昭和の風林史(昭和五八年三月十六日掲載分)

小豆下げトレンドに乗る

小豆が下げトレンドに入った。敢えて売らず、水の流れを見て暮す。輸大が閑だ。

田山KKの山本博康先生、きのう(15日)満88歳。米寿おめでとうございます。国際ホテルで盛大な喜の字のお祝いがあったのが、つい先日のような気がする。卒寿、白寿とご長命を願います。

シカゴ大豆期近限月は五㌦70台を固め五㌦86抜けば再び六㌦挑戦の足取り。

この日は円高で国内は売られたが、石油価格が流動的で為替相場が?みにくい。

それにしても高場の大穀向けに現物が集まりつつある。こういう動静を見ていると、強気しにくいわけだが、下値は値頃の抵抗を感じる。

大衆投機家にとって期近二本はどうでもよい。

しかし高値を突っ張って必要以上に現物を寄せられては長期思惑するにも二の足踏む。自然商いも細る。

戦前、日本陸軍参謀本部は、ソ満国境は〝静謐(せいひつ)〟を旨としていたがノモンハンで日ソ激突し、小松兵団はソ連戦車軍団に惨敗を喫した。

いまの輸大買い方は、もっぱら静謐を旨としている。

売り方は物量で押しつぶす気構えに見える。

現物入荷状況を見ていると、まさに中豆とIOM大豆の洪水である。

にもかかわらず暴落もない。ここのところが相場の難かしさである。

小豆のほうは春の天井をつくり、下げトレンドに乗った。

先限八千二百円あたりから値頃感の買い物も入ろう。

肝心の産地定期が重いこと。また期近限月がいかにもぬるい。

商いは細く、取り組みまた筋と皮だけみたいだ。

安値(七千円台)を売った玉は死んだふりしておればよい。線型は、あたかも昨年の六本木筋懸命の買い支えによるダンゴ型と同型である。さりとて敢えて売らず、無気力、無関心で傍観すれば時が解決する。

●編集部註
 何故、この時風林火山は〝ノモンハン〟という言葉を引っ張り出したか。
 1939年5月、当時の満州国とモンゴル人民共和国の国境線でモンゴル軍と関東軍との間で小競り合いが起こる。
 本来なら〝静謐を旨〟として冷静に対処する事も出来たが、時の関東軍参謀、辻政信が暴走。モンゴル軍の背後にいるソ連軍と大規模な戦闘に発展する(ノモンハン事件)。
 辻政信という人物、インパール作戦を指揮した牟田口廉也と並んで行動に問題のあった人物として知られ、戦後に彼を取材した作家、半藤一利は「絶対悪」と評している。