昭和の風林史(昭和五八年十二月二十八日掲載分)

波乱に明け波乱で暮れる

御愛読を深謝します。来年が(来年も)よいお年でありますように。

小豆の売り方は心ならずも苦渋に満ちた越年であるが、男子志を立てた以上は信念を貫く時も必要である。

前に回る一月限は年明け早々臨増しがかかる。

『市場管理委員のメンバーが期近を買っているからいつもよりきつい臨増しをかける可能性があるから、期近の売りは早く踏んだほうがよい』と言っていたが、それは昔やったことであって、今どき、そのような私情による管理はできないシステムである。

だいたい追証切れで期近の売りは踏み終わりあと残っている売り玉は、納会まで煎れるものか―と横になった玉である。

追証さえ積めば文句ないわけで、追証が怖くて相場が張れるか。

一月限日足(大阪)で七ツの空間窓をあけた上昇であった。カラスの子じゃあるまいし七ツも窓をあけて飛ぶ相場なんか見たこともない。渡し物がないから、まだまだ上だと言うが、相場というものは行き過ぎると内部要因面から自壊作用を起こすもので品物は、なくても下げる。

仮りに一月限売りは憤死しても二月限、三月限と柳の木の下に泥鰌が四匹も五匹もおるはずがない。

この相場が値を出しきってしまえば、それからの下げというものは押し目買い人気であろう。

売ったから突き上げられた。今度はその逆で、買ったから崩れ落ちるということになろう。

思えば九月21日仲秋名月から一月限一代棒で三段上げ。値幅にして四千八百四十円。日柄にして72日は三つきまたがり。

年明け早々大発会当限天井ということもある。

まあ、先のほうの限月を売っている分には、なんという事もないが、厳しい相場だったし、その厳しさはもう少し続く。

●編集部註
 追証、臨増という用語はなくなったが、SPAN証拠金制に変わり、必要証拠金の金額自体がその都度変わるルールに。増減を問わず、証拠金が変わる時は相場も節目になりやすい。特に金額が増える際は、種玉を残して玉自体を減らすに限る。筆者自身が小心者である事にも由来するが、過去新たに証拠金を徴収するような局面で、新規の取引をして碌な事がなかったという印象が強い。
 意地を通せば窮屈だし、情に掉させば流される。相場の世界では、幾ら角が立とうとも、智に働くのが正解と考える。
 「知」ではなく「智」であるというのがポイントである。漱石の草枕は「智」になっているが、時折「知」になっているものも…。 日が付いているか否かの違いは存外大きい。