昭和の風林史(昭和五七年十一月三十日掲載分)

腕組んで小豆底入れ待つ

気を抜いたようなところだった。小豆の底入れを腕組みして待てばよいだろう。

納会済んで緊張がほぐれ、なんとなく空漠とした小豆、大豆の市場だった。

そして眼前に早や師走。

市場の多くの人は小豆で、輸大で、はたまた生糸で大きな傷を受けている。

そして今、大きな問題になっているT社の輸大市場における大量の買い建玉。

これがどうなるのか。業界空漠の中に、なんともいえない複雑性を持つ。

1日大砂協会大成閣、10日神糸取金龍閣、13日東ゴム・パレスホテル30周年記念。そして早手まわしに明けて一月20日大砂取新年祝賀パーティの御案内。

忘年会の席は、なんとなく華やかではあるが、お酒を飲んでも足もとを冷めたい風が吹き抜けるような、業界見通し暗い年のそれはかれこれ三、四年続いた。

司馬遼太郎は『人間吐く息、吸う息が細くなると気が萎(な)えてしまう』というが、確かに商取業界、昨今の息を殺して吐く息、吸う息の細さは、顔の色まで黒くしてしまう。

相場に打たれて苦境が続くと不思議に顔のツヤが消え、どす黒くなる。

あの色の白い美男の小川文夫氏にしても、伊藤忠雄氏にしても、近くは板崎、栗田の両氏にしても、逆境の心労は顔を黒くした。
いかな大相場師といえど気が萎えると光が失せる。業界人また心すべきことである。

相場のほうは小豆の底入れ待ちでよいと思う。

実勢悪には違いないが、実勢悪が相場に織り込まれた時が大底である。

それは人の気によって大底が入るといってもよい。

政策は、そのあたりから効力を発揮する。

その間の機微を教えたのが「孫子兵法」である。
利して誘い、乱して取り、実なら備え、強ければ避け、怒らして乱し、親しめば離し、その備えなきを攻む―。

●編集部註
 なにやら、自分に言い聞かせて、鼓舞している感が否めない。
 一様に相場師は孤独なものである。中にはご陽気で朗らか明るいタイプの相場師がいるじゃないかという人がいるかも知れない。それは違う。単に明るいキャラクターを演じているだけに過ぎぬ。
 経験則上、ニコニコ笑っている相場師ほど怖いものはない。
 艱難辛苦の苦境を何度も体験して、百戦錬磨の相場師は、功利主義的に笑顔という名の仮面を手に入れたのだと思う。