昭和の風林史(昭和五八年十月一五日掲載分)

罫線とは一体なんだろう

小豆は上値あってよし、あれば売るということでよいと思う。輸大も同じである。

一本の線の中にすべてが織り込まれているという人生観による相場観が罫線主義者である。

なぜここに寄って、なぜここで引けたか森羅万象すべてが、その線の中にある。従って一本の線を理解することにより、全体が?め、全体を知ることによって、その先が判る。

だからチャーティストはファンダメンタルは線の中にあり―と割り切る。

これが狂信的になると、教祖的になり、カリスマが高じると超能力者扱いになり当たっている時は大変だが一ツ間違うと救いがない。

古い川柳に「罫線を覚えた頃に倉は飛び」というのがある。相場に凝ってこれは罫線を勉強しなければいけないと気がついて、売り線だ、買い線だと判りかけてきた頃には家屋敷もお倉も相場の損で人手に渡っている―という強烈な風刺である。

このほか「罫線は筋を引き引き足を出し」などというのもあるが、罫線にも門外不出の見方と称して実はそれを高価に売って、自分は相場をしたら損ばっかりという人も多い。

世の中に絶対絶の罫線などあり得ない。要は可能性の問題だけである。

線の見方など、基礎的・常識的知識に実践の経験を重ね自分なりに改良し会得すれば、それでよい。

問題は見方ではなく素直に見る心である。

売りたい病気にかかって誰が見ても上の相場なのに上げ相場の押し目の線にこだわり、線は売りだからと大曲がりしたりするのもあるいはこの逆も、線の見方が悪いのではなく、線を見る心が病(やまい)なのだから、さしずめ病気のほうを直さなければならない。

さてシカゴ大豆の線はどうなのか。八㌦60に抵抗があって、上に行けず、下は七㌦20あたりまで線のみでいうと無抵抗地帯。

●編集部註
 何故か令和の今、弊社で販売している鏑木繁著「罫線の法則」の注文が増えている。時折急にこうした事が起きるのだが、そんな矢先に罫線に関する文章がやって来たのは何やら感慨深い。
 手で罫線用紙(といってもB全の方眼紙だが)にチャートを書くのは楽しい。ローソク足でも、いかり足でも、ポイント&フィギアでも、何なら相場帳でもよい。実際に価格を〝入れていく〟作業は、相場の勉強になるし武器になる。
 今までお会いしてきた第一線級の相場師の皆さんは必ず、気象庁の職員の如く、何がしらの記録を毎日つけておられる。
 そしてこの方々は、その記録で生じたかな変化を決して見逃さない。それは「罫線に淫する」感じでは決してなかった。