昭和の風林史(昭和五八年二月二三日掲載分)

だいたい諦めの心境なり

輸大の強気側は、だいたいあきらめたが、投げずに、横になった格好で辛抱している。

泣く子も黙るサヤすべり。

輸大期近限月のサヤすべりを見ていると、強気側は気もそぞろ。二、三、四月限の高値因果玉(T社分を含めて)が整理されるまで、あすに望みがないという空気。

中国大豆の消費は進んでいるのだが、成約量が多い。入荷は遅れ気味だが、遅れても入ってくるから需給に逼迫感がない。

それと、取引員自己玉売りが、ともかく東西二万三千枚と急増した。(買い玉六千枚強)。

大衆買い方は中豆の難関とヘッジャーの圧力と取引員自己玉売りとの戦いの上、為替変動とシカゴ相場にさらされ追証の矢が飛んでくる。それに耐えるのが相場する者の宿命である。

前門の狼、後門の虎、まさしく窮地にある。

では投げるかといえば、なかなかどうして。

この相場、四月下旬か五月上旬まで忍の一字で辛抱してみよう。今年は大相場ありと読んだ上での投機だ。

一説にはロンドン、シンガポール、東京のゴム市場で活躍中の巨大投機集団が、ゴムを仕上げたら、次の狙いはシカゴ大豆に挑戦する可能性がある―との事。『いや、それは大豆買い方の願望ではないですか?、そうあってほしいという』。一方、ソ連に世界一安い日本の穀取大豆を買わせてみようという動きがあるともいうが、十万㌧や二十万㌧の量では少なすぎるだろう。せいぜい北朝鮮向けであろう。

まあこのように、市場には夢がなければ人気は盛り上がらない。

小豆相場にしても、いまは大衆に夢が持てないから寄りつかない。

ホクレンや農協の出荷調整や役所の外貨操作に対して、投機家はロマンが持てない。市場は常に自由に開放されなければ機能のメカニックは殺されてしまう。

●編集部註
 生産者は高く売りたい。卸問屋は安く買いたい。品質の高い商品は高く売れ、低い商品は安く売れる。その品質を見極めるのが目利きの存在であり、現物食品市場はその機能が充実していた。これに投機家による先物市場が加わり、かくして価格の平準化が機能する。
 大正期の米騒動を教訓としてこのような制度が整備されたといわれる。食料は品質が整い、安定供給され、リスクをとった投機家は褒められこそすれ貶されはしなかった。やっかみはあったかもしれないが、最大多数の最大幸福という観点からは理に適っている。
 現在こうしたシステムが崩れている。モラルも崩れている。その萌芽がこの頃から見え始めた。 
 バブル景気はまだ先だ。