昭和の風林史(昭和五九年三月三日掲載分)

業界の急速な変革と相場

商取業界の流れが変化するとともに相場の流れも徐々に今までとは違ったものになる。

数多くの取引所に加入している取引員の市場関係者は、商いのあまりできない今でも立ち会いが連続し、重複し、疲労とストレスが心配される。

東穀のIOM別建市場、ゴムの九月限、そして金、銀、プラチナの立ち会い。

店側としても人員配置を考慮しなければならない段階である。

上場商品がふえることはよいのだが、受け入れる側のキャパシティに限度があるから、自然効率のよくないものや人気のない商品は手抜き現象になる。

しかも新しい投機家が市場や限月の増加に伴いふえるのであれば、これに越した事はないが、東京粗糖から銀市場に証拠金が移動したごとく、数はふえたが小さいパイは、やはり小さいパイのままだったという事になれば、取引員の経費負担のみが肩に食い込む。

考えてみれば待望久しき新規上場商品(貴金属)であり、また制度の手直し(限月延長や別建市場)であるが、新しい投機層を拡大するという努力のほうが疎(おろそか)になっているのではなかろうか。

各市場の取り組みや出来高などを、もうすこし見ていかなければ、まだ結論を出すのは早いが、キャパシティの限界(現在の投機人口や取引員の経営効率)が、いずれ表面化するかもしれないと思う。

一方、投機する側にしてみれば、魚のいない場所に糸を垂れる人はいない。『お金儲けは、お金の集まっているところにあり』で値動きが大きい、証拠金効率がよい、商いがよくできている、市場管理が適切、市場に信頼性がある―など、投機対象とタイミングを選択する自由がある。

今の商品業界は大きな曲がり角にきているだけに業界の流れというものを確り掌握してその上で相場を考えなければならない。

●編集部註
 人生然り、作戦然り何度か立ち止まって考え、方針を転換するポイントはあるもの。しかし、それは後々になって明らかになる。後悔、先に立たず。その失敗を教訓にその後の人々は生きていくしかない。
 つい歴史にたらればは禁物だが、「あの時動いていれば」という夢想は、小説等でよく使われる手法であり、それを読む人が多い事からわかるように、大なり小なり人間は何らかに後悔している。
 今回の文章の後半で出現する条件をクリアしている銘柄は、今の国内商品先物市場でどれだけ存在しているのだろうか。主務省の違いやイメージ等、運営側にも言い分はきっとあるだろうが、体たらくを招いた、というそしりは免れないだろう。