昭和の風林史(昭和五七年九月二十二日掲載分)

老人呆け症的小豆の市場

老人呆け症というのがあるけれど、小豆市場もだんだんそんなふうになってきた。

神戸生糸取引所は超法規だそうで定款・業務規定、理事会無視の、半ば狂乱状況の20日だった。巷では『ひどい取引所もあったものだ』と、その暴挙にあきれかえった。

三木滝蔵時代の神糸取は貧乏していても毅然として品位と権威を保っていたが、今回の件(前場二節が終わったあと前場一節の値段で大量の抜け解け商い)は、その裏に、なにかがあったわけだが、そのなにかが、なんであろうと取引所がブラックまがいに身を陥しては世も末である。

ところで小豆市場のほうだが、〝新しい血〟が入らぬから精気がない。

もともと今の小豆は五体満足でない四限月。無理のできるわけがない。

まして取引所不信感を持っている玄人中の玄人ばかりが、食わんがために相場している姿である。

こんな時に、相場が上に行ける道理がない。

しかも市場管理面が一段と厳しくなろうとしている。

板垣死せども自由は死せずといったが、板崎去りて規制強化す。えらい置きみやげである。

業界は、どこか狂っている。お祓いして全協連主催・お祭り拝拝(ぱいぱい)が必要かもしれない。

小豆にしても手亡の市場みたいになりつつある。二枚三枚玉の出具合いで百円も値が高下して、段々人は寄りつかない。

そのようにしていてドカ下げ一発で、負け組は市場を去り、残った勝ち組どうしで、また銭のむしりあいゲーム。だから場は淋れるばかり。こんな市場に誰がした―と星の流れに卦でも立ててみなければ。

●編集部註
 認知症であるとか、アルツハイマーといった用語は、まだこの頃人口に膾炙していなかった。
 痴呆症とも呼ばれていなかったような気がする。また、呆けるのは老人だけであると見なされていたような気もする。映画「私の頭の中の消しゴム」が韓国で公開されるのは2004年。若年性の認知症が世に知られるのは、もう少し先の話である。
 この頃の〝呆け〟は、有吉佐和子が1972年に発表した「恍惚の人」から来るイメージが強いと思われる。翌73年には森繁久彌主演で映画化されヒットし、その翌年に出版元の新潮社は神楽坂にこの本の収益で新たにビルを建てたとされる。
 別名「恍惚ビル」と呼ばれたこの新潮社別館に、当節巷で話題の新潮45の編集部があった。
 今回の騒動、どうも長い年月を経て、中で働く社員の一部も恍惚化してしまったのかも知れない。