昭和の風林史(昭和五九年五月二日掲載分)

果して死んだ小豆相場か

小豆は人気が強くなり過ぎた。需給緩和と規制に対して産地天候の綱引き場面。

この小豆相場は、もう死んでいる―と見ているのが、今の弱気側で、その根拠はおよそ次のようだ。

(1)需給が緩んでいる。(2)誰も彼もが強気になった。(3)規制が更に強化されよう。(4)いずれ片寄った取り組み限月に対し店別大幅増証となれば、店としても建玉減少を顧客に要求せざるを得ん。(5)買い方は、すでに烏合の衆と化している。(6)六月限に現物が集中する。(7)天候相場に入るまで息が続かないだろう。

とにかく前二本限月に対する臨増規制強気は主務省当局の市場懸念のシグナルと見るべきだ。

これから小豆市場が人気を集めようとする折りに大幅増証や建玉氏名報告、更に店別臨増しなど強化されると、咲こうとする花も落ちてしまう。

四月限納会における感情と勘定のもつれが増幅して強弱対立が棘々しくなっていることも確かだし、見渡して、誰も彼も、過ぎし戦いの傷痍(い)軍人みたいなもので、まだ包帯がとれていない。

そのようなことから市場は段々シビれてくると見ているのが目下の弱気。

しかし産地の天候のほうは、去年以上に悪そうだ。強気は、五月中旬ともなれば作付け動向も判明し、異常気象が判然とするのを焦点に絞って、進退を決めることであろう。

醒めた見方では、市場全般、お金がないし、人気いま一ツなだけに、天気が悪くてもその時、その場の反応しか示さず、昨年同様、サイクルは息の短いものになりはしないか?と。

確かに56年当時の人気・資力のボリウムは、期待すべくもないことは58年相場展開をふり返っても判る事である。

それだけ市場環境が世智辛くなっていることを心のどこかにメモしておかなければならない。

●編集部註

 昭和58年の小豆相場で環境が世智辛くなっているのなら、令和は差し詰め枯れすすき。あるいは球形の荒野である。

 強弱を問わず、相場は高値のピーク付近で最も強く見え、弱気のピーク付近で最も弱く見える。そして、必ず振り返ってこう思うのだ「嗚呼、あの時に勇気を振り絞って買って/売っておけば良かった」と。

 そして、次に勇気を振り絞って張ったら逆に行き…。そんな行為の繰り返しである。こおいう修羅場を掻い潜ってきた老相場師は、大抵たおやかにして温和。敗者には優しい。ただ時としてその眼は笑っていなかった。