昭和の風林史(昭和五七年十一月十五日掲載分)

輸大当限暴落時間の問題

輸大当限・大阪、名古屋は月曜後場か火曜16日から逆落としの大暴落に転ずるだろう。

輸入大豆当限の手品の種も、うしろから見ておると、ここまでは上出来だったといえる。

しかしこれだって小豆の気崩れの怪同様に、その正体が解明できれば、なんだ、そんなことだったのかとなるわけだ。

恐らく輸入大豆当限の突っ張り高は今週月曜か火曜までだろう。

中国大豆の船が少々遅れても繋いで十分の値段にあるから、納会まで日数を見ながら渡しの準備作業のピッチをあげる。

大阪当限にはIOMの渡し物が、かなりありそうだといわれる。

来月に入れば物はジャブジャブだ。実需は、ここしばらく、最低ギリギリの当用買いで凌(しの)げばよいのだから、あとは定期のカラ売り玉の煎れだけ。

大連は猛吹雪などとみてきたようにいうが、なんのなんのその時、風力3・快晴・気温14度だった。相場の世界はこのようなデマが飛びやすい。

玄人は〝船舶日報〟をチェックし、現地とのテレックス交信で、中豆入船は、心配する状況でないという。

とにかくまだ先月納会受けた現物に金・倉の時計の針が動いている。

物はないのではない。十分にあるのだ。

まして九月、十月と続いたあと今月も玉締めスクイズをしようものなら、穀取市場に対する風当たりは一層厳しくなる。

いうなれば今の大豆当限は世の中の自然に逆らっているわけで、このようなことは、一時的現象で長続きするわけがない。

無理したあとのトガメの大きさは七月六本木小豆、十月栗田生糸で見てきた。

輸大当限も同じことがいえると思う。

小豆相場は、相場は相場であることを見せてくれた。相場は人為の及ばざるものである。

●編集部註
 小豆市場に依然として嘆きのブルースが流れているなか、世間はこの日、高らかなファンファーレが一部で流れていた。
 1982年11月15日は大宮~新潟間で上越新幹線が開業している。上野駅まで伸びるのは1985年。まだこの時は国鉄であってJRではない。
 東京駅に乗り入れる事が出来たのは1987年4月に国鉄がJRになって4年と2カ月後の1991年6月である。
 それから25年後、この路線を使って現美新幹線という観光列車が走って好評を博すとは、当時夢にも思わなかっただろう。