昭和の風林史(昭和五八年八月十一日掲載分)

小豆の下値はかなり深い

買い玉強制整理場面に入った。三千円の押しを入れるかもしれない。罫線が重い。

小豆は買い方の投げに売り方の踏みという両者損切りの仕合いという妙な手口で、買い屋の投げより、売り屋の踏みの傷のほうが余程大きい。

材料的にはとりたててなんということもない。

要するにテクニカルなポジションの移動が薄商いの市場にコダマして一犬虚に吠え万犬これに騒いだ図。

この小豆は天井していないが政策的に頭を抑えられただけに、強力買い仕手のいない現在、ある程度の買い玉整理して水準も低くし、次なるきっかけ材料を待つことになる。

売り方は、ようやくあきらめの境地で、むしろ遅ればせの強気になろうとしていた。

ところが相場は(1)ある程度まで凶作を織り込んだ。(2)農水省の上値抑制策が嫌気された。(3)日柄で三つき(月)跨り60日。(4)発券で需給(現物)が一瞬緩和される。(5)罫線のダンゴが上に抜けなければ下に抜ける。(6)相場も疲れ、小豆マニアも疲れ商いが細った。

しかも納会受け手難の様子だから高値からないと思った三千円押しが、やっと入る事も考えに入れておかなければならない。

もっとも産地天候が再び悪化したり、台風5号の進み具合によっては二千丁押しで済ますかもしれない。

トレンドは中勢崩れ型に入ったと思う。

面白い事に今までの弱気が買いに転換したい気配だし、今までの強気が売りに回りたい様子。

相場社会は曲がり屋に向かえという。売り方が、この下げで、いそいそと売り玉手仕舞う(損切りする)現象は下値深いと見なければなるまい。

先二本二千二百円で止まらねば三万千五百円があるだろう。

罫線の頭が重いから下げざるを得ないところ。

●編集部註
 全てのジャンルはマニアが潰す。相場もその例がに非ず―。常々。当欄ではそう述べて来た。今の東京小豆の日足なり、大豆の日足なりを見ると良い。既に死んでいる。
 恐らく「俺が殺した」と言うマニアはいないだろう。何なら「殺された」と恨み節の一つも唱えているのではないか。
 「敗戦」という言葉が、いつの間にか「終戦」という言葉に挿げ替えられている現在、自分も含めて人間は、何一つ成長していない事に気付く。
 夏になると伊丹万作の随筆「戦争責任者の問題」を読み返す。既に著作権は切れているので、青空文庫で読む事が出来る。
 〝「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう〟という一節は、より今の方がリアルである。