昭和の風林史(昭和五七年六月二六日掲載分)

将棋でいえば指し過ぎか

受けも受けたり御立派である。しかしこの戦いは勝てない。流れに逆らっている。

小豆当限納会は俵読みどおり淡々と表面は納まった。

先月に続いてまたも受けも受けたり、引くに引けん背水の買い方。これで勝敗の決着は七月に持ち越される。

受けた現物は一俵一カ月二百十円の倉敷料という時計が動く。一枚80俵で一万六千八百円。置いておくだけでこれだけの食い込みがある。

株券なら配当が付くけれど、小豆は品いたみ分の目減りをかぶる。

商品定期相場で受けなければならない立ち場に立たされることは、仮りにそれが作戦であろうと、上策とはいえない。

まして大量手持ち現物はヘッジされていないどころか七月限も八月限も九月限も大量買いポジションでは余りにもリスクが大きい。

買い方は、七、八、九の三限月に焦点を絞って戦線延長だが、兵站線が伸びすぎている。

これが敵地に糧(かて)を得られる戦いならば千里を行きても労せざるが、兵站線が伸びるだけ伸びての補給(臨増し、追証、倉敷、金利)だから、君の軍に患するもの三ツ有り―となる。

まして雲の流れは更に急を告げている。

二カ月連続大量受けは異常現象だ。

受けたことによりマイナスの要因を背負ったわけだ。

世間というものがある。社会というものがある。この業界では通用しても、世間様は常識をはずすと強い拒絶反応を示すものだ。

東京七八九枚。名古屋一一〇枚。大阪四二一枚。合計一三二〇枚は十万五千六百俵。

いずれにしろこの相場の決着は遠くない。

無理したとがめは大きいのである。

業界人は、ただ唖然としていた。言うべき言葉を失っては、まさに末期である。暴落刻々接近中。

●編集部註
 テクニカル的にも、この時の相場の決着は遠くなかった。
 4月、下降局面で大きなマドが出現する。
 6月、このマドを埋めにかかる。しかし完全に埋め切る事もなく、翌日に反転下落する。
 ここで、買い方にとっては痛恨の罫線になる。4月の時と同じようなマドが生じてしまうのだ。
 往々にして、マドは埋められるためにある。しかし、ここからの反騰場面では埋める事も能はず。
 つまりこの時、小豆相場は2つのマドを埋め切れず、2重の強力な上値抵抗線に往く手を阻まれていたという事になる。
 トレンドは切り下がり。少なく見積もっても3万 2000円コースである。