にしても、輸大と小豆とでは感じかたが違う。

それは、相場に対しても言える。四節立会と六節立会の違い。これが、なにか間合いが取りにくい。

セリを聞いていて、小豆なら、その玉が、どのような性格の玉か、例えば店のおやっさんの玉、地方の客あるいはホクレン系統、いやマバラ大衆―と、だいたい判る。

輸大になると、隔靴掻痒(かっかそうよう)である。

更に言えばシカゴがどうだ、フレートがこうの、為替がどうだ―とくる。

小豆相場20年、25年のキャリアにとっては、英語は大の苦手である。

キャリオーバーだとか、イールドとか、日本語で言え―と言いたくなった人は随分いると思う。

名古屋の大石商事の大石吉六翁は、『知らんもんに手を出さん』で、輸大なんか、見むきもせんそうだ。

しかし、こと営業となったらそうはいかん。輸大は穀取市場の花形である。

まして小豆は塩垂れてしまって〝荒城の月〟だ。

その点、昔日の小豆の、よき時代(筆者に言わせれば、ロマン多き相場時代)を知らない若い人は、難なく輸大を消化している。やはり若い人には勝てん。

堂島育ち(明治生れ)の方は、知らんもんには手を出さん―でいけるが、阿波座育ちとか、蠣殻町育ちはそうもいかん。

『フレートてなんや』小さな声で聞いて、なんや運賃ちゅことかいな。
土台、なん十億ブッシェルという単位、それにブッシェルならブッシェルでいけばよいのにトンで数えて俵に換算して、ウスダー(東北弁の嘘だ―)USDAと言いよる。

これからは輸大相場の時代だと言うから、その気になってはいるが、なんとなくちぐはぐな人がおる。

●編集部註
 この年の10月、松竹が松本清張の「砂の器」を映画化。大ヒットする。

 劇中、東北弁が重要なキーワードになるのだが、この記事の「ウスダー」は恐らくこの作品が元になっている。それを知らぬとピンと来ないだろう。