昭和の風林史(昭和五七年八月十九日掲載分)

輸大は急騰、小豆は暴落

輸入大豆買いは今からでも遅くない。人々が唖然とする暴騰波動。小豆は暴落必至。

オーディナリー(製油用)より安い値に叩かれた穀取輸入大豆は、要するに市場内部要因によるものでいわゆる一種の極限状態だった。

そのような不自然さは長続きするものでない。

下げるだけ下げて、灰汁(あく)が抜けただけに輸大は成り行き買いよしのところで、S高の連発も当然くるだろう。

その時、人々は唖然とする。だから買っておかなければ話にならない。

なにがどうだから、ああだこうだは、いわゆる相場の強弱。世の中、強弱上手の相場へたという人が多い。本当は強弱なんか上手でなくてよい。儲かればよいのである。

小豆のほうは、輸大とは逆に売りである。

先限の三万円割れがある。

ケイ線がそれを物語る。

買い仕手が抱えていた現物がバラバラに散った。そのことだけでも供給は潤沢になっている。

まして作付け面積は、かなり増反している。

作況のほうは、まず平年作にキズがつく程度。

そして輸入外貨枠がまだかなり残っている。

産地の相場がとにかく重い。もの言わざれど色おのずから現わる。

三万一千円から三万円大台割れにストレートの下げは直撃であろう。

八月12日が結局今年の夏相場の天井だった。

小豆弱気を書いているから電話がかかってこない。買い玉持って頑張っている人にとっては、電話する気になれんのだ。人気の強さというものが、それだけで判る。

その強人気が、もうすぐひっくり返ってくるだろう。小豆売りは早いもの勝ち。

●編集部註
 兎角この時期は〝夏枯れ〟という言葉が使われやすい。ただ〝夏枯れ〟という単語を使いたいだけじゃないかと思しきものもあるが、紙面と相場には〝夏枯れ〟が存在する。
 明らかにこの時の小豆相場は〝夏枯れ〟相場と言えるだろう。これからこの相場は枯れに枯れまくる展開を見せる。
 昭和の初め、紙面の〝夏枯れ〟を補うため、ある新聞記者が当時存命だった資生堂の創業者や彫刻家高村光雲、政財界の大立者などのところに足を運んで食にまつわるインタビューを慣行。これを記事にした。
 この新聞記者は子母澤寛と名を変え、戦後は小説家として大成する。
 彼の新聞連載は当時を振り返る随筆と合わせて「味覚極楽」という名で一冊の本になっている。