昭和の風林史(昭和五七年八月九日掲載分)

おどま盆から先は安いぞ

強気すると苦労を買うことになる。盆が済むまでは今のような相場展開であろうが。

小豆は在庫減も響かない。

それは相場の感受性が鈍っているからで、なぜ感受性が鈍ったかというと、新しい血が入らないからだ。

取り組みは東西合計、あの安値当時から一万枚ほどふえている。

しかしこれは新しい血ではなく、七月下げ相場で勝利の後、休んでいた資金が戻ってきただけだ。

要するに仕手崩れ相場で勝ち残った人たちだけの戦いに過ぎない。

そのように考えてくると大きな相場に発展しない。これが先に行って早霜被害などの天災に打たれれば、また話は別だが、今の時点で高ければ絶好の売り場になる。

では安いか?といえば、まだ当分は下値に抵抗がある。

秋の需要期控えということ。作柄が流動的なこと。高値取り組みでないこと。在庫が減りつつあることなどから、産地天候が崩れてくれば、反撃に転ずる。

この場合、11・12限の大阪なら六百円台、27・29・3日の高値は、飛び付き買いの玉があって、この玉が手数料抜けて利が乗るようなら千円近くまで蔓を伸ばすだろう。

だが、そのあたりは売り急所になろう。

52年の八月相場を研究してみるのがよい。あの時も静岡筋が強気になったが、無残に斬られている。

今の相場は、おどま盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんど。盆が終わると判りやすい下げ波動に乗る。

あとは裏山、蝉ばかりの相場。だから買い玉ある人は盆までの勝負と決めてかかることである。

決して間違っても強気になるまいぞ。

●編集部註
 〝強気になるまいぞ〟と言っている側から相場が吹き上がる。売り方に動揺が走る。やはり買いなのでは、堪え切れずに買い玉を入れる。そこがすっ天井で崩落。我慢に我慢を重ねて追証で対処、あるいは両建て延命し、挙句の果てに全落ち―。
 古今東西、銘柄を問わず、よくある負けパターンの典型である。
 大概、ピタリ予想は実勢相場とズレる。「もう少し我慢しておけば…」と悔やんだ数は計り知れず。こおした傷を無数に受けて人は学んでいくのだと思う。死にさえしなければ、どこかで勝てる。死なず、深手を負わない負け方の研究こそが肝要だ。
 ビートたけしの言葉を思い出す。皆99%努力すれば天才になれると勘違いしている。如何に努力しても1%の才能がなければ天才にはなれない。我々が出来るのはせいぜい努力くらいしかないから、努力くらいはしなければどうしようもない―。