昭和の風林史(昭和五七年十月二九日掲載分)

二度の思惑するべからず

二度の思惑するべからずという言葉がある。生糸にも輸大にもいえる言葉だと思う。

27日夜遅くまで生糸の抜け解け合いの話がもつれていたが結局、横神五千三百四十六枚がほどけて28日は11限S安。すぐに斬り返すという大波乱の相場に一般大衆は、なにがなんだか、わけが判らん。

またも大衆投機家おいてけぼりのやりかたに対して取引所に向ける憤りが高まり、不信感をつのらせた。

現実として、実勢は悪いけれど、もう生糸の相場に近寄らぬほうがよい。

大きな取り組みがほぐれたのだから内部要因は玉整理完了。あとは大量の現物がどのように散っていくか。

相場強弱としては、焼跡の釘。二度の思惑するべからず。深追いはよろしくない。巨大な買い方のお城が落ちたのである。

輸入大豆11月限が生糸の二の舞いにならないか。

当限納会、特に東京市場は強引過ぎて批判が厳しい。

いうなら聖域を犯したことになる。

陋(ろう)規〔最低ギリギリ、やってはならないこと〕を破るものの末路あわれという。

七月小豆解け合い事件後市場管理面は一段と厳しくなった。

主務省、そして取引所の顔を逆なでしたようなもの。

場勘で取り、納会煎れも取ったが、受けた現物の金・倉と処分値段で、損をする勘定になるだろう。

無理したとがめは、夏の小豆、今度の生糸で嫌というほどみてきた。

輸大も、ほどほどにしておかないと、このツケは業界全体に及ぼす。

取引所不信感は大衆投機家離散。商い減少となる。

小豆は戻している。

管理相場、ホクレン支配、行政テコ入れ相場という印象が強くなれば、誰がそんな相場に手を出すか。

相場は自然にまかせるのが一番よい。目先戻しても、たいしたことはない。実勢は買うところでない。

●編集部註
 ここで提示された懸念材料が軒並み具現化したのが現在である。
 貧すれば鈍す―。余裕がなくなれば、何もかもが劣化していく。社会が、世情が、感情が、知性も。
 書いているうちに「粗にして野だが卑ではない」という言葉を思い出す。城山三郎の小説のタイトルであった。
 この作品の主人公は商社マンとして先物市場で活躍した人物であり、後年78歳にしてほぼ無償で国鉄総裁を引き受けている。今こそ読み返すべき作品と言えよう。