昭和の風林史(昭和五八年四月八日掲載分)

限りなく売り上がれゴム

春昼やゲート・ボールに厭きもせず(小豆)。二、三文競り合う値段霞みけり(輸大)。

現代は価格なき時代というのだそうだ。

パソコンや鋼材の世界は、メーカーの価格支配力が吹き飛んでしまった。

かの偉大な力を発揮したOPECにして然り。

ホクレンの小豆価格支配も必ず蹉跌がくるだろう。

『価格は市場に聞くしかない』。市場原理を無視した強引な価格政策は大きな反動を呼ぶ時がくる。

小豆相場はゲート・ボール的世界とみておけばよいだろう。それは老人センターの遊びである。

本日産地ゴム納会。買い仕手は来月に戦線を延長するだろうと、まことしやかに伝わる。

去年の六本木小豆でも来月に戦線延長すると宣伝されたが、来月も再来月もといいだした時は、たいがいそうはならない。

このゴムは三百円がある―と強烈なトーク。単なる買い占めとか玉締めでない。世界的視野に立ったゴム価格の水準訂正戦略だという。

産地買い主力が日本の定期納会受けて、中国に輸出するという話も伝わる。

奇妙な話だと思うが相場が強張ると、いかにも真実味をおびてくる。

これなども≪価格なき時代≫の一現象か。

価格支配力が吹き飛んだ時のゴム相場たるや惨。

ゴムは大衆の値ぼれ売りがすさまじい。しかしこの大衆筋、歴戦の勇士である。どこまでも踏まない。

限りなく売り上がる。

彼らはすでに輸大で勝利してきた。今の商品界に≪存在する大衆≫は、資力、思想、戦術、戦略を持っている。

旧軍隊でいえば軍曹、曹長のたくましさもある。

輸大のほうは飽きてきた。まさしく眠気をさそうところ。春昼やこぼるる花と散る花と。これ春特有の薄絹を透したような朧(おぼろ)相場である。

●編集部註
 相場分析の新聞を発行する会社に入ったのに、まさかゲートボールの事を調べるとは思ってもみなかったが、この頃のゲートボールは老人の余興というイメージが強かった事が分かる。ただ調べれば調べる程、むしろ酸いも甘いも噛み分けた老人達向きの、権謀術数を尽くした実にエゲツない闘いであると識る。
 さて今回、風林火山も指摘しているように、力ある者達の相場支配が如何にたまゆらなものであ ったかが記されている。
 ゴム相場にもINRO(国際天然ゴム機関)という伝家の宝刀が存在。頻繁に市場介入を繰り返していた。しかし、1999年に解散している。