昭和の風林史(昭和五八年二月三日掲載分)

小豆は下げだすと土石流

小豆が節分天井で下げだすと、この下げ早い土石流なみ。輸大の基調は不変。

二月新甫輸入大豆三市場出来高合計は、一月10日大底値を付けた時とほぼ同数の四万二千枚出来た。

輸大の四万二千枚に対して小豆のそれは六千七百余枚。

輸大の取り組み十七万五千枚に対して小豆は四万八千六百枚。

小豆は段々大衆投機家の関心が薄れつつある。

相場の値付き具合いとか、相場の波動や値幅でいう限り輸大より小豆のほうが、馴れた人にとっては、やりやすいのだが、証拠金の高額。ホクレン主導。たびかさなる仕手戦。農水省の価格介入。輸入枠や自由化問題など、いま一ツ最近の投機家にとって近寄り難い。

そのようなところに小豆忌避の風潮が特に東穀出来高・取り組みに顕著。

大穀はその点、輸大は名穀にも劣るけれど、小豆ファンは零細ではあるが数が多い。

その小豆相場、さすが新甫の日の電話は多かった。売っている人の気が持てん。七千円以下を売れと書いた覚えはないが安値叩いた人は、当欄弱気方針が心の支え。

大衆は売り、玄人は買う。

売りなら売りで、どこまでも喰らいついて売り上がれば怖くない小豆だ。

なあに、この小豆下げだせば一本道。

東京週間足の去年からの大下げ道中の頭は二月10日、四月1日、六月3日、八月12日、十月25日、十二月21日―と、二・四・六・八・十・十二。一目くぐりの偶数月で、その波調の中にある相場なら二月上旬に頭を打つはず。

輸大のほうはシカゴ押し目。円小戻し。だから暴走族でも一服する。

シカゴの投機筋はコーンベルト地帯の雪不足に夏の異常を見て取った。

穀取輸大は戻り新値を取っての押し。この押し買うべし心配無用の図。

●編集部註
 この頃、時の総理大臣、中曽根康弘は米国にわたり同時の合衆国大統領、ロナルド・レーガンと会談。後に「ロン・ヤス関係」という用語で人口に膾炙する関係の始まりとなる。
 渡米中、ワシントンポスト社主との朝食会で「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する」と発言。物議を醸し出した。
 発言の是非はともかく、
この時の首相は飛んでくる批判を腹芸一つで乗り切った。当節そういう政治家が絶えて久しい。〝存在の耐えられない軽さ〟に暗澹たる気持ちになる。
 因みに、この時のワシントン・ポスト社主、キャサリン・グラハムが活躍する映画を我々は昨年3月に日本で観る事に。それがスティーブン・スピルバーグ監督作品『ペンタゴン・ペーパーズ』。オスカー女優、メリル・ストリープが演じていた。