昭和の風林史(昭和五十年二月二五日掲載分)

手亡高値更新 矢は弦を放れる

遂に手亡に点火した。矢は弦から放れる。手亡に春来れば、小豆おのずからまた開花す。

「片栗の花とも知らず見過ぎけり 漂舟」

手亡の取り組みが異常なほどふくれ、十五万枚にも達しようという勢いだ。

そして相場も新値に躍り出て、矢は弦から放れんとするする瞬間を思わせた。

踏む者、新規に買う者、そして利食いと新規売りで月曜日の一節は久々の大出来高だった。

相場は、すでに充分な底練りを終え、蓄積された爆騰エネルギーは一万五千円抜け→S高→一万六千円突破を予測せしめる。

恐らく相場は高値を更新した以上、軽く押し目を入れながらも、上昇エネルギーの燃え尽きるところまでのロケット推進を続けるだろう。

手亡の売り方としても、早晩相場に火のつくことは判っていた。崩して崩せる相場でないことは誰の目にも明らかだった。

敢てそれを弱気せざるを得ない事情、また相場戦線において、やむを得ざるものありだが、大衆エネルギー、大衆パワーの結集を甘く見すぎてはいなかっただろうか。

手亡六月限も一代の新高値である。六月限の売り勢力すべて水つかりだ。

そして今、五月限一代も新高値指呼の間にある。

山ゆかば草むすかばね、海ゆかばみづくかばねだ。大君の辺にこそ死なね。

手亡相場に春がくれば、おのずから小豆相場の花開く。

二月21日、小豆相場は今にも底抜け棒垂れ型かと思わせたが、値ごろの抵抗は厳しく、目先筋の買い玉をふるい落とし、信念なき者をして突っ込み売りさせただけに終わった。

考えてみれば、薄商いの市場で、きわめて僅かな売り玉で値が消えた。

それだけに陽気が変われば下げた値幅など、瞬時にして奪回出来るのだ。

小豆先限の目先八千円乗せ相場は、手亡先限一万六千円突破同様に約束されたものである。

いざ征かん、天かけて。春光燦然たり。小豆と手亡で億の金を掴もう。

●編集部註
 筆が踊っている。今回もノリノリである。

 実際に小豆相場が大化けするのは五月である。

 恐らく当時の外務員は、朝出勤して投資日報に目を通し、この記事を読んでニヤリとするか、冷ややかな眼差しを送っていたのではないか。そうでなくとも、朝礼での話のタネにはなったであろう。

 一万七〇〇〇円を挟んだ凪の相場期に「億の金」とは、「オオカミが来たぞ」と吹聴する昔話の少年のように見えたかと思う。

【昭和五十年二月二四日小豆七月限大阪一万七一〇〇円・一〇円高/東京一万七二六〇円・八〇円高】