昭和の風林史(昭和五七年八月二八日掲載分)

輸大結局踏んだめんたる

小豆は「金屋」の踏みと13号台風買いだが、あとが悪くなる。輸大は踏んだめんたる。

「金屋筋」が砂糖を受けると前宣伝が利き過ぎたが、役所も取引所も神経を逆立てているから、受けようにも受けられなかったのか、もともと受ける気がなかったのか。

「金屋」は、あこぎな現物まがいのほうの商売が、金相場の大暴騰で、本職のほうの背中に火がつきカチカチ山の泥舟だ。

本来、人を泣かせて怨を買うような商売は長続きしない。遠からず定期市場からも姿を消す運命にある。

小豆は三万円大台の抵抗だった。

手亡相場のほうが、お先に失礼とばかり暴落納会した。手亡は小豆の先行きを暗示している。

各地の読者からの電話は、かなり風林に提灯がついていることを知らしめる。提灯がつきすぎると、用心しなければならない。

しかし小豆は売りのままでよいと思う。

来月になれば二月限という重しが先にぶらさがる。

トレンドは、一時的に強く見せても結局は安いですよ―といっている。

輸入大豆の各地納会は暴騰だった。渡しものが薄い。

輸大納会を見て、つくづくと〝相場は誰にも判らない〟ことを思い知る。

朝まだ明けぬ夜中の一時、二時、シカゴを聞いたり、穀取相場に張りついて、大豆本職プロ中のプロも、五百丁棒戻しするなど考えもしなかった。

『ファンダメンタルズに暴騰は、なかったのだが』と負けおしみを言っても現実に、この納会を見ては、あなたはほんに〝フンダめんたる〟。

期近が締って逆ザヤならば先のほうも上がるしかない。そのうち産地に早霜被害拡大などというテレックスでも入れば、底した相場は天井するまで高いだろう。いい球くるのを待ってホームラン。

●編集部註
 相場における〝仕手〟は、能における〝シテ〟から来ている。今のような電子決済、ネット注文中心ではない、人海戦術による取引の中で、金の力にものを言わせて買っていく様は、能舞台に颯爽と現れるシテ方のような存在であったのだろう。
 仕手はグループごとに「〇〇筋」で呼ばれていた。では「金屋筋」は誰か?
 〝あこぎな現物まがい〟〝金相場〟でピンと来た人も居るのではないか。永野一男の事を指している。
 後に暴漢に刺殺された豊田商事創設者だ。彼は81年4月に会社を設立。82年に豊田商事と名を変えたので、1年弱で悪名が轟いていた事が判る。
 何故、金上昇で背中に火がついたかは、恐らく判る人には判るであろう。