昭和の風林史(昭和五九年四月十一日掲載分)

売って駄目なら買うだけ

天の理、地の利、時の運という。三拍手揃ったらこれは鬼に金棒の小豆買い方。

大阪小豆の取り組みが漸増している。

動く相場なら売りでも買いでも投機家の心が動くのだ。

それにしても強い相場である。

強力な買いの筋金が一本通り、夏の気象が非常に不安で、しかも人気が強くなれないということは『相場は相場に聞け』を信条とする人にとっては、とやかくいわず買うだけとなる。

六月限のように二千円下げて、二千円の切り返しは、並みたいていの相場でないし五月限も怖い。

この五月限という限月は、二万九千円台~三万円台の売り玉を、まるで地下資源のように持っている限月で、この五月限が先物当時、期近は別として、この限月を売っておけば怖くない―という人気の限月だった。

それが、三万一千円が鉄壁の頑強さである。

先月末も、さあ崩れてきたと売り方は躍り上がったが、今となってみると、これを売った玉は全部捕まる有り様では、強弱感を修正しなければならない。

輸入枠の大型発表で売られたが、それが瞬間的な下げに終わったことも、弱気の気持ちに少なからず動揺を与えたのである。

それは、下げ材料(売り方にとっては待つ事久しの材料)を、逆手にとられ、『知ったらしまい』となり『悪材出尽くし』という絵に塗りかえられてしまった。

これは相場に自力があるから、斬られたように見えても奔然とひるがえることができたと見るべきであろう。

目下の市場で、誰が買っている。誰が売っているとの詮索も多いが、誰が売ろうと買おうと、相場は相場という観点に立てば、売って駄目なら買ってみろとなるのが自然流かもしれないと思うようになった。

ともあれ相場は、なにかを知っているみたいだ。そのなにかが非常に怖い。

●編集部註

 私見ながら、天の理、地の利、時の運の三つがたとえ揃っていても、そこに動き出す勇気がなければ何も始まらない。

 「義を見て為さざるは勇無きなり」という孔子の言葉があるが、過去の相場で動き出す勇気がなかったために、これまでどれほどの利を獲得出来なかった事か…。もっとも、勇気を出して負ける事もあるので、これは時の運の類かも知れない。

 その昔、明石家さんまは「お笑いに必要なのは勇気だけ」と言い切った。茶化す事なく真顔で言う姿は冷静に仕事を実行する殺し屋のようだった。 

本物の殺し屋に会った事はないのだが。