昭和の風林史(昭和五九年二月十六日掲載分)

迷える投機家心理を反映

なにに投機すべきか判らぬ時は銀の鞍(くら)に股がって、ゆらゆら行くしかない。

なにに狙いをつけたらよいか模索している投機家の様子が相場に反映している。

小豆は気迷いで薄商いの玉次第による小浮動。

輸大はシカゴ次第。穀取大衆筋は両建で玉をくくってしまった。

乾繭は三割減産の成り行き眺めと納会渡しものの品質嫌気で前乾先限四〇〇円台売りの二〇〇円割れ買いという逆張り型。

砂糖は人気が離れ、ゴムも流れに決め手がない。

せいぜい金と銀ぐらいでお茶を濁すぐらいである。

折りから税金のシーズンということも気分的に頭を抑える。

さりとて手をこまねいてばかりもおれない。なにがよいか。いかに早く儲けるか。

『どの商品を見ても今は波動が?みにくい。なぜだろう。お金の流れが、迷っているからでなかろうか。景気の見通しも明るさは見えながら決定打がない。米国金利はどうか。ドルはどうか。NY株式はどうかなどと絡めて、個々の商品の需要・供給即ちファンダメンタルズから相場の流れを探ろうとしているところだけに難かしい』。

そのように思うのである。

一ツの流れはNY株式から貴金属に―という動きは感じられる。

そこで国内銀相場だが、74円10、75円50の先日の高値を買い切る勢いが判然としだすと大商いになろう。

すくなくとも80円台の相場は二月四日からの押し目の倍返し地点としてマークされるだろう。

輸大のほうはどうか。シカゴは九㌦→八㌦→七㌦と大台三ツ替わりの下げ。

一枚が五千?だから一㌦で五千㌦。二㌦70下げはピンで一万三千五百㌦は三百十万円替えという計算。

高値から三割下げ近い下げと日柄の半年にならんとする来月は変化地点だ。

●編集部註
 果たしてその後〝NY株式から貴金属に―という動きは感じられ〟たのか。当時の週足を並列で見てみたい
 確かに、84年3月頭までNY金は上昇基調。これに対してNYダウは、1月の崩落の後遺症を背負いつつ、春頃まで保合いが続き、夏に入ると一段安。そこで「コツン」と底打ちの音がした。
 その間、NY金は25㌦強のレンジ相場となり、NYダウの「コツン」の音と共に下降トレンドを再開。金相場に「コツン」の音を聞くのは85年2月末である。この時、NYダウは夏の安値から20 0近く上昇していた。
 更にその後も米国株式相場は上がり、87年の夏まで上昇は続いた。