昭和の風林史(昭和五八年五月二十五日掲載分)

火中に栗あり精糖急所へ

精糖は火中に飛び入る思いの売り場。小豆は大海に身を投ずる思いの買い場。

NY砂糖続騰11㌣乗せ。円安進行の予想もあって精糖S高。同方向に三日連続ストップは増証して制限値幅を五円に拡大するから本日Sがつけば先限の二〇九円(大阪)。

たぶんそうはならないと思うが、もしS高五円高なら海外がどうあれ、息を殺して売り急所になる。

相場には呼吸というものがあって、猪突猛進は足もとをすくわれる。

大勢的には二二〇円を取りに行く相場であるが目先の二〇六円、七円以上は売って急落がくる。

ゴムは先限31~33円あたりの下値なしとしないが売り玉利食い専念。新規売りは感心しない。妙味の薄れた市場になりつつあるが安値はむしろ買いになる。

小豆は陰の極にある。人気は玄人ほど弱い。二万円目標という声も聞く。

そこまで弱くなくても二万五千円(先限)はいう。

11限の新穀のサヤは八百円から千円と見て三万円は遠い人の面影みたいだ。

君は君。我れは我れなり。気やすめいう気はないが、買い玉持っていても気持ちのよいぐらいの暴落ぶりは、なにか爽やかさを感じたのでなかろうか。

こういうときはえてして行き過ぎるもので、種を蒔くか蒔かぬときに豊作を口にするなど相場がいわすとはいえ、はしゃぎ過ぎだ。

売り仕手のようなホクレンには勝てないと草木もなびくし大納言の10月限捨て場も強弱としてはアンコールのしすぎである。

筆者の線では節新値44本である。去年八月戻り天井から本年一月11日迄の下げが、この方法の計算で41本。だから読者からの電話には臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。夜明けが近いと。

電話の声は、ほとんどゆとりがある。難平買いよろしいか?と。いま小豆をやっている人は並みの投機家でないことを痛感する。

●編集部註
 親譲りの無鉄砲で小共の時から損ばかりしている―。と、夏目漱石の坊ちゃんの冒頭が思い起こされる今回の記事。買い難平の素寒貧である。
 難平や両建ては自身の〝器〟が如何ほどのものかが分かる。少なくとも小心者はしない方が良い。「楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ、片づけようとすれば世が立たぬ」(草枕)。実際にやってみて、初めて己の〝器〟の小ささに愕然とする時がある。
 それでも相場をするのなら、小さい〝器〟なりに相場との対峙法、戦闘法を探らねばならぬ。