昭和の風林史(昭和五十年三月二七日掲載分)

悪材料織り込む 大底打つだろう

手亡相場も大底を打たねばならない時にきている。悪い悪い―は織り込んでいる。弱気時代終わる。

「定まらぬ天気に育つ蚕かな 碧梧桐」

古品小豆最後の期限の納会は各地とも実需筋の古品受けとホクレンのつなぎはずしなどで三月限は安値から千円以上も高騰した。

さて、この動きをどのように、これからの相場にむすびつけて考えればよいのだろうか。

三月限は古品の捨て場だから安い―という市場全般の当初の予想が裏目に出た。

古品捨て場の安値は現受けして必ず儲かるという現物経験派の方針が当たった。

意外に供給力が弱かった。

筆者は、三月限小豆の高騰は、先に行っての小豆相場全般の動きを暗示していると思う。

いまは手亡相場がピービーンズ相場になりさがってしまい、人気面に、もうひとつモヤモヤしたものがかぶさって冴えない穀物市場であるが、この手亡にしても、いずれは大底を打たなければならない。

手亡相場が大底を打てば、その時、小豆は、弓からはなれた矢である。

手亡にしても、ブクブク、ブクブク川底に沈んでいくような格好であるが、ひとたび川底の砂に足の裏がとどけば、ひと蹴りで浮上する。

相場は人間の貧乏と同じである。貧のウズに巻かれていると、いくらもがいてもジリ貧である。焦るほど悪くなる。

こういう時は、じっと辛抱して貧乏のドン底、即ち川底の砂に足の裏が届くまで我慢しなければならない。

いったん川底にとどけばひと蹴り、ふた蹴りで浮上できるものである。

手亡相場の悪いことは、いまや〝相場の常識〟になっている。にもかかわらずこの大取り組みだ。

無気味というべきか。

いままでの経験で、はかりしれない異常な現象が発生しそうな気がする。

昨年の七月27日に天井打って、以来丸八カ月を下げてきた手亡だ。下げるべき理由があったからこそ下げたのであるが、日柄という面からこの相場を見る限り、もう下げ相場も限界に来ているように思う。

来月新ポ生まれる手亡九月限が逆ザヤならば、一応そこで下値にピリオドを打つのではなかろうか。

そうなると、小豆相場があらためて見直されよう。

弱気時代は去りつつある。

●編集部注

時に昭和五十年と平成二九年がリンクする事がある。相場と関係ないがこの年のこの週、破裏拳ポリマーというアニメが終わった。これが今年五月に実写で映画化されるという。

【昭和五十年三月二六日小豆八月限大阪一万六七七〇円・五〇円安/東京一万六七七〇円・四〇円安】