昭和の風林史(昭和五九年二月一日掲載分)

きつい相場をしているが

小豆はまだ上昇エネルギーを残しているのか、それとも末期のフィナーレなのか。

宿かさぬ火影や雪の家つづき(蕪村)。

小豆は早目に踏んだ人が踏み当たりみたいな息の長さを見せている。

もうだいたい終わったと思うのが人情であろうが人情と相場とは別のような動きで強気したままの人は、品物がない以上、高いのは当然と割り切る。

小豆の取り組みは荒涼としてきた。出来高も、つい細る。

ゆくゆくは、この相場の裏側が出る―と信じて頑張っていた人も、一人降り、二人降りして、市場は雪を深くかぶった村落の、ひっそりした雪景図を思わせる。

臨時枠を出さなければ二月、三月、買い方が攻めれば舞い上がる。

これは市場の常識である。通産省側から臨時枠を出したらどうかという考えもあったようだが、農水省畑作振興課は、その必要なしとしたようで、小豆の裏の舞台には、高度な思惑がからんでいるから、そこのところが難かしい。

去年の七月、八月、北海道の冷害に、順ザヤ相場で三万四千円台を買われた時、畑振あたりが三万五千円以上を付けさせないとホクレン共々値を抑えて、不作相場の火を消しにかかった。

あの時の事も理解できないが、今回の事も解(げ)せない。しかし、これも相場である以上、小豆市場はそのような事、日常茶飯事と割り切れる人だけが残る。

すでに小豆市場を去った人から、まだ小豆に未練を持っているのかと笑われるが、未練ではなく、相場とは一体なにかということを解明したい。

騰勢ほぼ燃焼したと思った相場に、また火がつくのか。それとも最終場面のフィナーレなのか。

幾たびか雪の深さを尋ねけりではなく、幾たびも追証の厳しさ耐えにけりという人もまだ存在する。

●編集部註
 1984年2月は東京と横浜のタクシーの初乗り運賃が430円から4 70円と値上がりした日である。500円台になるのはその6年後。なお令和の現在、東京での初乗り運賃は410円だ。
 しかし、騙されてはいけない。これまで初乗り運賃は1938年以降2㌔が基準になっていた。現在の基準は1㌔ちょっとで計算され、乗り方によっては事実上の値上げになる。セコいといえばそれまでだが、昨今この手のセコい値上げは食料品等で頻繁に見られる。
 これは経済用語でシュリンクフレーションと呼ばれている。正々堂々と値上げ出来ないというのは、今の日本経済が健全ではない証左でもある。
 文句のある人はいるだろうが、この記事が書かれた頃は色々とまだ健全であった。当節、何もかもがセコくて品がない。