昭和の風林史(昭和五八年三月二十八日掲載分)

小豆は春の淡雪のような

小豆はベトコン魂でどこまでも踏まない気なら売り上がりの苦労また勝負である。

小豆は一夜にして強気がふえた。びっくりするような罫線は春眠暁を破る。折りから自己買い玉が減少しつつあった。

小豆はマバラ大衆が安値を売って捕まったままである。これらの人達は、昨年春から夏にかけての六本木相場を闘い、解け合いで、売りの勝ち味が今もって忘れられない。

買っている側は、いわゆるホクレンの動きをダイレクトに知る玄人である。

三万円は絶対にあると思っているし、閑な市場で陽動買いすれば値が飛ぶことも知っている。

それにホクレンが今のところ味方である心強さ。

ただ、強気側の敵は閑散・薄商い・誰も手をださないという場面である。

自分が買って値を吊り上げて場勘取って満足しているのはよいけれど、利食いに出れば値が消える。

今の小豆は、なんとかして大勢的上げムードにして投機家の参加を呼びかけ、買い玉回転したい。

二番底打ちの、大勢二段上げ波動というキャッチフレーズや、天候不順のキャンペーンだが、なにしろ豊作尻だし、実需活発とはいえ仮需の沸く環境ではない。

マバラ大衆売り方が煎れさえしなければ、玄人連合、強気グループ即ち一ツの仕手と見なして、彼らはいずれ、自分の坐っている坐ぶとんを持ち上げようとすると無理になる。

だから売りたい人なら仮りに三万円があっても追証と売り乗せ資力を配分して、朝鮮戦争人民義勇軍の如く、あるいはベトナムべトコンの如くどこまでも踏まない戦いなら、これは負けない。春相場は大きな上値が出ないものだ。

●編集部註
 降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)。
 この句が詠まれたのは昭和6年(1931年)。今は〝昭和も遠くなりにけり〟となる。〝遠く〟なるにつれ共通言語でなくなり、歴史修正主義者が跳梁跋扈する。数年前に作られた映画「否定と肯定」は話題になった。
 無知は罪ではない。学べば良いだけだ。罪なのは、ここで歴史を自陣に都合良く解釈をする阿呆が出て来る事であろう。
 ベトナム戦争が米国とベトナム間の戦争と勘違いしがちだが、実は南北ベトナムの内戦。そこに冷戦の東西両陣営が加担して代理戦争となった。
 ベトコンは南ベトナム解放民族戦線の通称で、西側諸国が支援する南ベトナムの反政府組織だ。 多勢に無勢と思われた中、ゲリラ戦を組織して勝利したベトコンと小豆の売り方を、この時風林火山は重ねて見ている。