昭和の風林史(昭和五九年四月十二日掲載分)

秘伝気を転じよで強気に

60㎏建最後の小豆相場という場面が五月、六月に出てしまうような気がするのだが。

人見て相場張るなかれという。誰が売っている、誰が買っている―と意識しないほうがよいというわけだ。相場に感情無用。相場は相場に聞くだけである。

今の小豆は四月限強気と六月限強気の二ツの流れがある。そしてそれとは関係なく異常気象に狙いを絞って七、八、九の天災期限月の押し目を仕込んでいこうという流れもある。

期近三本については、やりたい人はどうぞご勝手にという態度で、夏の天候一本に投機のロマンを求める。それが今後の小豆相場に取り組む姿勢でなかろうか。目下、東京六月限に対して、かなり声高に論じられているが、異常であるかないかは取引所当局の判断するところであろう。

相場は政治に関与せず。強弱一本でいけば、現象をもたらした背景を考えなければなるまい。

本間宗久伝に『秘伝気を転ずること』の一条がある。いうことをきかない相場(今なら売っても利にならなかった)に、いつまでも執着せず、気を転ず、立場を変えてみよ―というのである。

二千円下げて二千円反発した(六月限)相場は純粋相場論でいえば、強いの一言である。強い相場にはついていくのが本筋。

市場では六月限の買い玉が逃げられるかどうかを詮索しているが、逃げられないと思う人は売っていけばよいだけで、判らん人は近寄らず、お天気がどう転ぶか判らんだけに面白いと思う人は七限なり八限を買えばよい。

ただそれだけの事である。

ふと思ったことだが、これは小豆記者の勘みたいなものだが、60㎏建(八月限まで)相場のフィナーレが五月、六月中に展開するのでないか。九月限の二万円という相場。なんとも無気味な相場つきだと思う。

●編集部註

 相場の世界、特に先物の世界はロンドンやニューヨークよりも日本の米相場の方が古い。故に、その頃の相場格言が令和の今に至るまで連綿と受け継がれている。本間宗久の言葉もそのうちの一つである。

 今回の『秘伝気を転ずること』は孫子の兵法における「離」の考え方に通じる。途中途中でアップデートせずに過去の手法に拘泥すると、大抵はどえらい目に遭う。

 先日、ラジオで伊集院光が言っていた。曰く、この歳になると、新発見は自分の苦手なものや、やりたくないものの中からしか見つからぬと。

 相場では、損をしたくない。故に、利食いドテンは愚の骨頂、損切りドテンは福の神―と昔の人は言ったものである。