昭和の風林史(昭和五九年四月二十三日掲載分)

行軍速度更に急ならんや

吉野を出て撃ち向かう―。小豆は行軍速度が速くなりつつある。戦雲まさに急

実際夏の天候による小豆の作柄など海のものか山のものか、まだ判らないけれど、異常気象であることは随所に現象が判然とし、北海道が去年に続く冷害凶作なら、投機人気のおもむくところ、抑え難きものとなる。

すでに小豆相場は、そのことを先知し、先見しているかのようだ。

“買いたい弱気”と引かされ辛抱組の弱気、そして、輸入大型枠に幻惑された弱気、あるいは現物の売れないことを現実に見て、相場堅調が納得できない人たち。ともかく、まだ強気になりきっていない。

しかし、トレンドは明らかに前途の大型相場を明示している。

シカゴ相場界では、トレンドと喧嘩するな―と教える。まして、取組内部要因は信念のある長期方針強気が布陣し、天の理、地の利、時の運にゆだねている以上、値頃観などの売りは、まさしく相場を相場に聞いて反対するかの如きであろう。

見渡して全般商取業界各商品気迷いの時に、腐っても小豆、季節変動商品として冬眠していた小豆好き投機家の雲集するところとなれば衆は力なり。相場初期の衆は、あなどりがたく孫子兵法でいうところの激水に石をただよわすは、これ勢いなりとなる。

まして安値には売り玉というエネルギーの地下資源の層があり、相場高くなるほどに、これらが発熱し、煎れが煎れを呼ぶ。

戦いはまだ始まろうとしている段階でなかろうか。いわば道中である。その道中なにを急ぐか、はや小走りとなる。吉野を出でて撃ち向かう飯盛山の松風に―。行軍速度が速くなりだしたようだ。

●編集部註

 日本各地には、その土地の人々でしか知り得ない地名があるものだ。

 例えば関ケ原の「原」は、「ハラ」と読むのが一般的。しかし九州では「バル」と読む。大分の長者原は「チョウジャバル」、熊本の田原坂は「タバルザカ」である。

 関西では、これに加えて難しい感じが地名に使われるケースが多い。歴史好きを除いて、関西人以外で「四条畷」を「シジョウナワテ」と読める人は存外少ないと思う。

 吉野を出でて撃ち向かう飯盛山の松風に―。

 これは太平記で登場する「四条畷の戦い」を元に小和田建樹【1857~1910年】が作詞、小山作之助【1863~1927年】が作曲した所謂「唱歌」である。「唱歌」は旧制小学校で歌われるので、恐らく風林火山の頭に刻み込まれていたのだろう。因みに小和田建樹はあの「鉄道唱歌」の作詞者でもある。