昭和の風林史(昭和五七年一月二十七日掲載分)

頭のまるい三山型の天井

小豆は三山の売り線と化す。老鶴一声、はっとして千五百丁落ちる格好。戻り売りだ。

強気には強気の理論がある。また弱気には弱気の理論がある。

どちらがご正解かを相場が判定してくれるのだが、今年に入って判定委員の相場様も軍配の挙げようがないみたいだから、観衆も興醒めするし、土俵の上の力士も疲れてしまう。

しかし、それでも相場だから、どのような変化が起こるか気を許せない。

今の相場を一言でいえば去年の相場の疲れが出ている。現物流通市場も、投機家も、そして取引員も、いろいろな疲労が出ている。

その事を計算に入れて相場をみなければならない。

今週に入って相場の気配が変わった。表面的には前週までの続きに見えるが、なにか違う。

だから、なだれ注意報を出した。

〔相場は下げたほうが判りやすい〕〔二千八百円あたり買い場〕〔買い方持久戦〕―と見ていたが、下げた場合の二千八百円買いは早やすぎると思うようになった。日柄の重さで、屋根の梁が、きしんでいるからだ。ドサッとくるかもしれない。この場合、二千八百円を買わせて、あと千丁の真空斬りで、投げ場面となりはしないか。

今まで弱気を言ってきた人が、心変わりして、もう下がらんと思いだした。

これは相場の魔性である。

下値では確かに三川だが、どうだろう三千円台で三山になっている。

頭のまるい天井。M型トップの売り線だ。

これが、なだれると千五百円幅が落ちる。買い玉は高値の買い直しで張りついているから、老鶴一声はっとして夢醒むの図。

●編集部註
 『フォーキャスト2018』の米国株式分析の章では、その冒頭でジェイソン・ツバイクという長年ウォールストリートジャーナルで経済コラムを書いている人物の文章が引用されている。

 20世紀の米国を代表する経済学者アーヴィング・フィッシャーは1929年の世界大恐慌の直前に、上昇を繰り返す株式相場を高原地帯(プラトー)、つまり大きくは下がらないと分析したのだという。

 一方彼が教授を務めていたイエール大にはカルステン統計研究所という組織があり、そこでは統計データから米国株式の買われ過ぎを警戒していたのだとか。

 経験則上、逆張りで「もう」というのが楽である。「まだ」と言い続ける方が難しい。「まだ」を「もう」というのはもっと難しい。 存外、「もう」を「まだ」に変えるのは難しくない。ただ、それをやると大概「もう」になっている。