昭和の風林史(昭和五八年三月十四日掲載分)

輸大買い方は野に伏して

野も山も皆弱気となって初めて大相場というものが出現するのである。

読者からいろいろな音信『小豆一行一句書かぬ日もあり。書いて下さい』。鹿児島から。『ピンで50万はゴムだった。七月、八月忘れた時分に輸大がゴムの二の舞いと思う』など。

小豆は産地相場が、いかにもぬるい。なんといっても豊作のあとだし、実需が伸びているわけでもない。例年春天井を打って青田底をつくりにいくのがお決まりのコース。

人気離散、商い閑散だから一部買い方が、煽りをかければ強く見える。

ホクレンや農水省が価格吊り上げに努力しているだけに弱気でも敢えて逆らわず相場自然の(日柄などによる)疲れを待つ姿。

六千円台の売りや七千円台の売りが前四本に残っているため暴落もない。

しかし先二本は買い玉がもたれ気味。春需要は手当て一巡している。

売り込むと捕まるから死んだふりしているのがよい。半値押し先限の八千円そこそこがあるはずだ。

輸入大豆は今週の押し目が悪目を出しきってしまうところ。

先限の底堅さは、中豆ショックにも免疫ができてきたことを物語る。

大穀の四限。東穀の六限。妖雲ただよう。

腹の据った人は言う。これまでの相場で大衆筋は買う気を完全に喪失してしまった。これからは、むしろ売りに回ろう。イソップ物語の〝狼と少年〟である。本当に狼(大上昇相場)がきた時は、逆に売っていたりするものである。

大相場というものは、ゴムでもそうだったが、満目荒涼強気を言う人がいなくなってから出る。

相場とは実に不思議なものである。

●編集部註
 昔は、ホクレンをはじめ農業関連の力が非常に強かった。機関投資家としても「農林中金」の名は世界に轟いていた。
 当時の世相を知りたい時はその当時の映画や小説、ドラマを観たり読んだりすると理解が早い。1979年に筒井康隆が書いた「農協月に行く」というSF小説では、意図的にコテコテのステレオタイプで描かれた無教養で品のない成金達が登場。札束で横っ面をひっぱたくようにして月観光で暴れまわる〝農協さん達〟が描かれている。
 そういえば、この作品から10年後にニューヨークは5番街のブランド店に日本人達がイナゴの大群のように押し寄せた。今から5年位前から日本各地で〝爆買い〟をしている海外からのお客様と変わらない。それだけ今の日本の国力が落ちているという事である。ただ、その〝爆買い〟も近年勢いが落ちているそうだ。