昭和の風林史(昭和五八年八月十六日掲載分)

動かざること山のごとく

次なる小豆の相場展開が読めない。迷わば休むべし。判らないものは判らない。

『むさぼれば勝を得ず』という。『危うきに逢わば須(すべから)く棄つべし』。

小豆旧穀限月は四千丁斬って捨てた。心頭滅却すれば火おのずから涼しと快川国師は喝破した。

いまこの小豆、改めて見るとどうなる。

人はただ身のほどを知れ。草の葉の露も重きはおつるものなり。そのように思う。

ゴルフのジャックニクラウスが永年つれ添ってきたキャディーのアンジェロを解雇した時、『アンジェロは情熱を失っていた。もはや彼から興奮の躍動を引き出すことはできない』といって決別した。

相場も精神的な部分で燃えてこないようになるときがある。

興(きょう)が醒めるというのだろうか。

そのような時は離れるしかない。

高値の買い玉の整理がどこまで進んだか。

投げは値幅と日柄。気やすめは通用しないもの。

一応下値にとどいた感じでもある。

ゆれ戻しの千丁、千五百円は下げ急なる相場に必ずあるものだ。それをどう判断していくか。

そしてこの相場の裏にある政治的、政策的動きが、どのように展開されているのかそれを知りたい。

あとは今後の需給バランスの問題。

現物玄人筋の人気と相場師玄人筋の人気の流れを見るところでもある。

大衆は算を乱した。大衆の習性は煎れ投げができない事。従って、高値買い玉辛抱している。

問題は今までの相場のプロセスを知り、これからのストーリーを読むことである。判らないといえば、判らない。情熱が燃えてくればそれがまた判る。

あすは山越えどこまで行こうか、鳴くは裏山?ばかり。小生只今盆休み中。

●編集部註
 安禅不必須山水
 心頭滅却火自涼
       (碧巌録)
 戦国時代、外交交渉の任を高僧が担っていた。甲斐の武田信玄に招かれて恵林寺の住職となった国師(高僧に対して帝が贈る諡)、快川紹喜もその一人であった。
 信玄の死後、織田信長による「甲州征伐」で武田氏は滅亡。混乱する領内において、恵林寺は要人の逃避先に。中世の寺社仏閣は権力不入の聖域とされていたからだ。
 ただ相手は織田信長。これまでの「常識」など通用しない第六天魔王だ。
 引き渡し要求を突っぱねた恵林寺は、兵で取り囲まれ、焼き討ちされる。「心頭滅却すれば―」という言葉は、この焼き討ちの際、住職が仏教書の一節を辞世として残したものであったという。