昭和の風林史(昭和五八年九月二九日掲載分)

小豆・長い灰色の下げ人生

輸大はシカゴ次第というもののシカゴが天井している。小豆は上げる力がない。

小豆は先限千円棒を立ててはみたが―というところ。

東穀の取り組みが痩せ衰えたままで、商いも細く、これでは市場に活気も出ない。

いまの小豆は、もう少し上値があってほしいところ。というのも、結局はどこかで落ちる。同じ落ちるにしても高いところから落ちたほうがよい。

輸大で利益した人たちが小豆の上げ相場を期待する流れも見えるが、小豆に上げの相場はないから、折角大豆で儲けたお金を小豆でふいにしてしまう。

すでに中間地帯は収穫を終わった。早生種で三・五俵~四俵。コトブキで五俵袋に詰めた―という話。

まあ旭川(中間地帯)で三・五俵の線である。

北見、帯広は来月五日頃からの収穫で、北見あたり二俵まずまず。帯広、十勝は病虫害発生もあっていずれ霜もあり零と見ておけばよいだろう。

なんだかんだで全道72万~75万俵収穫予想。

こうなると北海小豆は上がることはない。

相場はこのあたりの水準で売っても買ってもハキハキしないが、日柄を食うほど先に行って一、二月限の二万九千円割れ。アッと驚く場面があるはず。

輸入大豆のほうは買いで大勝利したお客さんたちが気も大きくなって押し目買い段階。これが捕まると先に行ってパニック下げの導火線になる。

シカゴの足は水を含んだ暗雲垂れて山雨将に来たらん風情。

穀取輸大も熱いところは過ぎた。あとは上昇余韻の中で押し目買わせて、十分買ったと見たら斬って捨てるところだろう。

芭蕉は舌頭に千転せよと教えた。句をつくるなら言葉を千回ぐらい転ばさないと、よい句にならない。今の輸大は天井三日舌頭に千転すべしでなかろうか。

●編集部註
 てやんでぇべらぼうめ。
 そう啖呵の一つも切りたくなる。1983年の時点で〝東穀の取り組みが痩せ衰えたままで、商いも細く、これでは市場に活気も出ない〟というのなら、いまの穀物市場はどうなのか。
 差し詰め苦行に苦行を重ねた挙句、活気はおろか精気さえもなくなって即身仏と化し、人里離れた山奥の廃寺にひっそりと祀られた高僧のようなものではないか。
 是非ご尊顔を拝みたい、と足を運ぶ敬虔な信者もいるだろう。しかし、それはごく少数に過ぎない。
 大統領選に多大な影響を与えるアメリカのメガチャーチのようになれとは言わないが、もう少し檀家を大切にしておけば良かったのではないか。